いつも
娘は
私の心にいます。
一人でいるときは
景色を見ながら
あるいは
娘とのやり取りを
思い出しながら
娘のことを考えています。
娘がいなくなってから
悲しみと後悔が私の心を覆っていて
今も
心に蓋をしている…。
部屋にある娘のものは
まだ整理ができませんね…。
手に取ると
現実が苦しくなるのです。
何度も同じことを考えます。
4年前のお盆に帰ってきたあの時、
東京に戻ることをひきとめていたら…。
あの時
もっと娘の立場にたって考えていれば…。
もっとこうしていたら
もっとああしていたら
って………。
それをできなかった(しなかった)自分のことが嫌です。
それでも
少し前は言葉にすることさえ痛くてできなかったのが
できるようになったのは
いつの間にか過ぎてしまった時間の長さによるものなのでしょうね。
また、
どうしたら娘が戻ってくるか…
とか
娘と一緒に過ごした
幸せな時間など
そういうのはもうないという現実とか、
私の両親(娘の祖父母)が言っていた「(娘がいなくなってしまったので)何を言ったところで仕方ないんだ」(=もう戻ってこない)という言葉
それも頷くことができなくて
「仕方ないって、どうしてそんなこと言うの?私はあきらめない、なんとかできる、なんとかするんだ」
そんな風に思っていたけれど…。
現実を
ちょっとずつ理解してきた時間だったのでしょうね。
今は
娘と共に生きていくこと、
↓
私が見る景色を
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私が感じる喜怒哀楽も
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そうしていけたらいいなぁと。
娘に語りかけて
何か感じることができた時、
それが今の幸せかもしれません。