週刊・大江真梨

週刊・大江真梨

気まぐれ更新ですが、原則週刊~隔週刊です^^

Amebaでブログを始めよう!

携帯に着信と留守電が入っていたのはそれから10日くらい後だった。きちんと電話の相手はこのように留守電を入れていた。



「こんにちわ、たぶんクール・ストラッテインでお会いした、大塚です。ツアーで留守にしていました。クロスはたぶん僕のです。よろしかったらまたご連絡ください」



私としたことが、関わらなければいいなどと思いながら、通知で電話をかけるという間違いを犯していたのだ。



しかし、この間からは十分に時間が空いているし、向こうがかけてこようと思えば幾らでも出来たはず。そう思うと警戒心は少々薄れていたかもしれない。だからもう一度、紙に書いていた通りに電話番号を入力してみた。



何故か緊張しながら呼び出し音を聞いていると、また丁寧な口調の留守番電話のアナウンスに変わった。今度はきちんと用件を伝える気になり、こう告げた。



「佐藤といいます、クロスというんですか?布をお預かりしています。またご連絡お待ちしています」



その翌日、9時、仕事が終わり、研究室で少し休憩している時に電話が鳴った。今の時間帯ではまじめな院生は実験室に、そうでないのはもう帰宅しているタイミングだ。



他に聞かれる不安はない。知らない番号だったが、ワンギリでなかったので、とりあえず出ることにした。



「もしもし、佐藤さんですか」
「はい、どちらさまで?」
「僕は、大塚修といいます。」
「ああ、サックス吹いてた。」
「すみません、一応僕プロなんです」



大塚修は電話の向こうで苦笑しているようだった。そしてこう言った。



「これからお会いできませんか」
「これからって…今はもう無理だわ。また日を改めてでしたら」
「じゃあ、明日。」
「明日。といってもあなた私のこと覚えてるの?」
「大丈夫ですよ。御茶ノ水駅の聖橋口で待ってますよ。では」
「待って、」と言うのを聞くか聞かないかで電話は切れてしまった。



(つづく)

「隣、いいですか」さっきまで無伴奏でジャズワルツをアルトサックスで吹いていた男が言った。26,7歳の売れないミュージシャン風の長髪の男。深夜の店はそんなに混んでいない。



断るタイミングを逸して、曖昧な返事を返したことを男はイエスに取ったようだ。



私はビールを飲み干しかけだったが男は「僕もいいですか」と言ってきた。ずうずうしいが、たぶん店に言われているのだろうと解釈した。



男はグラス2つを手にとって、「大丈夫、お姉さん。僕のおごりですから」そう言った。カウンターの向こうでマスターが彼の言うことにうなずいた。



「僕、ここ一応レギュラーで出てるんです、ここと、あと2軒くらい。あ、初めまして、自己紹介忘れてましたね、大塚修といいます」



そういえば、入り口の看板のところに書いていたかもしれないが、私は何も考えず入ったため記憶にとどめてはいなかった。



ここのミュージックチャージは1200円と、この手の店にしてはかなり安い方だ。この客の入りでは彼に発生するギャランテイはビール1杯に満たないだろうに。男は無邪気な表情でビールを飲み始めた。



「すみません、さっきから僕のお姉さんでもないのに、お姉さん呼ばわりして。でも名前も知らないし、かといってお客さんと呼ぶのもちょっと…と思ったんですよ」



「いいですよ、大塚さん…だっけ。たぶん私はあなたよりお姉さんだわ。」私は酔った勢いで少し投げやりにこう言った。



「キミでいいです」
「初対面の人間をキミ呼ばわりするほど、私は偉くないわ」
 男はハイライトに火をつけてこう言った。
「だったら初対面じゃなくなればいいんです。ところで、僕は79年生まれです」
「いきなり歳を聞こうというの?」
「いや、ずっとあなたに大塚さんと呼ばれるのも重いんで…」



 男は少し酔っているようだ。あるいはクスリでもやっているのか。話が先のほうへどんどん飛躍していく。



「とりあえず、あなたよりは確かにお姉さんね」



くすっ、と大塚修は微笑した。顔色は悪いが不細工ではない。



「いや、あなたに今日出会えてうれしいですよ。僕の演奏、どうでした?」



「ジャズは詳しくないの。でも悪くはないと思うわ。」
「いやあ、じっとこっちの方を見ていてくれて。そんなお客さんは余りいないから、嬉しくて。」



私は単に他にすることがなかっただけだったのだが。
男はアルトサックスを手に取ると「マスター、一曲いい?」
カウンターの向こうのマスターは少し不機嫌な表情でうなずいた。



そして、おそらくジャズのスタンダードのアドリブ部分を勢い良く吹いた。そして、手帳の1ページを裂いて私に渡した。



「僕が眠れない夜、あなたは僕のお姉さんになってくれませんか?」



そう言って男は楽器を持ち、そのまま足早に去った。
裂かれた手帳には携帯の電話番号が書いてあった。



(つづく)

予備校の教室は授業中。私は実は仮面浪人だ。国立大学に籍を置きながら、来年の入試に控えるという不届き者である。私は知っている。大学の同じクラスに少なくとも3人は私と同様な仮面浪人がいることを。



私が大学に行かず予備校にまぎれているかというのは、こういう事情。貧乏公務員の親にはちょっと言えない計画。教室は異様なまでにざわついているが、教師は授業を続行している。私は気分が悪くなり、軽いめまいを覚えた。その時、教室の視線がいっせいに私の方へ向いた。すかさず私はノートとシャープペンシルを握り締める。汗でうまく手に取ることが出来ない。



何も持たないまま私は教室の外へ逃げた。そして歩いて10分は掛かる、隣の予備校へ通う彼のところに向かうためだ。あせっているせいか、脚がうまく動かない。めまいがひどい。軽く吐き気を催した・・・。



深夜2時だった。額には汗が走り、息は乱れている。また夢を見たようだ。それは、今のように追い詰められる夢。大学入試に遅れる夢だったり、大学院試験に勉強が足りなくて間に合わない夢だったリ。ここのところよくこういう夢にうなされる。心あたりがないわけじゃない。



今、新しいプロジェクトに入ったばかりだ。今年初めて、責任者を任ぜられた。この業界では「若手」といわれるが、自然科学の研究全般から言うと決して「若手」とはいえない年代だ。さっきの夢は今からすると挫折した夢だ。



仮面浪人はその年の12月に発覚して、親にそのまま、居つづけるように説得された。面と向かって言われると、逆らうことは出来なかった。そしてそのまま6年間の課程を修了して、生命科学の研究の道に入った。そしておととし、卒業大学の助手の職を得た。



今日は金曜の夜。明日は久しぶりに休み。すっかり目は覚めてしまった。どこかいこうかな。私の住むアパートは駅から5分、歓楽街にも近い。女一人で行くにも安全な店はいくつか知っていた。トレンチコートを羽織り、久しぶりにヒールを履き、私は町へと出かけた。


(つづく)

野本まゆみは、この予備校では講師からかなり恐れられている存在だった。



野本と同期の生徒の話によると、何故浪人したかわからないという。なぜなら現役時代、模擬試験では常に全国で10位には入っており、T大学理科3類でも合格するという成績だったにもかかわらず、理科1類を受験し落ちたという。



しかし、野本にはある癖があった。必ず授業中も、模擬試験中も眠るのだ。それはそれは幸せそうに。


 
そういうわけで野本まゆみにはある噂がささやかれている。「試験中に寝てしまった」「入試に間に合わなかった」など。本人は固く口を閉ざして何も言おうとしないが。



そして、野本はこの予備校には金を払っていないらしい。なんでも、その代わり来年は僕の在籍している、野本が受けたよりは格段に簡単に入れる医学部を受けるという誓約書を書かされているらしい。客観的に見れば野本はかわいそうかもしれない。でも野本は何にも考えていないような顔をして毎日自転車で予備校にやってくる。



「ういーっす!」僕が喫煙所で休憩していると、野本まゆみが猫背で階段を上ってきた。顔も頭もかなりいい筈なのに、野本にはどこか衒奇的かつアルルカン的なところが同居している。「渡瀬~、タバコ切れちゃった。一本ちょうだい。」



野本は僕の微積分のクラスの生徒だ。いつも見ると、かわいい顔をして寝ている。そして起きたと思えば窓の外を何を見てるのだか眺めている。そしてテストでも小テストでもいつも満点を取る。そして、いつもロングピースを吸っていて、注意するとニコニコ笑って舌を出して火を消す。



そして僕にたわいもない議論を吹っかけては忘れたように「渡瀬~ごめんタバコ切れちゃったよ。」と呼び捨てにした挙句、もらいタバコをする。全く何をしに予備校に来ているのか判らない奴だ。と、初めのうちは本気で腹を立てたが、何回言っても直らないし、別に野本が未成年なのにタバコを吸うことをこっちから勧めなければいいのだ、と逆に思うようになった。当時まだ僕も未成年だったし。そして注意もしなくなったが、相変わらずもらいタバコはしてくる。


 

そんな半分クレイジーな野本にも、弱点はあった。


(つづく)

予備校講師のバイトのため、僕は教職をとる事は出来ないにもかかわらず(そういえば、僕は医学部の学生だったが。)この年代の人たちに「先生」と呼ばれることに慣れていった。


 
最初のうちは「二度と戻るか」とまで思った嫌悪する受験産業で、高額の時給を稼いでいることに若干の後ろめたさすら覚えていた。しかしそんな感傷は僕と彼女の生活という大前提の元にはすぐにどこかへ吹っ飛んでいった。



人気投票では僕は常に3位を下らなかった。何よりも現役の医学部生という偽の実力が地方の予備校では大きかった。本当の実力は実はわからない。


 
受け持った授業枠は二つ。現役生向けの生物のクラスと、浪人生向けの微積分のクラス。何でそんなヘンな受け持ちになったのかは、僕の変に愛想のいいところと、断れない性格からなんじゃない?。そう、事務のお姉さん(といってもかなり長くいる人だ)から、言われたもの。

 


当時、理学部生物学科の大学院学生が1人いたが、スケジュール的に忙しく4月からは事実上、現役生向けの「生物」の授業までは手が回らなくなり、理学部数学科の学生は登録がなかった。


 
そのために、こんな穴埋め的なスケジュールになったのだろう。



「これで漢文なんかもたされたらちんぷん漢文だよ。」と、同僚の英語担当、人文学部人文学科の豊島さんに言ったら、彼女は思い切り
「冗談つまらない。」と舌を出し、ケンケンのようなくしゃくしゃの顔で笑った。



そして



「キミ、女の子にもてないと思うョ」と僕に有難いアドバイスまでいただいてしまった。



そう、こんな僕が女の子に人気があった。まさに奇跡だ。



日中の予備校は居場所のない予備校生であふれる、といっても夜の現役生の頑張りとは一味違い、何年も通っていて僕よりも年が上の「生徒」もいて、タバコの貸し借りをしながら世間話をすることもある。



一応そういう人たちには目をつむっていたが、一般には「予備校生」=未成年であるから、喫煙を見つけたら注意はしなくてはいけない。僕は当時からヘビースモーカーで、19歳だったけど「講師」の権威(!?)の下に堂々と喫煙していた。


 
しかし、喫煙所には僕にとっての鬼門が待っていた。
それは特別特待性・野本まゆみのこと…。


(つづく)



僕の住む街には禅林街という、33の禅宗の寺が集まる街がある。



中学生の時分、そこ1学年の生徒約300人が写生大会に連れて行かれた。画才のない僕ら数名の生徒には、異常に絵のうまい友人が描いている絵を横で丸写ししているのがばれ、担任から、こっぴどく叱られたという思い出がある。



ところで、禅林街には古くからあまりよろしくない言い伝えがあり、何でもそこでデートしたカップルは必ず別れるという。 中高時代の僕は、女の子からは全く相手にされなかった。


 
だから、「二人の愛を確かめましょう(なんか卑猥な響きがする言葉だ)」と、真面目半分・面白半分に禅林街にデートに行ったカップルが別れると、不届きにも、「ざまあ見ろ」とすら思った。それが、たとえ本人たちにしかわからない問題が原因だったとしても。




東京の大学受験に失敗した僕は、浪人生活を経て、地元の国立大学に入学した。入学と同時にひとつ年下、要は現役で入学した彼女が奇跡的にも出来た。



親元にいるのにうんざりして、彼女の8畳一間のアパートに転がり込んだ。家も大学からは自転車で通うには遠すぎた。とにかく、並のかわいらしさだとしても、彼女の存在が僕には何より誇らしかった。



入学と同時に、かつて通っていた予備校の講師をすることになった。これまた奇跡的に浪人中の女の子にもて始めた 僕のとても、もてそうもない一見「おたく」な外見(当時、僕は前髪まで長く伸ばした髪型に、セルフレームの眼鏡をかけていた。言っておくが長髪ではない。)が、彼女たちの屈折した心の琴線に触れたのか?こればかりはまったく判らない。しかし、ひとつだけはっきりと言えるのは、後にも先にも一生のうちで一番もてた貴重な時期だったと言うこと。そういえば、かなりかわいい子もいた。



しかし、一緒に暮らしている彼女が大事でたまらず、そういうことに反応しようという気はさらさらなかったのだが。



(つづく)