3か月の間に

2人の身内が

旅立った。

 

立て続けに

このようなことは

生まれて初めてで。

 

こういう経験も

わたしを形成する

一部になっていく、はず。

 

 

あれから

「生きる」という

答えのない哲学を

考える時間が

特段、増えた。

 

そして

「死ぬ」という

羨望もまた、増えた。

 

 

それでも日常は

変わらなくって、

5:50に起床して

6:00に子どもたちを起こす。

 

時間って、無情だな。

 

そう思う反面、

悲しみに浸る時間を

作らせて貰えない

有難さを感じてしまう。

 

 

*・*・*・*・*・*・*・*

 

 

子どもたちが

立て続けに

体調を崩した。

 

それほど大したことはなく

彼らの治癒力で

各々デトックスしながら

ゆっくり回復している。

 

わたしの役目は

回復のお手伝い。

 

飲み物をあげたり

卵粥を作ったり

下痢の処理をしたり

寝かしつけてあげたり

耳のマッサージをしてあげたり

お話を聞いてあげたり

 

こんなとき本当は

心穏やかに

対応したい。

 

 

だがしかし。。。

 

 

思いとは裏腹に

 

仕事を休んでいることへ

意識が半分以上いっていて

若干イライラしてる。

 

 

わかってる。

 

 

わかってるんだけど、、

 

 

申し訳ない気持ちと

心ここに在らずな状態に

既に疲弊してる感。

 

 

職場には従業員が

数名いるのにもかかわらず、

「わたしが居ないと大変になるだろう」

という気持ちが強すぎて

ほんと困る。

 

 

誰が大変って

【旦那さん】

 

 

わたしが居ることで

彼のやりたいことが

やれている現状が

確実にあって。

 

でもこんな状況のときは

子どもの看病に

集中したいよね。

 

 

そんなことを考えてたら

全然気分が上がらなくて。。

 

 

 

久しぶりに

わたしの大好きな

飯倉神社に行ってみた。

 

 

 

この鳥居のうえに

生えてる草が

かわいくて大好き。

 

やさしさと

力強さを

感じてしまう。

 

 

 

境内の前で

手を合わせながら

 

「また同じようなことでモヤモヤと考え事をしてしまいますわ。てへへ」

 

と、やれやれ感を含めて

心の中でつぶやいた。

 

 

そしたら向こうも

やれやれ感を含めて

 

「それ、あなたがやりたいこと。やりたくないなら、やらなきゃいいだけ。でも、そのモヤモヤが、生きてる楽しみでしょ?だったら楽しめば良い。」

 

と、やさしく諭された。

 

 

 

帰宅して

洗濯して

トイレ掃除して

掃除機かけて

うどんを作って

一息ついて。

 

 

 

 

 

 

 

「モヤモヤ考えるの、や~めたっ」

 

 

 

声に出したら

腹の中に溜まってた

ネガティブエネルギーが

口から出ていった。

 

 

こういう面倒くさい

遠回りのような思考が

わたしの地球での

遊び方なんだろうな。。