60年ぶりに巡ってきた丙午。この年に生まれた女性は「気性が激しく、夫の命を縮める」という迷信があり、前回(1966年)の年の出生数は前年に比べて25%程度減ったという。昭和の高度成長期であったが、この事実とのギャップは興味深い。この迷信の由来は、「選択」今月号の石井妙子氏の連載「をんな千一夜」で初めて知ったが、江戸時代前期の「八百屋お七」だという。火事で焼け出されたお七一家は、近くの寺に避難した際、お七は寺の若い男に恋をした。新たに建てた家に戻ったもののその男を恋するあまり、もう一度焼け出されて寺に行けば再会できると自宅に放火した。放火は大罪である。16,7歳という年齢で、お七は鈴ヶ森の刑場で火炙りの刑になった。もともと、丙午の年は災害が多いと忌み嫌うむきもあって、お七が丙午の生まれであったことから現在のような迷信になったというのだ。

 

丙午の女性は私より7歳年下だが、40年くらい前にこの年生まれの女性と縁(えにし)があった。甘く苦い思い出である。待ち合わせ場所だった、渋谷ハチ公や六本木のアマンド前の景色は私の中では当時のままだ。今はどうなっているのだろう。新宿も懐かしい。歌舞伎町やスタジオアルタのある東口にはめったに行かず、西口専門だった。線路わきには当時、しょんべん横丁と名のついた飲み屋街があったが、あの汚さが懐かしい。

 

出身高校が今年度で閉校になることは以前書いたが、記念行事があれば参加しようと先月上旬に電話したら、特に予定はされていないが、何かあれば高校のホームページに掲載するということだった。先月末くらいまで1,2度ホームページをのぞいてみたが、何もアナウンスはない。このまま、母校は静かに終わるのだろうとほぼ諦めて先週金曜日(20日)に久しぶりにホームページを見たら、その翌日の土曜日2月21日に吹奏楽部の最後の定期演奏会が母校体育館であり、3月7日(土)の閉校式を兼ねた最後の卒業式には、特別扱いはしないが、旧職員、卒業生も出席できると案内が掲示してあったのだ。本来なら、取り壊される予定の母校校舎を訪問して見納める良い機会だ。万難排して行きたいところだが、先週土曜日の吹奏楽部のコンサートは週末だが会社で終日会議があり、3月7日(土)は午後1時から都内某所で仕事関連のシンポジウムがあるのだ。週末はいつもなら空いているのに、なんたる間の悪さ。縁がなかったのであろうか。

 

こんなことってある?

3連休真ん中の2一昨日2日(日)は茨城県南のメンバーコースでプレーしようと午前7時過ぎにゴルフ場に到着したのだが、支配人、レストランマネージャー他、ゴルフ場の面々が何人も玄関に出ている。何事かと思ったら、話をしたレストランマネージャーによると、原因不明の停電が突然発生、営業できずクローズだというのだ。連絡しようにもパソコンが使用できず来場者情報が閲覧できずにできなかったとのことであった。こんなことは初めてのことだが、ビジターで来場した方にはガチで怒る人もいるのではないかと思った。その後どうなったのかはわからないが、今週土曜に行く予定なので、ことの顛末を聞いてみよう。この日、ゴルフ場で門前払いされた後、どうしようかと考えたが、東京からわざわざ利根川を越えて来たのだ。そのまま何もせずに再度利根川を渡って帰るのも芸がないと思い、以前行ったことのある北茨城のコースに電話したら、混んではいるが、午前10時過ぎならスタート可能とのこと。さらに北上して那珂川、久慈川を越えた次第。スタートが遅いのでプレー終了は午後4時半。自宅を出てから既に11時間経過していた。そのゴルフ場には温泉とサウナとともに宿泊施設があるのだが、部屋の空きはあるというので、疲れていたこともあり帰宅する気力もなく急遽宿泊することにした。おかげで、じっくりと温泉とサウナを堪能し、冷たいビールと熱燗を楽しんだら、ぐっすりと眠れた。急なことだったので、夜に服用する処方薬2種類を持ち合わせていなかったが、以前、クリニックの医師には一、二日であれば服薬しなくても問題ないと聞いていたこともあり、この日の夜の薬はスキップした。翌朝(23日)は渋滞にあわないように早めに出発し、帰宅したのが午前11時頃だったので、すぐに朝用の7種類の薬を服用した次第であった。私は生涯服薬となる体となってしまったが、同様の事態を想定し、1日分の薬は持ち歩いた方が良いかもしれないと思った。

 

本日は午前中に以前出版した小学生向けの理科の教本の件で飯田橋の出版社に行った後、午後は新橋の貸し会議室で研究代表者をしているプロジェクトの会議が3時間あった。私が座長として仕切る関係省庁からの参加者もいる会議だが、やむ得ない事情で資料の完成が午前10時になったが、なんとか無事に終わり、終了後の懇親会では美味しい酒を飲むことができたのは幸いであった。

先の週末、土曜日はとても暖かった。その一週間前とはえらい違いだ。こうも寒暖の差が激しいと、私のような心臓に持病があるものは特に気を付けないといけないのだろう。

ところでゴルフの方だが、先月末と今月初旬の週末は氷雨と雪のために断念した。そして暖かった先の土曜日にプレーしたのだが、スコアは46,46の92。内容はというと、ショットは悪くなかったが、とにかくパットが入らない。入れごろ外しごろのパーパットはすべて入らず、2ダブルボギー(うち一つはOBパー)、16ボギーというパーが一つも取れないラウンドだった。極めつけは、バックナインでパーオンしたホールでの4パットだ。やれやれやっとパーが取れると油断したわけではないが、ファーストパットを3メートル以上オーバーし、返しは逆に1mのショート。もちろん、これを外したのだ。心不全からのリハビリゴルフといってもこれでは様にならない。ラウンド後はショットと少し長いパットの練習をした。途中、あまりに暖かいので、ウェアを脱いで厚手ではあったが半袖のTシャツ一枚になったら、なんだかとても快適だった。私は生来の暑がりだったが、昨年11月以来服用している薬の影響か、手足が冷たく冷えるようになり、普通に寒さも感じるようになっていたので、戻って来たぞ、みたいな気持ちに少しだけなった。練習後のサウナも普通に入れたし、夕食時のビールもうまかったなあ。

といった体調の回復があるとどうしてもマンぶりのゴルフをやりたくなってしまうが、しばらくはリハビリと心得て、クオーターくらいでプレーしないといけない。あまりにもドライバーが飛ばないと悲しくもあるが、しばらくは我慢と言いたいが、先日のラウンドでは一度だけマンぶりしてしまった。このホールはダボだったのだが、ティーショットは押さえて打ったのにチーピンのOB。打ち直しはやっとフェアウェイに届く始末で、短いミドルホールにも関わらず残りのピンまでの距離は210ヤード以上あったのだ。そこで、ままよと、3番ウッドを抜いてマンぶりしたら、芯を食ってボールは飛んでいき、グリーンオンしてワンピンについたのだ。想像に難くないように入ればボギーのパットはなんとショートしてしまった。同じ外すにしてもせめて届かないといけないよなあ。ネバーアップ、ネバ―インなのに・・・。

ということもあり、次回ラウンドは連休真ん中の22日(日)としている。きっとひどい目にあうのだろうが、それも楽しみ、プレー後のサウナで疲れを取り、夕食では美味しい、冷たいビールと熱燗といきたいところだ。週末以外の晩酌はやめて久しく、昨晩の月曜から金曜まではアルコールフリーの身なのだ。週末の晩酌は、日本酒2号相当までとしているから可愛いものだが、今の私にはそれがとても楽しみなのであった。

先週の記事が開始以来900回目だった。Yahooのサービスを使ってこのブログを始めたのは2010年8月で、当初毎日更新していたが、諸事情あってその年の年内で休止。翌年の東日本大震災後から週一ペースで再開して以来継続し、yahooのブログサービス停止に伴いアメーバに移った。記念すべき通算1000回目に到達するのは、今のペースだと来年暮れか再来年だろう。その頃は、元気でいられるか。私のような心筋梗塞発作を起こした場合の予後は5年生存率が5割を切っているようだが、せめて父親が身罷った81歳までは頑張りたいという思いがある。今年67歳になるので、あと14年。9年前に亡くなった母親は享年86歳だが、そこまでは19年だ。

医師から指導されて自重していることはあるが、基本的な生活はこれまで通りだ。昨年11月上旬に集中治療室を退院後、1週間後には通勤を再開した。絶対安静の時期だが、休めない事情もあったし、執務室で通常勤務をするだけなら、体調は全く問題なかったからだ。集中治療室に収容された翌朝からパソコンを持ち込んで仕事自体は再開しており、退院後の自宅静養中も同様だったが、やはりリモートワークでは何かと不便なこともあった。通勤再開2週間後には、体調が良かったこともあり航空便で国内出張もした。

節制してきたのは、毎日の晩酌をやめたことだ。師走にはいってから週末のみ晩酌は再開したが、平日はたまの飲み会以外は全く飲まない。自分で言うのもなんだが、この私が飲まないなんて日が来るとは考えられなかったことだ。食事も減塩食だ。味が薄いのにも慣れたが、食は以前ほどは進まない。運動も5万歩を超える長距離散歩は控えているが、2万歩程度を上限にして継続してきた。それらの結果、発作前の昨年10月下旬に比べて体重は10キロ近く落ちたのだが、医師は私の身長の標準体重まで減量しろという。少しも褒めてくれないし、筋肉量とかの個体差もあるだろうに慈悲もない。

気になるのは海外出張だ。来月末から4月上旬にかけてのマレーシア出張は、時差がほとんどないのであまり気にしていないが、9月に予定されている米国西海岸のモントレーは正直、迷っている。時差もあるし、搭乗時間も長い。今は規則正しく朝晩に処方された薬を飲んでいるから、体調を維持できているのは明白。時差のある北米では、服薬含めて体調管理することは困難だ。医師に相談したら、出張の可否については100%ダメ出しがでるだろうから、あくまで自己責任となるが、もう集中治療室には戻りたくないし、米国の救急隊の方々にも迷惑をかけたくないので(発作時、救命してもらったカナダの救急隊には感謝)、今後の経緯をみながら慎重に考えることにしよう。

2月7日(土)に年末12月28日以来のクリニックに行ったが、心電図は相変わらず心筋梗塞の兆候を示していた。久しぶりのエコー検査の際、医師が私の心臓の動きを画面で見せてくれたが、確かに部分的に僅かだが動きが鈍いところがあった。血液採取の結果は次回訪問日(3月14日)に聞くことになるが、BNPと腎機能の値は気になるところだ。まあ、節制はしっかり実行し、服薬もちゃんとしてきたので、結果がついてくることを願うばかりだ。

 

話題は変わり、珍しく政治的な事を書く。一昨年の総選挙の結果から、小選挙区では公明の組織票に立憲民主を加えると相当数の議席を確保できるという皮算用があったのは理解できるが、比例代表に候補を絞った公明が現状維持したのに比べて立憲民主の惨敗は目に余る。中道代表の両党首は責任をとって辞任のようなので、世代交代の良い機会と捉えて巻き返し期待する。自民はあまりにも勝ちすぎた。いや、野党が負けすぎた。立憲民主から出ていた衆院予算委員長の委員会運営は安定していたように私には見えたので、その方が落選したのも残念に思う。参院が与党少数なのが多少の救いにしても、優越する衆院であれだけ多数を占めては、政権運営は独善的になる局面が到来するような気がする。首相は、就任早々、自身の国会発言の重さを思い知らされたはずだ。その上での衆院解散の際に断言した「進退をかける」という言葉は重く、有権者はその覚悟に応えたのかもしれない。首相たるもの、本音でも言えないことばかりか、軽々な発言はあってはならない。有権者の期待は常に念頭に置いて欲しい。こんなことも備忘録でもあるので書き残すことにした。

 

最後に全く関係ないことなのだが、最近経験したことを書く。先月、虎ノ門にある書店で本を見ていたら、隣に立った妙齢の女性が躊躇なく放屁されたのは驚いた。その数日後、霞ヶ関を歩いていたら、前を歩くやはり妙齢の女性が後方の私には無関心に放屁なさっていた。出物腫れ物所嫌わずとはいえ、お二人とも正々堂々としていて、こちらがその場にいたのが悪かったような気になってしまった。

 

 

 

竹刀や木刀でなく、真剣で果し合いに臨むということは命懸けであるのは想像に難くない。剣道に素人の私でもわかることだ。その昔、帯刀を許された武士の日本刀はよく切れたらしい。江戸時代には切り捨て御免という、無礼を働いた平民を武士は切り捨てても良いという法があったようだが、極稀とは言え、実際にそのようなことはあったという。考えてみれば、恐ろしい世だ。今となっては、日本刀は持ち歩くことは御法度だが、当時でも武士が刀を抜くということは相当なことであったらしい。任侠映画では、高倉健や鶴田浩司が日本刀で抗争相手の組に乗り込み問答無用の斬り合いするが、その様には鬼気迫るものがあったなあ。

会社の同僚に剣道の達人がいて、先月の賀詞交換会で真剣の話になったことがあった。その方は、真剣を保有しており、藁束を一刀両断にするスマフォの動画を見せてくれたが、技術を会得していないと思わぬ怪我をすることもあるという。その時に昔の武士の斬り合いの話になったのだが、剣道のような面、胴、小手ではなく、相手を傷つけて戦闘力を落とすことが優先なので、ずばり刀を持っている手を狙うのだそうだ。剣道では、平安の世では懸待一致ということが正当な流儀だが、邪道、反則とされる三所避けが真剣の果し合いでは有効であったかもしれないとのだった。私の祖先は、和紙の製造に関わっていた郷士であったそうだ。禄高が低い下級武士だが、どんな刀を腰に差していたのだろう。

36年前の米国駐在中に、時代劇(中世欧州)の白黒映画をテレビで放映していたが、些細なことから今でいうフェンシングみたいな剣で決闘をする場面があった。これが実に生々しかったのを覚えている。剣を交えてすぐに一方の剣の先端部分が相手の腹部を突き刺し、あっという間に終わってしまったのだ。10秒もかからない秒殺KOだ。刺された相手はその場でうずくまったが、勝った方は留めを刺すことはせず、小躍りをして喜びを表現していた。当時の決闘は相手を殺すのが目的ではなかったようだ。見守っていた周りの人々は、苦しむ敗者を抱き起こしてベッドに横たえるが、介抱の甲斐なく数日後に息を引き取ったようであったが、妙にリアルに感じたものだった。

 

最近、真剣に物事に取り組むことがないような気が少しだけする。ここでいう真剣とは、決闘のような不退転の決意でことにあたることを意味するが、重要事は失敗した場合のシミュレーションは必ずすることから、どうもメリハリがないような感じになってしまう。もっとも、個人的には昨年10月下旬のカナダでの心筋梗塞の発作後、2ヶ月以上経過した今年に入ってゴルフを再開したが、最初のホールがやや気になった。というのも、1番ホールグリーン上での心疾患発作による突然死が男性には多いというネット記事を何度も見かけたからだ。朝一の最初のパットでの極度の緊張が招くことらしいが、正直に言えば、私には理解できないことだった。高々ゴルフのパットくらいでそんなに緊張することは皆無だからだ。入れごろ、外しごろの微妙なパットでも入らないだろうなと思って打つ私には無縁のことかもしれないが、少しだけ気にはなったのだ。ゴルフはいい加減にやっているわけではなく集中はするが、我々アベレージゴルファーはスコアよりも楽しむことが大切で、一番重視すべきは、同伴者を含め怪我などの事故が起きないように円滑にプレーすることですからね。

 

先のブログで電車内地蔵のことを書いたが、その後ネットでドアの両側に立つ人を「狛犬」と呼ぶことを知った。うまいことを言うものだ。ドア前地蔵ほど乗り降りの邪魔にはならないが、やはり混雑している時は乗降の阻害要因だ。観察していると、あそこまで頑なに狛犬ポジションにこだわるのも不思議だ。早朝の出勤時にドアの近くに立っていると、私とドアとの間隔が50センチくらいしかないのに、そのわずかな空間に入り込んで狛犬となって立ちはだかる人がいる(ほとんどが女性)。混雑している車内ではなくガラガラなのに超至近距離に立たれると違和感があり、仕方ないから離れるようにしているが、狛犬の方々はどのような感覚なのか一度聞いてみたい気がする。

 

先の週末のゴルフは、冷たい北風が強い中、凍えながらのスタートだったが、ロストボール(同伴者も含めてなくなるとは思っていかなったので暫定球は打っておらず、後ろの組がいたので、2打罰でプレー続行)がなぜか2回もあり、OB1回、アンプレ1回にアプローチトップ2回と、散々な目に遭い、103も叩いてしまった。パットはまあまあよかったのになあ。この週末も日曜日にプレー予定だが、どんな目に遭うことか。その前の土曜日は年末12月28日以来の循環器内科クリニック訪問で、血液、心臓エコー検査などがある。どこまで回復しているのか、あるいは、悪化しているのか。しっかりと診てもらうことにしよう。

冬はつとめて。

雪の降りたるは、言うべきにもあらず。

霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、日など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。

昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりて、わろし。

 

枕草子は、中学生の頃に暗記させられた。清少納言の時代の京都の冬も寒かったのだろう。取り囲む山々がその寒さを増していたに違いない。先週からの大寒波襲来で、東京でも早朝の出勤時はとても寒い。私が自宅を出るのは日の出の1時間前、一日で一番寒い時刻なので尚更だ。辺りは暗く、街灯も点いているので、早朝とはいえ、感覚では夜のままだ。勤務先最寄駅に着く頃はまだ日の出前だが、冬至から一ヶ月以上経っていることもあり、東の空も大分明るくなっていて、退社時は西の空に薄明かりが残るようになった。もっとも、帰宅する頃はぬばたまの夜だ。

 

二月に入れば、日差しも伸びて、気温も徐々に上がっていくのだろうが、今は冬真っ盛り。真夏の暑い時期は冬の寒さが懐かしくなるが、真冬の今は、以前のように夏の暑さをあまり懐かしく思うことはない。近年の夏の暑さを考えると、ちょっと憂鬱になる。夏の前に桜咲く春がある。花々が咲き乱れる春は、確実に近づている。それを思うと嬉しいが、その前に今は寒さを感ずべき時なのだろう。先の週末の長距離散歩も北風が冷たかった。

 

24日土曜日は、自宅から旧東海道までの往復だった。途中、青物横丁近くに魚富士という魚屋があり立ち寄ってみたら、高級魚から大衆魚まで一匹まるごと売っている。名前を失念してしまったが、タイの一種と思われる30センチくらいの魚を買い求め(税込900円)、刺身用に調理してもらった。アラはどうします?と聞かれたが、当然、お願いしますだ。この刺身を週末のみ再開している晩酌の肴とした。アラは頭と中骨がついてきたが、頭は塩焼き、中骨は水分を切った後、片栗粉をまぶしてフライパンで焼き、唐揚げみたいにしたが、両方とも絶品であった。青物横丁近辺の旧東海道は何度も歩いていたのだが、この魚屋はなぜか認識していなかった。今後たまに立ち寄ってみようと思った。この日の散歩は、魚富士で魚を買い求めた後は、予定を変更して直帰したので、歩数は1万歩に百歩届かなかった。こういう日もある。

 

一昨日日曜日の長距離散歩は手袋をしていたが、寒さで歩行中、指先が悴んだ。東京国際フォーラムで開催される骨董市目当てに自宅を出たが、午後2時から「ゴルフ侍」がスペシャルで放映されることが自宅を出る直前にわかり、往復歩行はやめて復路は電車で帰ることにしたが、それでも2万歩弱だったから、良かったのかもしれない。医師からは長距離歩行はとめられている身なのだ。久しぶりに有楽町、東京駅近くに行くので、ランチのラーメン屋をネット検索したら、東京国際フォーラムの北、道一つ挟んだ東京駅側の大きなビルの地下にタンメン専門の「トナリ」という店があることがわかり、訪問することにした。開店が午前11時半で11:35に到着したが、すでに20人くらいの行列ができていた。私は飲食店の行列には並ばない主義だが、店員が行列に並んでいる最後尾の客まで事前にメニューを渡して注文を聞いていたので、店の回転は早いだろうと高を括って待つことにした。並んだらすぐに注文を聞きにきたので、タンメン大盛を注文し、10分ちょっとだろうくらいの根拠もない待ち時間を想定したが、考えが甘かった。行列で待つこと29分、店内のカウンターに着席してからは3分で着丼したが、都合32分待つことになったのだ。タンメン自体は税込で大盛940円と言うことを考えると味、量ともコスパは最高だが、30分も待つ価値があるかと言うと微妙なところだ。腹を満たされて骨董市を冷やかし後、時間に余裕を見て有楽町で山手線に乗り、スーパーで買い物をして帰宅したのが午後1時50分だったので、ゴルフ侍は余裕で間に合った。

 

話題を戻すと、明日から東京ビッグサイトで開催されるイベントに参加予定なので、国際展示場駅で下車して会場のビッグサイトまでは風が強くて寒い中を歩く羽目になるのだろう。食事制限で体重が10キロ近く減少したこともあってか、暑がりの私が最近はコートを着用している。32年前にサンフランシスコのブルックスブラザーズで買い求めたコートはこれまでは雪の降る日にしか着なかったが、今年は毎日だ。良いものを買っておいてよかった。

今週末31日は半月ぶりにメンバーコースでプレーだが、グリーンが凍っていたらゴルフになるかなあ。今日は昨年10月27日にカナダで心筋梗塞の発作を起こし、重度の心不全を発症してから3ヶ月。現段階では増悪の兆しはないが、5500を超えていたNtproBNP値、2月7日に行きつけのクリニックで血液採取して再測定すると言うが、劇的な数値の改善を願うのみだ。

ドア前地蔵

ネット記事で見つけた表現だ。言い得て妙である。電車でドア前に突っ立って、微動たりしない御仁のことを言うようだ。乗客の乗降が妨げられて、迷惑この上ない行為だ。幸いにも私はそのネット記事にあったような筋金入りのドア地蔵に遭遇したことはないが、ドア近くに立っている乗客が動かない気配があると、積極的に「すみません」と声をかけるからかもしれない。

先週のことだが、いつもより寝坊して1時間半ほど遅い時刻に自宅を出て、午前7時半過ぎに通勤途中の乗り換え駅で乗車した電車は満員だった。ドアが開いても降りる人はおらず、仕方ないので、後ろ向きになって先客をソフトに背中で押しやるように乗ったのだが、私の横に同じように女子高生が続いていた。電車は発車し、次の駅に到着間際のことだ。その駅では反対側のドアが開くのだが、なんとその女子高生が下車する駅だった。反対側を向いて降りようとするが、周りの乗客は気づかないのか道は開かれず誰も動かない(動けない)。その様子を見ていた私は少し動いて通路を作ってあげたが、ホームに目をやると乗車してくる人の群れが待ち構えているではないか。そのままでは、女子高生は鮭の遡上に巻き込まれて下車し損なう恐れも大いにありそうだった。世話好きな(大きなお世話?)私は、「降りる方がいますよ」と声を出して注意喚起を促し、無事、女子高生を下車させたのだった。幸いにもその時、ドア前地蔵は立っていなかった。

 

無頓着地蔵

これは私が勝手に考えた呼称だ。とにかく周りを一切気にせずに優先席に座り続ける御仁をさす。今朝、いつものように自宅を午前5時40分頃でたのだが、乗り換え駅で来た電車は、立っている人はまばらだったが、座席は空いていなかった。乗車すると、見るからに高齢の女性が立っているのが目に入ったが、そこは優先席の前で、その席には大学生くらいの男性がスマフォを見ながら平然と座っている。乗車前からの状況を一部始終、見ていたわけではないので、その若者が体調不良かもしれないし、あるいは、高齢女性が席を譲られても断った可能性があるが、観察するかぎりそいつはゲームに集中しているようだったので、単なる無頓着地蔵だったのだろう。視界には入っているはずなのに、なぜ、譲らないのだろう。彼らは感覚が全く違う異星人なのか。いや、物言わぬ地蔵か。

 

電車内といえば先日、長距離散歩の帰りに乗車した私鉄でのことだ。3人がけのシートのドアに近い席に座っていたら、若い父親がまだ一歳未満と思われる女の子(に見えた)の赤子をベビーシートに乗せて乗車してきた。父親はドア近くの端の席が他にも空いているのに座ることはせず、私の真横にベビーカーを固定して、一心不乱にスマフォで何かをやり始めた。ふと、横に目をやると、その赤子がコチラを凝視していて目が合ってしまった。一瞬、ヤバイ、泣かれたらどうしよう、と思ったが、なんとその赤ちゃんは満面の笑みを浮かべるではないか。その可愛さに心臓を射抜かれた私の顔は当然ながら綻ぶのだが、赤ちゃんはさらに笑みの段階を上げて、手を差し出してバブーみたいな声をあげる。それに応えて、小さな指をにぎってあげたい気持ちもあったが、暗黙の許可を求めようと近くの父親を見たが、そうした光景が視界に入っていないのか、相変わらずスマフォを凝視している。私は断念し、笑みを返すだけなのだが、赤ちゃんはだんだんヒートアップしてさらに微笑みかけて手を出して何か言ってくるのだ。その一方で父親はずっとスマフォと自分の世界に入っていた。私自身はとても幸せな時間をもらった一方、何か物足りないものも感じていたものの、本当に可愛い赤ちゃんだったなと今でも顔が綻ぶ。

 

ところで、先の土曜日に三ヶ月ぶりにホームコースでプレーをした(スコアは95)。最初のミドルホールでパーオンしたので、これは幸先の良いパーだとほくそ笑んだものの、タッチが合わずスリーパットのボギー(グリーンスピードは9.3フィート)。そこからさらに3ホール連続、ボギーオン、スリーパットのダブルボギーと、なんとも言えない最初の4ホールだった。4ホール連続のスリーパットは記憶にないというか、ラウンドでも初心者時代を含め4回のスリーパットはないと思う。このため、リハビリラウンドの気楽さはどこかに行ってしまい、5ホール目からはグリーン上では真剣モード。結果、スリーパットは撲滅し、ワンパット4回の計36パットとギリ許容範囲だった。ショットも池ポチャ、OBもありイマイチだったが、まあ、こんなものだろう。次回は31日を予定していてその次は来月8日。今のクラブ構成は、ウッドは3番、5番、アイアンは3番からでウェッジは53度、58度の2本の計14本だが、持病のためマン振りはできなくなってしまったので、今後はユーティリティーなど、考慮した方が良いかもしれない。

母校閉校

東京下町生まれ育ちだが、中学からは東京に隣接する県に居住してたこともあり、高校は地元の県立高校に通学していた。入学したのは51年前で、当時は新設校で私は4期生、普通科で偏差値40にも満たない底辺高だった。その母校も少子化の影響と同じ市にできた別の県立校に人気が集中たため入学生徒数が激減したこともあり、この3月で閉校となることが決まっている。卒業してから教育実習で行った45年前以来、訪れたことは一度もないが、閉校とはなんとも寂しいことだ。同窓会はあるのだが、私自身が就職で実家を離れて以来、5年弱に及ぶ海外駐在時も含めて特に住所変更の連絡は仕事関係以外はしなかったこともあり、高校に限らず、小学、中学、大学も同様だが、多分、私は行方不明というか音信不通状態になっているのだろう。両親が健在の時に実家に同窓会からの連絡が行っていた可能性はあるが、特に確認したことも話題にしたこともなかった。母親が9年前に亡くなって以来、空き家だった実家も一昨年5月に長距離散歩で訪問した際に確認した時は昔のままであったが、その五ヶ月後に撮影したストリートビューでは、既に取り壊され更地になっていた。

青春時代を過ごした母校のことは気になる。年明けの先週、高校に電話して閉校にあたっての記念行事があるかどうかを尋ねたら、何も予定はないという返事だった。50数年存在した高校なのに、その終わりは静かなようだ。母校は父母が眠る寺から近いが、年末に墓参りをした際、様子を見に行こうと思ったのだが、なんとなく足が向かず断念した。母校は閉校後、跡地は幹線道路事業に利用されることに決まっているらしいので、いずれ校舎は取り壊されるのだろう。その前に一度は見ておきたいものだ。私の中での高校時代の思い出は永遠だが、その物理的存在は歳月とともに姿を消すことになるのは仕方のないことだ。

 

都内徘徊

昨日までの3連休の長距離散歩は、私としてはかなり地味なものになった。1月10日は21000歩、15キロ超、1月11日は24000歩、17キロ超、1月12日は11000歩、7キロ超であった。いずれも都内西南部を自宅から歩いた。10日は会社経由で通勤途中の駅まで、11日は久しぶりに東京湾運河沿コース、昨日12日は以前から行ってみたいと思っていた蛇窪神社を訪問した。この神社、昨年は巳年だったので、かなり人気のあったところのようだが、昨日は午前11時過ぎだったが、行列に並ぶことなく参拝できた。もっとも、事前に下調べをせずに行ったこともあり、参拝経路通りにスムーズに歩くことはできなかった。関所が何箇所かあり、色々な作法があったのだ。その中でも「おもかる狐石」、「銭洗弁天」が印象に残った。前者は20数センチ程度の石があるのだが、それを持ち上げて軽く感じたら願いことはすぐに叶い、重く感じたら一層の努力が必要とのこと。正直な感想としては、あれを軽く感じる人がいるのだろうかと思った。私にはずっしりと重く感じられた。精進せねばならないということだろう。銭洗弁天は、前の若い女性が紙幣をザルに入れて洗っていた。私の願いの優先事項は健康だったので、スキップすることも一瞬考えたが、せっかく来たのだからと控えめに500円玉をザルに乗せて時計回りにまわして洗った。ところで、蛇窪神社は東急中延駅と戸越公園駅(とJR西大井)から徒歩となるが、戸越公園駅の当初の駅名は「蛇窪」であった。大井町線には北千束という駅があるが、ここもかつては「池月」といった。池月は頼朝が洗足池畔で出会った駿馬の名だが、個人的には両駅とも昔の名の方がその土地にあっていたのではないかと思った。

長距離散歩の話題に戻ると、昨日は三日連続になるので、1万歩強に抑えたが、一昨日、先一昨日のような2万歩ちょっとくらいで続けていこうと思う。どんなに体の調子がよくても以前のような5万歩を超えるような散歩は、今は控えないといけないのだろうな。

今週末土曜日は三ヶ月ぶりにホームコースでゴルフプレーなので、これはこれで頑張るにしても、長距離散歩をするなら日曜日となる。どこを歩こうか。

 

 

新年あけましておめでとうございます。

備忘録で始めたこのブログもこの8月で16年になり、記事の掲載も来月には900回を迎えることになる。家族知人にはこうしたブログを書いていることは伝えていないこともあり、周りには一切話していない本音も記事にして来た。公開しているのは、思考を含め記述内容について、公共良俗に反しないことを心がけたいからだ。もっとも、その心がけの効果の程は正直わからない。また、昨年10月下旬の記事は、私に起こった事象を固有名詞を交えて具体的に記述しすぎ、周りにバレそうになったので、暫定的に非公開としている。書く際に少し気が回らなかったようだ。

自戒を込めてその記事の内容を書くと以下のようになる。

10月下旬の海外出張の際、ホテルの部屋で心筋梗塞の発作を起こし、地元の病院に運ばれて集中治療室(CCU)に収容されてしまったのだ。CCUでの担当医師との会話内容を交えながら、カテーテル手術を受けたことなどの当時の状況などを帰国の途につく直前、空港搭乗口待合席にて書いた記事であった。ちなみに、CCUに収容された翌日、つまり一泊しただけで退院した。

10時間以上のフライトで帰国後の翌日は、どうしてもせねばならない仕事の整理で終日、会社で就業後、ネット予約のとれたクリニックに行った。クリニックの院長宛てに、帰国前にメールを出したのだが、すぐに返信が来たので、そこに決めたのだ。少し歩くと息切れするような病状で、入院を強く勧められたが、11月初旬の3連休が控えていたこともあり、その日は帰宅して様子をみることにした。しかしながら、自宅療養中に一旦持ち直したかに見えた症状が悪化、連休後に再訪したクリニックから救急車で総合病院のCCUに運ばれた。一週間の間に海外、国内合わせて二度集中治療室に搬送されたことになり、この事実については大いに反省した。もっともそこも諸事情により4泊で一般病棟にもうつらずに退院。その後1週間、自宅療養して出勤を再開した次第。海外での発作後、2週間ほどで仕事に復帰したことになる。帰国後、塩分控えめの食事、水分制限、アルコールを絶っての生活を続けた。ただ、運動に関しては、距離は15キロまでの長距離散歩を11月下旬から再開した。師走に入ると節酒しつつもアルコールも解禁した。年末の28日にクリニックで受診時に医師に言われたのは、まだ急性期なので運動などは自重すべきということであった(医師によると、こんなことをして何もなかったのはたまたまとのこと)。

海外での当初の診断は鬱血性心不全を合併する心筋梗塞だったが、カテーテル手術の結果、冠動脈閉塞や硬化が見られなかったこともあってか、帰国してからの病名は単に鬱血性心不全であった。原因はわからず、蛸壺心筋症、MINOCAなどがあがったが、10月下旬の海外出張直前に受けたコロナワクチンが誘発する心筋症も関連するかもしれないとのことだった。原因はともかく、私のような発作を一度起こしてしまうと、臨床としては予後は良くないようなので、つまりは品行方正にしないといけないのだ。

昨年11月以来、上記のような背景のもとにこのブログを書いて来た。その上で年始めに、今年はどう過ごすかを考えてみた。結論は単純で、無理はしないということだが、これは既に始めていることでもある。例えば、駅階段で電車の発車ベル聞こえたら、以前は駆け上がり、或いは駆け降りてホームにダッシュしたものだが、今は悠然と歩き、ドアが目の前で閉まるのを許容している。先月の忘年会の際、日本酒も二合までと決めてゆっくりと楽しんだ。好きなラーメンも週末のランチのみにし、通常の食事も減塩で我慢している。趣味の長距離散歩も上述したように山手線一周のような40キロ超は自重し、ゴルフもずっと控えていた。今年に入ってから練習再開、勢いでラウンドも既に一回してしまったが(スコアはやっと100切りの96)、今後は多くても月に2回くらいのペースでやるつもりだ。そういえばサウナも今年に入って再開したが、一気に30分入る利用法を心臓への負担を考慮して10分を3回にしようと思ったのだが、そのサウナの温度が90℃弱とやや低いこともあってか、10分経過時で体が温まらないので、結局、30分一本勝負になってしまった。触診にて脈拍の変化に留意したが、通常60−70なので、90を超えたら出ようと決めていたものの、80に届くことはなかったのだ。この程度の温度と時間では、心臓への負担はあまりなかったのだろう。今年は基本、これらを継続するのが良いのだろう。これが標題への答かもしれない。

以前のような行動はできないのは仕方のないことだ。さまざまな制約の上での生活となるが、そこに楽しみを見出すことにしよう。

 

以上が年頭にあたり考えたことだ。この週末の3連休はどこを歩こうかな。

 

 

 

ある大企業OBで現在ベンチャー企業の顧問をしている方と話をする機会があった。私は単刀直入に訊いてみた。

私:「第一ラウンドで総取りしたにも関わらず、結局、全面撤退というのはいかがなものか」

OB:「あの発表の後に会社の株価は上がったので、市場は会社の決定を支持したことになり、経営的には正しい判断であった」

株式会社だから株主の意向・利益を考慮するのはその通りだ。だが、この会社のような大企業になると、社会貢献ということがあり、他の応募企業を蹴散らしてまで獲得した公共に資する事業を、放り出してよいものなのか。法的には問題ないのかもしれないが、名門大企業としての矜持はないのか、と思った。再生可能エネルギーは、安定供給という点では、どうしても自然に左右されるので難しいのは分かりきっていたことだ。私は将来、この大企業による取り組みがプロジェクトXになるようなものを期待していたので、残念と思う前に呆れている。この会社のホームページには、以下の記載がある。

「企業は社会の一員として社会貢献事業を積極的に行うべきで、そのための経費は企業が社会で存続するための社会的経費(ソーシャルコスト)として、利益を得る前に負担しなければならない」

こんなところで苦言を呈したところで、何にもならないことはわかっているが、備忘録でもあるブログなので、年末にふと思ったことを書いてみた。

 

父母の墓は、武蔵野台地を刻む荒川支流を見下ろす高台の寺にある。父親が21年前に亡くなり、8年前には母親もこの墓に入った。父母とも誕生日と命日が同じ月で、父親は7月、母親は4月だが、法要の年にはこの4月、7月、そして春秋の彼岸、盆、年末の年に4、5回墓参りをし、清掃、供花をして線香をあげてきた。今年は本日、寺に行ったが、俗世との境の山門から高台を一気に登る急な階段は、うっかり転びでもしたら大変なので、慎重に足元を見ながら歩いた。午前9時半頃だったが、墓地を見渡すと供花のある墓はまだまばらであった。檀家の多くが寺の近くに居住しているが、年末のお参りはこれからのようだ。年明けには、姉夫婦が娘を連れて墓参りするだろうから、いつもと同じ年末、年始を父母は迎えることになる。来年は父親の二十三回忌だ。

 

10月下旬に三途の川を渡り損なったたこともあり、さすがに極楽とんぼの私といえども年末恒例の40キロ超の山手線一周徒歩は今年は自重した。もっとも、先月下旬の毎週末、10ー15キロ程度の長距離散歩をやってきたが、医師の見解はともかく、歩いた後の気分は良いので、来年暖かくなったら一度、年末に限らず挑戦してみようかなと思っている。年明けは、北茨城の温泉施設が付随するゴルフ場の3泊予定だ。医師からサウナの許可は出ず自己責任と言われたが、リハビリのゴルフ練習と湯治をゆっくりしてこようと思う。

 

最後に偉そうなことは言えないが、私の矜持は一所懸命ということかもしれない。一生懸命ではない。

 

本ブログ記事を訪問された方々、どうぞ良いお年をお迎えください。

 

 

 

 

若い頃は目だけは良かったが、寄る年波には勝てず、老眼鏡を作る次第となった。

昨年前期高齢者になったことを考えると、裸眼で持ち堪えた方だろう。通勤電車内は、私にとって読書の場だが、細かい字の判読が困難になってきたのが理由である。目を凝らさないと漢字や数字も6、8、9の判別がつかなくなった。解決策として読書の際はメガネの助けを借りようと決心した次第。

まず某メガネチェーンを訪問した。若い女性店員が視力検査などを対応してくれたのだが、初めての私には珍しいことばかりで、色々と質問すると面倒くさそうに答える態度は気になったが、まあ、我慢した。そして、レンズが決まりフレームを選ぶのだが、彼女の適切なアドバイスのおかげもあり、価格、デザイン、機能で気に入ったものを指定した。レンズを加工してそのフレームに装着するのに40分程度かかるというので、その間、同じビル内のゴルフショップにでも行こうかなと思いながら、求められるままに料金を支払おうとしたら問題が発生した。説明時に聞いた値段では売れないと言うのだ。レジで品名をスキャンして入力したところ、聞いていた価格の5割増の値段が表示されるというのだ。その店では、フレームに値段によって色別のシールが貼ってあり、女性店員はその色に基づいてその製品を値段も含めて説明したのだが、違っていたというのだ。入力の間違いではないかと言ったら、会社のシステムなのでそのようなことはなく、このフレームだと先に聞いていた価格の5割増になるので、その値段を払うか、別の安いものを探せという。マニュアル通りだとこうした対応なのだろうが、私としては納得できず、別のものを選んでも同じことを言われると困るので、なぜそのようなことになったのか、ちょっと確認してもらえないか、と言ったところ、渋々とその作業を始めたのだが、5分くらいして理由が判明した。フレームに貼ったシールの色の価格が適用されるのは、今月25日以降に予定されているセールが対象となることがわかったのだ。それが何かの手違いで、フライングして安い価格のシールを貼ってしまったらしい。そのために、スキャンして提示された価格と一致しなかったのだ。そしてその女性店員は再度こう言った。セール開始後に再度来店したらこの価格で売るが、今買うのであれば、5割増の値段を払うか別の安いフレームにしろと。そのフレームが気に入っていたが、この展開はおもしろくない。わかりました、それならば結構です、と言って店を後にしたのであった。

その後、別のチェーン店に行ったのだが、ここの対応は丁寧でわかりやすかった。30分くらい前にしたレンズ選びのためのその日2度目の視力検査をされたのだが、最初の店で聞いた質問プラスアルファをしたが、対応してくれた中年の男性店員の説明は明確でわかりやすかった。フレームを選ぶ際、料金体系などの説明も的確で、何度も掛け直してチェックする時間を楽しみ、結局、半額セールの一番安いものを指定した(ちなみに、税込4950円)。値段はピンからキリまであったが、これはキリのエンドメンバーだ。レンズ加工の待ち時間はその店は30分とのことで、同じ階の本屋で久しぶりにじっくり本を見ていたら、あっという間だった。

老眼鏡を通してみる文字は、別世界のものだった。当たり前だが、目を凝らすことなく明瞭でちゃんと文字を識別できる。読むスピードも早くなり、疲れも感じなくなった。若い頃はこうだったなあと感慨に耽りながら、電車内の読書を楽しんでいる。

 

Z1 900

先日ネットニュースを見ていたら、ある俳優が改造した五十年以上前に生産された自動二輪の査定をしてもらったところ、2000万円の値がついたということだった。そのバイクはカワサキのZ1 900。私も35年前、米国駐在時に1973 Z1 900に乗っていたので懐かしくなった。その俳優は、エンジンを1100CC超にボアアップするという改造を加えていたようだが、私はヒューストンのバイク屋で見かけたZ1 900をノーマルのままレストアして通勤などに使っていた。ハイウェイを走っていると、広い中央分離帯の反対方向から走ってくるハーレーなどによく手を挙げて挨拶されたものだ。帰国の際に日本に持ちかえることも視野に入れて調べたら、運搬、日本の法規制に合致するための整備、書類などで時間、費用、手間がかかることがわかり、断念。地元紙の広告欄にfor saleで出したら、すぐに買い手がついた。バイクも製造する日本の自動車メーカーの米国法人に本社から派遣されていた日本人だったが、米国での免許を持っていないという。友人運転のトラックで取りに来た。転売したのかもしれないが、提示価格が購入時より高かったので、売ることにしたが、なんか寂しかったのを覚えている。飼猫を三味線屋に売ったような、そんな気分だった。