忘れないで、忘れないように

忘れないで、忘れないように

色んなうつ病の過程を経た私が日々感じたこと、
そんなどうでもいいことが書いてあるブログです。

筆者は様々な自傷行為や自殺未遂をも繰り返していますので、
お読みになる時は重々お気を付け下さい。

少しでもどなたかの琴線に触れることがありますように。

私にはたくさんのトラウマがある。

でも、今までは「大したことじゃない」「気にしすぎだ」と

自分自身で軽視して、あまり目を向けようとしなかった。

それは、目を向けたくなかったからだ。

現実を目の当たりにしたくなかった。

一度思い出すと嫌な気持ちになってしまうから、考えるのが苦痛だった。

だから、無理やり蓋をして、気にしないように慎重に生きてきた。

 

でも最近、なぜか何度も何度も頭の中を去来してしまう、

幼いころの記憶が私の心を重く、不自由にしている。

何度別のことを考えようとしてもうまくいかない。

もう3か月くらい、毎日考えてしまう、強迫観念のようなその記憶。

 

誰にも言ったことはなかったけど、ここなら安心して書けるから、

書いてみたいと思う。

いや、書かないと、前に進めない気がする。

 

私は幼いころ、兄と仲が良かった。

毎日遊んで、じゃれて、楽しくしていた。

だけど何度か、兄が性的な目で自分を見ているように感じたことがあった。

その時は気のせいとも思ったし、そこまで深く考えていなかった、と思っていた。

でもあれは、自分の中の、紛れもない「トラウマ」だったと、今日気づいた。

今まで、何度フラッシュバックしたことか。

その度に、得も言われぬ不快な気持ちになりながらも、

なんとか頭から振り払っていた。

だけど今回は、メンタルの調子がイマイチなのか、

いつまで経っても振り払うことができない。

なぜ?と思いながら、深く考えたらダメ、忘れなきゃ、他のことを考えなくちゃって必死だった。

でもそうしているうちにどんどん思考は深みに嵌まっていって

もう手に負えなくなってきてしまった。

そして私は、この閉塞感から抜け出すために、徹底的に本質に向き合ってやろうと思った。

 

思えば、幼いころだけの記憶じゃない。

それなりの年齢になってからも、兄との関係性において同様のことがあったように思う。

それが突然、生々しくフラッシュバックするのだ。

幼いとき然り、きっと私はその時、恐怖、不快感、憎悪などをバシバシ感じていたのだと思う。

でも、頑なにその事実と向き合うことを避けていた。

禁断の領域に踏み込むことが怖かったのだ。

だって、それは、家族が抱いていい感情じゃない。

気持ち悪い。気持ち悪い。

それに自分の兄が「そんな人間なはずない」と信じたかった。

 

まあ、その後訳あって兄とは交流断絶し、仲最悪、連絡先も知らない状態が長く続いた。

私は「兄」と呼ぶのさえ嫌だったし、色々と無理だった。

そして私は当時の彼氏との同棲の為実家を離れ、物理的にも距離ができ、

楽しい日常に家族のことなど思い出さなくなっていた。

そんな楽しい日常は、2年足らずで破綻してしまったけれど。

 

まあともかくも、親兄弟のことを完全に無視していた生活があったおかげで、

「トラウマ」について突き詰めて考えるようなシチュエーションはこれまでなかったのに、

ここにきてなぜ…こんなにも考えてしまうのでしょうね。

きっかけと言えるようなきっかけはない。

でも、そろそろ自分の中で決着を着けなければならなかったのかもしれない。

もういい歳だからね、なんて。

 

それにしても、このトラウマはきっと

ただ単純な不快感、嫌悪、恐怖などの感情があるということに加え

「自分の兄がまさか」という思い、「兄弟に対してそんなことを思うなんて間違ってる」とか

とにかく自分の中の価値観や倫理観みたいなものがせめぎ合うせいで生まれたのだと思う。

でもこの件に関して、私が悪い点なんてどこにもない。

兄側の感情はどうかとか、そんなこと考えなくていいし、許さなくていい。

だからただ、私は私に「怖かったね、気持ち悪かったよね」と声をかけて、

その心を抱きしめてあげたい。

そして、「今後はもう、そんなことは起こらないし、安全な場所にいるんだから、大丈夫だよ」と

自分をよしよししてあげたい。

そうやって、「嫌だった、気持ち悪かった」と震えている自分を

私はずっと無視してきた。

ほんとうに可哀想なことをしてしまったと、反省している。

ごめんね、自分。

 

うちは母親が毒親っぽかったし、

そんな母は兄のことを甚く可愛がっていたから

母への反感や孤独感、兄への憎しみ、僻み、羨望など

葛藤が生まれやすかったんだと思う。

だから、家族に対して複雑な感情を持つことは何ら不思議ではない。

ただその事実を、私が認めたくなくて、トラウマも意識したくなくて

逃げ続けたツケが、今ごろ廻ってきたのかもしれないと思う。

自分が悪いわけでもないのに、辛かったから、考えたくなかったんだろうなあ。

昔の私、ほんとうに可哀想だ。よしよし。

 

こうやって、自分自身を慰め、支え、励まして

これからは生きていこうと思う。

厄介な感情だから、もしかしたら時間がかかるかもしれない。

だけど、これは認知行動療法だと思って、なんとかやってみたいと思う。

 

もう一度言いたい。

「私はもう安全で、自立していて、何も心配はいらない。

だからあなたはもう気を張り詰める必要も、無理する必要もない。

安心して、今を生きてね。」

 

よしよし。

 

ぼちぼち生きていきますか。