新年あけましておめでとうございます。

備忘録で始めたこのブログもこの8月で16年になり、記事の掲載も来月には900回を迎えることになる。家族知人にはこうしたブログを書いていることは伝えていないこともあり、周りには一切話していない本音も記事にして来た。公開しているのは、思考を含め記述内容について、公共良俗に反しないことを心がけたいからだ。もっとも、その心がけの効果の程は正直わからない。また、昨年10月下旬の記事は、私に起こった事象を固有名詞を交えて具体的に記述しすぎ、周りにバレそうになったので、暫定的に非公開としている。書く際に少し気が回らなかったようだ。

自戒を込めてその記事の内容を書くと以下のようになる。

10月下旬の海外出張の際、ホテルの部屋で心筋梗塞の発作を起こし、地元の病院に運ばれて集中治療室(CCU)に収容されてしまったのだ。CCUでの担当医師との会話内容を交えながら、カテーテル手術を受けたことなどの当時の状況などを帰国の途につく直前、空港搭乗口待合席にて書いた記事であった。ちなみに、CCUに収容された翌日、つまり一泊しただけで退院した。

10時間以上のフライトで帰国後の翌日は、どうしてもせねばならない仕事の整理で終日、会社で就業後、ネット予約のとれたクリニックに行った。クリニックの院長宛てに、帰国前にメールを出したのだが、すぐに返信が来たので、そこに決めたのだ。少し歩くと息切れするような病状で、入院を強く勧められたが、11月初旬の3連休が控えていたこともあり、その日は帰宅して様子をみることにした。しかしながら、自宅療養中に一旦持ち直したかに見えた症状が悪化、連休後に再訪したクリニックから救急車で総合病院のCCUに運ばれた。一週間の間に海外、国内合わせて二度集中治療室に搬送されたことになり、この事実については大いに反省した。もっともそこも諸事情により4泊で一般病棟にもうつらずに退院。その後1週間、自宅療養して出勤を再開した次第。海外での発作後、2週間ほどで仕事に復帰したことになる。帰国後、塩分控えめの食事、水分制限、アルコールを絶っての生活を続けた。ただ、運動に関しては、距離は15キロまでの長距離散歩を11月下旬から再開した。師走に入ると節酒しつつもアルコールも解禁した。年末の28日にクリニックで受診時に医師に言われたのは、まだ急性期なので運動などは自重すべきということであった(医師によると、こんなことをして何もなかったのはたまたまとのこと)。

海外での当初の診断は鬱血性心不全を合併する心筋梗塞だったが、カテーテル手術の結果、冠動脈閉塞や硬化が見られなかったこともあってか、帰国してからの病名は単に鬱血性心不全であった。原因はわからず、蛸壺心筋症、MINOCAなどがあがったが、10月下旬の海外出張直前に受けたコロナワクチンが誘発する心筋症も関連するかもしれないとのことだった。原因はともかく、私のような発作を一度起こしてしまうと、臨床としては予後は良くないようなので、つまりは品行方正にしないといけないのだ。

昨年11月以来、上記のような背景のもとにこのブログを書いて来た。その上で年始めに、今年はどう過ごすかを考えてみた。結論は単純で、無理はしないということだが、これは既に始めていることでもある。例えば、駅階段で電車の発車ベル聞こえたら、以前は駆け上がり、或いは駆け降りてホームにダッシュしたものだが、今は悠然と歩き、ドアが目の前で閉まるのを許容している。先月の忘年会の際、日本酒も二合までと決めてゆっくりと楽しんだ。好きなラーメンも週末のランチのみにし、通常の食事も減塩で我慢している。趣味の長距離散歩も上述したように山手線一周のような40キロ超は自重し、ゴルフもずっと控えていた。今年に入ってから練習再開、勢いでラウンドも既に一回してしまったが(スコアはやっと100切りの96)、今後は多くても月に2回くらいのペースでやるつもりだ。そういえばサウナも今年に入って再開したが、一気に30分入る利用法を心臓への負担を考慮して10分を3回にしようと思ったのだが、そのサウナの温度が90℃弱とやや低いこともあってか、10分経過時で体が温まらないので、結局、30分一本勝負になってしまった。触診にて脈拍の変化に留意したが、通常60−70なので、90を超えたら出ようと決めていたものの、80に届くことはなかったのだ。この程度の温度と時間では、心臓への負担はあまりなかったのだろう。今年は基本、これらを継続するのが良いのだろう。これが標題への答かもしれない。

以前のような行動はできないのは仕方のないことだ。さまざまな制約の上での生活となるが、そこに楽しみを見出すことにしよう。

 

以上が年頭にあたり考えたことだ。この週末の3連休はどこを歩こうかな。

 

 

 

ある大企業OBで現在ベンチャー企業の顧問をしている方と話をする機会があった。私は単刀直入に訊いてみた。

私:「第一ラウンドで総取りしたにも関わらず、結局、全面撤退というのはいかがなものか」

OB:「あの発表の後に会社の株価は上がったので、市場は会社の決定を支持したことになり、経営的には正しい判断であった」

株式会社だから株主の意向・利益を考慮するのはその通りだ。だが、この会社のような大企業になると、社会貢献ということがあり、他の応募企業を蹴散らしてまで獲得した公共に資する事業を、放り出してよいものなのか。法的には問題ないのかもしれないが、名門大企業としての矜持はないのか、と思った。再生可能エネルギーは、安定供給という点では、どうしても自然に左右されるので難しいのは分かりきっていたことだ。私は将来、この大企業による取り組みがプロジェクトXになるようなものを期待していたので、残念と思う前に呆れている。この会社のホームページには、以下の記載がある。

「企業は社会の一員として社会貢献事業を積極的に行うべきで、そのための経費は企業が社会で存続するための社会的経費(ソーシャルコスト)として、利益を得る前に負担しなければならない」

こんなところで苦言を呈したところで、何にもならないことはわかっているが、備忘録でもあるブログなので、年末にふと思ったことを書いてみた。

 

父母の墓は、武蔵野台地を刻む荒川支流を見下ろす高台の寺にある。父親が21年前に亡くなり、8年前には母親もこの墓に入った。父母とも誕生日と命日が同じ月で、父親は7月、母親は4月だが、法要の年にはこの4月、7月、そして春秋の彼岸、盆、年末の年に4、5回墓参りをし、清掃、供花をして線香をあげてきた。今年は本日、寺に行ったが、俗世との境の山門から高台を一気に登る急な階段は、うっかり転びでもしたら大変なので、慎重に足元を見ながら歩いた。午前9時半頃だったが、墓地を見渡すと供花のある墓はまだまばらであった。檀家の多くが寺の近くに居住しているが、年末のお参りはこれからのようだ。年明けには、姉夫婦が娘を連れて墓参りするだろうから、いつもと同じ年末、年始を父母は迎えることになる。来年は父親の二十三回忌だ。

 

10月下旬に三途の川を渡り損なったたこともあり、さすがに極楽とんぼの私といえども年末恒例の40キロ超の山手線一周徒歩は今年は自重した。もっとも、先月下旬の毎週末、10ー15キロ程度の長距離散歩をやってきたが、医師の見解はともかく、歩いた後の気分は良いので、来年暖かくなったら一度、年末に限らず挑戦してみようかなと思っている。年明けは、北茨城の温泉施設が付随するゴルフ場の3泊予定だ。医師からサウナの許可は出ず自己責任と言われたが、リハビリのゴルフ練習と湯治をゆっくりしてこようと思う。

 

最後に偉そうなことは言えないが、私の矜持は一所懸命ということかもしれない。一生懸命ではない。

 

本ブログ記事を訪問された方々、どうぞ良いお年をお迎えください。

 

 

 

 

若い頃は目だけは良かったが、寄る年波には勝てず、老眼鏡を作る次第となった。

昨年前期高齢者になったことを考えると、裸眼で持ち堪えた方だろう。通勤電車内は、私にとって読書の場だが、細かい字の判読が困難になってきたのが理由である。目を凝らさないと漢字や数字も6、8、9の判別がつかなくなった。解決策として読書の際はメガネの助けを借りようと決心した次第。

まず某メガネチェーンを訪問した。若い女性店員が視力検査などを対応してくれたのだが、初めての私には珍しいことばかりで、色々と質問すると面倒くさそうに答える態度は気になったが、まあ、我慢した。そして、レンズが決まりフレームを選ぶのだが、彼女の適切なアドバイスのおかげもあり、価格、デザイン、機能で気に入ったものを指定した。レンズを加工してそのフレームに装着するのに40分程度かかるというので、その間、同じビル内のゴルフショップにでも行こうかなと思いながら、求められるままに料金を支払おうとしたら問題が発生した。説明時に聞いた値段では売れないと言うのだ。レジで品名をスキャンして入力したところ、聞いていた価格の5割増の値段が表示されるというのだ。その店では、フレームに値段によって色別のシールが貼ってあり、女性店員はその色に基づいてその製品を値段も含めて説明したのだが、違っていたというのだ。入力の間違いではないかと言ったら、会社のシステムなのでそのようなことはなく、このフレームだと先に聞いていた価格の5割増になるので、その値段を払うか、別の安いものを探せという。マニュアル通りだとこうした対応なのだろうが、私としては納得できず、別のものを選んでも同じことを言われると困るので、なぜそのようなことになったのか、ちょっと確認してもらえないか、と言ったところ、渋々とその作業を始めたのだが、5分くらいして理由が判明した。フレームに貼ったシールの色の価格が適用されるのは、今月25日以降に予定されているセールが対象となることがわかったのだ。それが何かの手違いで、フライングして安い価格のシールを貼ってしまったらしい。そのために、スキャンして提示された価格と一致しなかったのだ。そしてその女性店員は再度こう言った。セール開始後に再度来店したらこの価格で売るが、今買うのであれば、5割増の値段を払うか別の安いフレームにしろと。そのフレームが気に入っていたが、この展開はおもしろくない。わかりました、それならば結構です、と言って店を後にしたのであった。

その後、別のチェーン店に行ったのだが、ここの対応は丁寧でわかりやすかった。30分くらい前にしたレンズ選びのためのその日2度目の視力検査をされたのだが、最初の店で聞いた質問プラスアルファをしたが、対応してくれた中年の男性店員の説明は明確でわかりやすかった。フレームを選ぶ際、料金体系などの説明も的確で、何度も掛け直してチェックする時間を楽しみ、結局、半額セールの一番安いものを指定した(ちなみに、税込4950円)。値段はピンからキリまであったが、これはキリのエンドメンバーだ。レンズ加工の待ち時間はその店は30分とのことで、同じ階の本屋で久しぶりにじっくり本を見ていたら、あっという間だった。

老眼鏡を通してみる文字は、別世界のものだった。当たり前だが、目を凝らすことなく明瞭でちゃんと文字を識別できる。読むスピードも早くなり、疲れも感じなくなった。若い頃はこうだったなあと感慨に耽りながら、電車内の読書を楽しんでいる。

 

Z1 900

先日ネットニュースを見ていたら、ある俳優が改造した五十年以上前に生産された自動二輪の査定をしてもらったところ、2000万円の値がついたということだった。そのバイクはカワサキのZ1 900。私も35年前、米国駐在時に1973 Z1 900に乗っていたので懐かしくなった。その俳優は、エンジンを1100CC超にボアアップするという改造を加えていたようだが、私はヒューストンのバイク屋で見かけたZ1 900をノーマルのままレストアして通勤などに使っていた。ハイウェイを走っていると、広い中央分離帯の反対方向から走ってくるハーレーなどによく手を挙げて挨拶されたものだ。帰国の際に日本に持ちかえることも視野に入れて調べたら、運搬、日本の法規制に合致するための整備、書類などで時間、費用、手間がかかることがわかり、断念。地元紙の広告欄にfor saleで出したら、すぐに買い手がついた。バイクも製造する日本の自動車メーカーの米国法人に本社から派遣されていた日本人だったが、米国での免許を持っていないという。友人運転のトラックで取りに来た。転売したのかもしれないが、提示価格が購入時より高かったので、売ることにしたが、なんか寂しかったのを覚えている。飼猫を三味線屋に売ったような、そんな気分だった。

自分自身を揶揄したら、この表現がぴったりかもしれない。

仕事上のことでは、準備段階ではかなり悲観的に物事を考えて、あらゆる場合を想定して準備するが、実際にことが始まったら楽観的に進めるようにはしているものの、かなり慎重な方である。しかしながら、自分自身のことになると、どうもこうした思考が取れないところがある。無意識に自分は大丈夫という信仰があるわけでもないのだが、後から考えたらかなり無謀なことをしたなあと思うことが少なからずあるのだ。10月下旬にカナダで発症して以来の一連の行動もそうかもしれない。CCUに移送され、1週間程度は絶対安静が基本なのに、一泊しただけで退院、10時間以上のフライトで帰国したのは、正直、我ながら呆れる。カナダでのCCUで主任医師には、心臓をエンジンになぞらえて私の心臓は4つのシリンダーのうち、一つ(左心室)がほとんど動いていない状態だという。その時、酸素マスクをはめられていたが、「いや、私はターボエンジンだから大丈夫だ」と言ったら、その医師の笑いはとったが、呆れていた。帰国後はクリニックから運ばれて再度CCUに入院する羽目になり、4週間といわれたのに4日で一般病棟に移らず退院したが、仕事を含めた諸事情があったとはいえ、無謀以外のなにものでもない。こうした一連の行動が結果として寿命を縮めているかもしれないが、だからといって、当時のそうした自己判断・言動・行動を正当化はしないが、悔やむ気持ちもないのも事実だ。医師の指示に従ったら、いまだに入院であることを考えると、つまりは、私は標題通り、極楽とんぼなのだろう。もっとも、一方で先月中旬から職場復帰し、普通に生活もできている事実がある。12月6日にクリニックに行った際も、ゴルフ、アルコールの許可も得た。ただし、色々と注文はつけられている。気温とクラブを二ヶ月握っていないことも考え、ゴルフは年明けに予定している湯治の際に練習から始めることにしよう。アルコールの方は節酒に心がけよう。

 

君の瞳に乾杯!

話題は変わるが、先月下旬に関連プロジェクト関係の外国人4人と前勤務先東京事務所で打ち合わせをすることになっていたが、その予定時刻決定後に、私が幹事を務める団体が同じ時間帯に某国連機関長の講演会・懇親会が開催することになり、打ち合わせ時刻を前倒しに予定変更が可能なことがわかり、彼らを連れていくことにした。そうした経緯もあってか、講演会後の懇親会で乾杯の音頭を依頼されてしまった(もちろん、その時の私は烏龍茶)。自分自身、明るいところに出る身分でないことはわかっているが、浮世の義理でこの役を引き受けたのだが、この時に何を言おうかと考えた際のことだ。もちろん、使用言語は英語で本来はcheersかtoastだが、ここは日本なのでkanpaiとしたのだが、そこで思い浮かべたのが映画「カサブランカ」でハンフリー・ボガートがシャンペンを飲む際にイングリット・バーグマンにさりげなく言った「君の瞳に乾杯」だ。この日本語から実際のセリフでは、toast to your eyesとでもなるのだろうか、と学生時代から思っていたのだが、35年前に米国滞在中に英語版のビデオをレンタルした際に確認したら以下のように言っていた。

Here is looking at you, kid.

調べてみたら、乾杯はhere is to とも言うようだが、この場合は不定詞でなく動名詞としているが、そういう言い方もあるのだろう。内容を踏まえた直訳は「お嬢さんに乾杯」くらいだろうと思うが、よくもまあ、あのように訳したものだ。訳者の感性に乾杯!だ。もっとも、日本語でも英語でも、私には女性に対して、とてもじゃないが、こんなことは言えない。

ところで、ハンフリーボガートは、別の場面では、ある女性から「あなたはとても強いのに、なぜそんなに優しいの」と言われた時、

「人間は強くなければ生きていけない。優しくなければ男じゃない。」

と言っているが(多少記憶は曖昧)、当時学生だった二十歳そこそこの私の心にこの言葉は刺さった。依頼、それを座右の銘にして生きてきたつもりだが、その通りに時を過ごしてきたかというと、「強さ」履き違えてきたかもしれない。

 

今日の午前中は東京では久しぶりに雨が降りましたが、今は止んで、明日からは晴天のようだ。実は、明日は職場の飲み会がある。久しぶりだが、日本酒は二合程度までと固く心に誓っている。

 

 

外国人の国内での悪行はどうしても目立ってしまうが、ほとんどの外国人は我が国でも普通に穏健に行動しているのだろう。もっとも、人が良い(悪い人もいるが)我が国の国民性は、ある特定の国にはあらゆる意味でカモになっているようなのは残念だ。具体的には書かないが、自国の利益最優先のみではこの世は成り立たない。もっとも、米国はMAGAなど、近年どうかと思うところもあるが、もっと酷い国々が念頭にある。

9月下旬から10月にかけて米国、10月下旬にカナダに行ったのだが、その時に感じたことを書こうと思う。両国とも移民の国と言ってよいが、彼の地の移民はたくましく、社会を支えている。

米国で宿泊したホテルでは、二人のフィリピン人男性がフロント、バーで責任者的な立場であった。フィリピン出身とわかったのは、もちろん、会話をして私が質問したからである。年齢は二人とも50代半ばと60代前半で、手際良くそれぞれの業務をこなしていた。だが、よく見ると、興味深い対応をしているのだ。つまり、同胞やラテン系のいわゆる移民と思われる客に対する対応だ。ホテルバーでカウンターに座り赤ワインを飲んでいた時のことである。そのバーでは軽食も提供していたのだが、日本語でいうテイクアウト(order to go)も受け付けていて、ある時、上述したような非白人系の客がオーダーしたものを外から取りにきた時だ。客が料金を払おうとしたら、「待った」のようなそっとした仕草で手を出して、持っていけみたいな雰囲気でそのまま持ち帰らせていた。想像するに、雇用主にバレない範囲で、自分の管轄下ではこうした行為が一般的なのだろう。そのフィリピン人男性は二人とも米国に来たのは30年以上前だという。当初は様々な辛酸を舐めたことは想像に難くないが、互いに助け合うこうした行為は、雇用主からはとんでもないことだろうが、これはこれでありだとなんとなく思った。思えば、私もスタンダードを予約したのにジュニアスイートの部屋に通してくれたし、料金に付帯していない朝食とバーのドリンク券をもらったのだから、恩恵にはあずかっているのだ。

カナダでは、空港からホテルまでの往復のタクシーがインド人の男性ドライバーだった。往路で世話になったインド人は、私より少し年長でカナダに来て以来、半世紀とのこと。カナダで生まれた息子は医師になり、娘は会計士になったそうで、4人の孫がいるそうだ。子供が優秀だったのは間違いないが、タクシードライバーをして育ててくれた父親の苦労を見て良い子に成長したのは、親子ともども立派だと思った。復路のドライバーは、私と同年代だったが、こちらは奥方に対する不満を大分聞かされたが、異国の地にしっかり根付いているようなのは、やはりリスペクトに値すると思った。CCU入院時に担当だったのは、韓国出身の49歳の男性看護師だ。本当に親切に対応してくれた。祖国よりカナダの方が医療系の資格を活かしやすいとのことだが、来加当初は人に言えない苦労もしたようだ。病室の清掃担当は、私と同年代のフィリピン人女性だったが、どうみても10歳以上は若く見える、アイドルのような雰囲気をもった可愛い方だった。世間話を結構長くしたが、かなり癒された。

今後、我が国は外国人に対して、色々と規制をかけるようだが、必要なことは迅速に対応してもらうにしても、その結果、短期的には就業目的の入国は減るかもしれない。だが、国内で外国人労働者の需要がある現状では、長期的には、移民の数は増えるだろう。日本ならではの迎え方をして、彼らが社会の発展に寄与するような、そんな世になれば良いと感じた。

ふと気づいたら、もうすぐ5時半ではないか。今日も笑点、サザエさんを見て大いに笑うことにしよう。

しがらみなく、自由に備忘録として15年前に始めたこのブログだが、家族や周りの人とは一切、話題にしたこともないし、知られたくもなかったのだが、どうも気づかれてしまったと思われることがあったので、しばらく様子を見ていた。

まだ若干、疑心暗鬼なのだが、せっかくここまで続けてきたこともあり、家族や知人にカミングアウトすることも頭をよぎったのだが、本音や誰にも話していないこともこれまでこのブログで書いてきたので、それはやめよう。

ここしばらく私に起こったことで、体調のこともあるので、標題通り、いろいろな意味でしばらく良い子でいようと思う。私は元気だが、今となっては、思っていたよりも長く生きることはできないかもしれない。大酒も飲めないし、超長距離散歩もできないが、まあ、それは仕方のないことだ。先ほどまで、のど自慢を見て楽しんでいたが、夕方は笑点、サザエさんを見て笑おうと思っている。

 

明日から師走だ。体に気をつけて、すべきことをこなさねば。1日、1日を大切にしないといけないものなあ。

私には縁遠い言葉と思っていたが、3週間前にカナダで発作を起こして以来、文字通り酒も飲まずに品行方正に過ごしている。もっとも、かかりつけ医師の懸念をよそに先の土曜日から通勤を開始しているから、そうともいえない面があるかもしれない。医師はどうしても安全サイドでものを言うので、その点はある意味、自己責任・自己判断なのだが、当然ながら周りに迷惑をかけないようにしないといけない。

先々週土曜日にCCU退院以来、体調はよく、これまでの生活を再開したい要求はあるが、今は我慢というか節制と心がけている。ただ、水分制限(1日1.5リットル)、塩分制限(1日6g)があるので、生ビールをガバガバ飲むなんてことは夢のまた夢。居酒屋で熱燗を飲むのは塩分たっぷりの酒肴を考えたら遠い先のことかもしれない。この3週間で体重は6キロ減り、さらに減少傾向があるようだが、しばらくは文字通りじっと我慢なのだろう。

ところで、はからずもカナダと日本でCCUに入院する羽目となってしまったが、簡単に比較をしてみたいと思う。もっとも、カナダでは本当の急性期、日本では一息ついての急性期なので、その点の違いはあるかもしれないことを断っておく。

 

看護師:カナダでは韓国出身の男性(49歳)が担当だったが、他の看護師(女性が多い)ともども日夜、頻繁に面倒を見てくれた。総じて、とても親切で労ってくれたが、面倒見の良さには気持ちが入っていたような気がする。カナダのCCUは一晩滞在しただけで無理やり出てきたが、退院の際に処方してもらった薬を私は病室に忘れてしまったのだが、担当看護師がホテルまでわざわざ届けてくれた。

一方、日本では、全員女性看護師だった。マニュアル通りに従った看護という印象で、何かを依頼したら対応はしてくれたが、カナダのような普通のコミュニケーションはほとんどなかったような気がする。母国語の日本語よりも英語の方が会話がはずむのは皮肉なものだ。また、少しでもマニュアルからはずれると、あくまでも規則通りに物事をやろうとする。もちろん、これはこれで良いのだが、患者の状況や希望をもっと聞いてくれてもよいような気もした。

 

医師:決定的には違うのは、カナダでは必ず名を名乗っていたことだった(もちろん、ファーストネームだったが)。また、カナダではCCUのDivision Headの医師も頻繁に病室に足を運んで診てくれて病状説明などは非常に詳しく話してくれた。質問にも明確に答えてくれて、コミュニケーションが濃密にもてたことは私が今後を判断する上でも非常に役に立った。

日本の医師はこれとは全く違った。名乗ることをしないから、ユニフォームからでは、入院初心者の私から診たら誰が医師かどうかもわからないのだが、決して名乗ることはしない。したがって、いちいち確認せざるを得なかった。また、CCUに運ばれる前だが、症状はよいとしても原因について仮定の話を断定的に言うのもどうかと思った。一番困ったのは、看護師ステーションまでは足を運ぶものの、実際に私を診ることはほとんどなかったことだ。看護師を介して回復状況についての医師の見解を確認するばかりだった。カナダと違い、CCUの責任者は5日間の滞在中、一度見かけただけで会話をすることは皆無であった。

 

CCUの個室設備:ベッドについては圧倒的に日本の方が良かった。しかしながら、心電図はカナダでは無線でデータを転送していたが、日本ではケーブル回線によるもので、そのために動きを制約されたことだ。また、カナダのCCUにはトイレがあったが、日本のCCUにはなく、生まれて初めて尿瓶を使用させられた。

 

総じていえば、カナダでは患者にそった対応を心がけているようだったが、日本では病院側の都合が優先するようなある意味、機械的な対応だったような気がする。もちろん、カナダの病院には無事帰国した旨の感謝メールを出し(すぐに返事が来た)、日本では退院の際に福砂屋のカステラを大量に看護師ステーションに届けて謝意を表したのは言うまでもない。おかげで重篤な状況を脱すことができたのだから。

 

だが、結論としては、いずれにしても、2度と入院、特に集中治療室には入らないということだ。そのためには、しばらくは品行方正でいないといけない。

 

 

先月30日木曜日夜カナダから帰国し、翌31日金曜日は終日会社で勤務後に、カナダから予約の取れた通勤途中駅から近いクリニックに行ったのだが、症状は好転しておらず入院を勧められた。夜だったこともあり、翌11月1日から3連休はカナダで処方された薬を飲みながら自宅療養して経過を見て、よろしくないようなら連休後に再度伺います、と言ってクリニックを辞した。連休中は小康状態で、3日(祝日)午前中にはかなり気分も良くなり、翌4日の出社も視野に入ったのだが、同日夜から急転悪化し、結局、4日は再訪したクリニックで救急車を呼ばれ某総合病院CCUに収容されてしまった。前週のカナダでのCCU入院以来、帰国後も集中治療室となってしまった。これは大いに反省せねばならない。

CCUに搬送されたときは、呼吸不全だったようで、息が苦しく足指にはチアノーゼが出ていたが、酸素補給ですぐに回復。以後、回復するにつれて酸素供給濃度を下げながら、呼吸回復と心臓の動きをサポートする点滴などを打たれた。収容された夜から出された食事は全て食べるようにした。医師には幾分、無理を言って一昨日土曜日にCCUを退院し、自宅療養に切り替えた。つまり、現在、自宅にて書いている。

CCU滞在中に数値も具合も全て良くなり、現在、体は順調に回復に向かっているのが自分でもわかる。もちろん、今週中は自宅でおとなしく処方された薬をしっかりと飲んで静養につとめようと思う。

2週間前にカナダで発病して以来、一滴も酒は飲んでいないが(当たり前か)、これだけのインターバルは人生で飲酒を始めてからは初めてだ。今後はこれまでのような生活はもうできないだろう。以前のように熱燗を一升飲んだり、5万歩歩くなんてことも無理かもしれないが、帰国後診てもらったクリニックの医師が今後のかかりつけ医となるが、この医師と相談して、しばらくは無理せず生活するしかないようだ。

現在、快適な気分でこのブログを書けていることに感謝するのみだ。

このブログはYahooブログとして15年前の8月に始めたものだ。Yahooのブログ撤退に伴い現在のAmebaに移ってからどのくらいの期間が経っているかすぐにはわからないが、コロナより前だったとは思うが、10年以内だと思う。ブログを始めた頃は毎日書いていたが、今思えば、よくもまあネタがあったものだ。そんな頃を思い出したくもあり、先日もこのブログに書いたように最初から全記事を見直す事業に取り掛かっている。ついでにこれまで気づいても修正することのなかった明らかな誤変換などの間違いも直すことにしたのだが、本日、15年前に始めた月(8月)の全記事の再訪を終えた。読んでいて結構面白いものもある一方、私の思い入れが強く、他人には理解いただけないようなものもあったが、当時の記憶が蘇り、備忘録としてこのブログを始めたのは正解であったと改めて思った。

ところで、現在これを書いているのは25日(土)夜9時過ぎの羽田空港だ。昨日、神戸に日帰り出張したが、これからカナダ・ヴィクトリアに出張だ。国際シンポジウムに出席するためだが、今年は6月のフランスから毎月、7、8月の一ヶ月の絶海の孤島を始めとした国内外の出張が続いているので、さすがに前期高齢者の私には体力的にきついが、海外出張は来年3月のマレーシアまではないので、ここは頑張りどころだ。もっとも、来月も国内とはいえ、二泊三日が下旬に2回あるので、体調管理は大事だ。

その体調管理の一環で先週、臨時休診で果たせなかったインフルエンザ・新型コロナのワクチン接種を今週火曜日に近所のクリニックでやってもらった。会社の規定で出張期間中の週末は振休とせねばならず、火曜日に急遽取得したこともあり、予約不要のこのクリニックを再訪したのだ。女医さんが直接打ってくれたが、どの程度の難易度かはわからないが、全然痛くなく、これまでで一番早く終わったような気がする。もっとも、接種終了後に今晩の風呂は良いが飲酒はダメというので、医師としてそういうのはわかるが、毎晩やっている晩酌をやめることはできないので、嗜む程度にしますと言ったら、笑っていて、それ以上、何も言わなかった。ただし、これはあくまでも私の場合である。人によっては、接種だけで重篤な状況になってしまう方もいるので、十分にご注意いただきたい。私はどんなに船が揺れても船酔いしないし、こうした接種も影響がないのは、両親に感謝しかない。

ヴィクトリアのシンポジウムは、絶対に寝てはいけないセッションがあるので、氷嚢をスーツケースに入れておいた。宿泊ホテルの部屋には冷蔵庫があるので、氷嚢に氷を冷やしておいて、眠くなった場合は顔、首などにあてて耐えなければならないのだ。氷嚢の冷たさは非常に効果があるのは体験済みだ。出番はきっとあるだろう。

カナダの西海岸は四半世紀以上前にバンクーバーに出張したことがあったが、それ以来である。気温を調べたら、最低、最高はどうも東京の12月くらいのようなのと、連日雨予報なので、今週まで半袖で出勤した私も流石に冬支度をそろえた。今度のホテルはわりと深い浴槽があるようなので、到着は夜なので、まずはゆっくりと湯を張って温まろうと思う。

初訪問のヴィクトリアは、事前に調べたら美しい街のようだ。四泊の滞在だが、シンポジウムとともに楽しめたらと思う。というか、現地時間で26日、27日、28日と三日連続でレセプションがあり、地元の料理とワインは多分、十分に味わえるものと期待したい。実は、来月下旬に東京でこのシンポジウム参加者をお迎えるするのだが、今から何を食わせてやろうかを考えている。食事はやはりとても重要で、アルコール飲料は良い潤滑油であるのは万国共通だと思う。それではもう少しで搭乗だ。行って参ります。

 

再会

私がこのブログを書いているのは家族も含め周りの誰も知らないこともあり、記事には固有名詞を書かないようにしている。思いの丈を気兼ねなく書き残したいという思いがあるからだ。公開しているのは、社会通念上の節度を保つためである。もっとも、私は市井の前期高齢者のおやじだ。誰も気にもかけないだろうから、今回は毎朝通る勤務先最寄駅S駅に関することを少し細かく書こうと思う。多分、近くにお住まいの方にはわかると思うし、そうでない方にも想像はつくかもしれない。

先月から国内外の出張続きで、先週の月曜日(6日)半月ぶりに出社したのだが、S駅は利用できなかった。通勤区間の一部が事故のため始発から終日運転を見合わせていたからだ。翌日(7日)は始発から利用路線全てが平常運転だったので、久しぶりにS駅で降りて改札に向かったのだが、駅員が対応する窓口が以前は改札口に向かって右側だったのが、左側に移動している。改札を出ると進行左側に切符券売機が設置されていた。少し広くなった階段を上って地上に出る時にようやく気づいた。昨秋からの駅舎工事の一部が終わったようなのだ。

階段を上り切った右側歩道には、以前は元気よく手を挙げている兄妹の像が立っていた。工事が始まり、そのために設置された囲いでこの像が見えなくなってしまい、時折、姿が見えない兄妹像に想いを馳せたものだ。この日は階段を上り切る直前に、木で構築された新しい駅舎の屋根に、一瞬先に目を奪われてしまったが、即座に右側に目をやると、あの兄妹が以前と変わらず手を上げて立っている姿が視界に飛び込んできた。一年ぶりの再会の瞬間であった。以前のようにこの兄妹の像から元気をもらえることになるのだな、と考えたらなんとなく嬉しくなった。駅を出てすぐ左手にある神社の鳥居の前でいつものように立ち止まり、奥の本殿に向かって深々と頭を下げたのであった。歩道に鳥居が面していたら、素通りはできない。敬意をもって礼をするようにしている。

この兄妹像の表情は、放映しているアニメよりは原作初期のそれに近い。海外駐在などのために視聴しない時期もあったが、毎週日曜日の夕方、小学生の頃から見続けてもう半世紀以上になる。永遠に老いることのない小学3年の妹、小学5年の兄と、通勤の際の朝と晩に心の中で会話を交わすことだろう。

 

山入城

先週から今週にかけて北茨城の温泉施設のあるゴルフ場で湯治をしたことは前回書いたが、12日(日)は前日の雨から晴天となったこともあり、早朝から長距離散歩をした。いつもの長距離散歩は距離を稼ぐために寄り道はほとんどしないが、この日は痛めた右腰のリハビリも兼ねていたので、基本、ゆっくり歩き、途中、なにか興味を引いたものがあれば、立ち寄ることを決めていた。六地蔵という、安産祈願で妊婦がよく訪れたという所を過ぎ、山田川を渡ってから低山の麓を上流に向けて歩いて目に入ったのが、「山入城跡」という道標であった。興味が湧き、そのまま導かれるように矢印の方向に進んだが、しばらくして後悔した。というのも、道も舗装されており、きっと小さな山城ですぐに到着するだろうと思ったのだが、道の傾斜はどんどん険しくなり、ついには急旋回して上っていく本格的な狭い登山車道になってしまったのだ。登りながら、ここは本丸だったのではないかなどと想像できる所も通り過ぎながら進んだが、道標もなく舗装道は途切れ、そこから先は徒歩でしかいけない登山道となっていた。登山道入り口付近でようやく見つけた地図を見たら、城の遺構自体はそこからさらに標高190m弱の要害山頂まで続いているようだったので、半分意地でそのまま進むことにしたが、前日の雨で頂上付近の狭い登山道が滑りやすくなっており、怪我(&遭難)しないように結構気張って歩く次第となってしまった。築城は700年近く前らしいが、よくもまあ、あんな山の中に建てたものだ。室町幕府時代に居住していた山入家が本家の佐竹家と100年ほど跡目相続などで争って、結局負けたようだが、落城したことはないようだ。低山とはいえ結構な山城だったので、攻められることもなかったのだろうか。この日のランチは「藤ひろ」という和洋中華ありの店に入った。1500円もするデカ盛り(2人分らしい)の野菜旨煮ラーメンを食べたが、量が少な過ぎて物足りなかった。会計時に店のおばちゃんから、全部食べられました?と聞かれたので、少なかったと答えたら驚いていた。

 

居住する区では前期高齢者はインフルエンザワクチンは無料、新型コロナワクチンは2500円で接種できるので、今朝、予約のいらない近所の内科クリニックに朝一で行ったら、臨時休診だった。今日は、終日外勤で会社に出勤予定はなかったので、予定が大幅に変わることはなかったが、このように良いこと悪いこと、常に起こるもなのですね。