その日、夕凪藩江戸上屋敷周辺では、なんとも言えない空気が漂っていた。

 いかにも人目を避けた怪しげな二人組が、あちこち訪問して回っているのだ。

 道行く人も、各藩の門番も、訝しげにそちらをちらちらと伺う。


 「その方ら……こそこそと何をしておるのだ」

 藩邸の勝手門の脇で、ついに見咎められてひえっ、と飛びあがった人影は大小それぞれ一つづつ。

「そなたらが誰か解らぬ予ではないぞ。手ぬぐいの頬かむりを外さぬか。健次郎に藤吾」

 自分の藩の若様に見つかっては言い逃れの仕様がない。

 覚悟を決めた二人はそっと目配せし合って、手ぬぐいを懐に仕舞って畏まった。

「よい、顔をあげよ。いちいち畏まられると話がしにくい。藤吾、その方らは何故夜盗の真似をしおるか」

「は、我ら、明日の夕刻に催される、さる会合の詳細を聞きこんでおります」

「……普通に聴けばよかろう」

「いえ、夕凪藩の留守居は斯様な事も御存知ない無能者揃いなのかと世間様に笑われまする。ゆえに、ひっそりと情報を集めておる次第で……」

 藤吾の返答に、夕凪藩の若様・瀬戸凪起は苦笑を浮かべた。

「留守居役の出奔という前代未聞の大恥をかいたばかりじゃ、これ以上の恥もあるまい。明日の留守居の会合は、柑橘家の御屋敷、その次は大川に舟を浮かべると聞き及んでおる。我が藩の留守居が新米・若造なのは周知の事実、宴席の隅で畏まっておれ」

 ははーっと畏まった藤吾は、自分の屋敷で首を長くして待っているであろう富山に情報を伝えるべく、すっとんで行った。

 その後ろ姿を眺めながら、凪起は大きなため息をついた。

「健次郎」

「はい」

「藤吾は今年いくつになった」

「25です。たしか、私の亡くなった兄上と同い年と聞いています」

「あの事件から8年か……。いい加減嫁を取らさねばならぬ」

 よき娘はおらぬか、などと思案し始めた若様の腕を、健次郎はしっかりと掴んだ。

「お待ちください……どちらへ向かわれます」

「居室へ戻るに決まっておろう」

「いいえ、そちらの壁の穴から御厩へ抜ける算段にございましょう」

 ばれたか、と舌打ちする凪起に、健次郎の目が釣り上がった。

「お早くお戻りください。奥は大騒ぎにございましょう」

 一体誰に似たのか誰が教えたのか。

 この若様はたびたび勝手に奥を抜け出し、上屋敷内のみならず江戸の町をふらふらするのだ。

「ささ、参りましょう」

 有能な小姓にぴったり張りつかれてはどうしようもない。

 凪起は未練がましく厩の方を見ながら、藩邸へと戻って行った。