娘の事。
娘は医学部を目指している。
家庭の事情で私立医は最初から無理だと説明していたので、目指しているのは国立大の医学部だ。
受験生になった今年は家でも必死に勉強していて夜も遅くまで塾から帰ってこない。
しかし残念ながら現役合格できるほどの学力はなく、通学圏内の国立大医学部に一年浪人すれば受かるかも、というレベルだ。
一年浪人した後に医学部に行くとなると、最低でも後7年は学費がかかる。
今の仕事が無くなった後に、予備校と大学の学費を払える事ができるかな。
これは一度キッチリと計算してみないとダメだな。


貯金の事
会社員の頃は貯金ゼロだったが、収入が良かった頃には毎月20~10万円の貯金をしていた。
現在の額はおよそ1200万円。
娘の学費と夫婦の老後資金として貯めていたものだけど、52歳の時点で収入が激減すると、全く足りない。
夫婦は極貧生活で我慢できるにしても、カネがない事で娘に何かを諦めさせたくはない。
果たして年金支給年齢に達するまで生きていられるのだろうか。
最悪の場合、生活保護の申請も視野に入れて考える必要があるかも。
生活保護は銀行に残高があると受けられないという話なので、いまのうちにおろしてタンス預金に切り替えておいたほうがいいのかもしれない。
どうせ銀行に預けてたって利子はゼロに等しいのだから銀行に預ける理由なんてないしな。


住居の事
現在は県の公営住宅に住んでいる。
収入が多かった頃には何度も一戸建てを建てようかと思ったのだけど、これは思いとどまって正解だった。
公営住宅の家賃は居住者の収入によって変化する。
収入が下がれば家賃も下がり、今俺が住んでいる所は無収入なら5000円くらいにまで下がるらしい。
一戸建てを建てても固定資産税がかかるし修繕費もかかる。大金を払ってマンションを買ったとしても、管理費がかかる。
それを考えると家賃が月5000円なら一戸建ての固定資産税と似たような金額だし、マンションの管理費よりは確実に安い。
一戸建てを建てた後に仕事が無くなって住宅ローンが残っていたらどうにもならなくなる所だった。
不便で狭い県営住宅を出なかった理由は、将来仕事がなくなる可能性がゼロではないという心配がどうしても拭えなかったからで、この時の判断はつくづく正解だったと今にして思う。
 

もう少し詳しく経歴を含めた自己紹介を書いてみる。

 

俺は九州南部の田舎出身で現在51歳。

高校卒業後、放射線技師の専門学校に通うも講師のパワハラに耐えられず中退。
未経験でIT企業に入社し、数個の会社を転々としながら30歳まで関西で働く。
親の病気をきっかけに地元九州へUターンし、友人の紹介で地元の事務機販売の会社に入社。
入社して3年後に結婚。その数年後会社の業績が悪化し、社員の8割が会社を辞めて別会社を設立することになった。
自分もそちらに移動しようとしたのだけど、俺は直属の課長に嫌われていたので結局その新会社には参加できなかった。
ある日、その嫌われていた課長の上司である部長に呼ばれて謝られた。

「各課の課長が連れていく課員を選ぶ事になってるんだ。
 俺が課長なら、君は迷うことなく選ぶんだが○○君(課長)が君はダメだというんだよ。
 今の段階では例外は作れないんだ。申し訳ない。」

ショックだった。
自分で何とかしなければならない。

猛烈な焦燥感にとらわれて職探しを開始しようとした矢先、取引のあった上場企業の子会社(会社A)から声をかけられた。
色々話を聞いた結果、内容的にも大丈夫だと思えたので、自社の倒産が現実味を帯びてきた時に退職。
その後個人事業主として開業し、声をかけてもらった会社Aに入っていた業者の契約社員として働き始める。
その後、別の子会社Bも紹介してもらい、顧客が2つになった。
その数年後、会社Aと直接契約を交わしていた業者は会社Aから撤退。

俺は会社Aとの直接契約に移行した。
当時の月収は週4日行っていた会社Aからは55万円ほど、週一で行っていた会社Bからは15万円ほどで、合計70万円くらいあり、自分のこれまでの人生で最高額だった。
田舎に住んでいて低学歴の俺にとっては客観的に考えてもかなりの高収入だったように思う。
それから7年後、一般的な会社の定年である60歳くらいまでこの仕事はなくならないだろうという確信が芽生え始めた頃、A内部の契約を締結をする部署ではある議論が勃発していた。
俺のやっていた仕事は休むと会社全体の業務に支障が出る内容であるにもかかわらず、俺との個人契約では危ないのではないか、ちゃんとした会社と契約した方がいいのではないか、という内容だった。
それまでAとの契約更新は自動的にされており、毎年会社が作った契約書に事後承諾でハンコだけを押していたのだが、その年の契約更新の3か月前、正月気分も抜けきらない1月初めに「契約に関して話があるので来てほしい」と突然応接室に呼ばれる。
その席で、3月いっぱいで○○さん(俺)との契約を終了する、契約更新はもうできない、という旨を告げられた。
仲の良かった社員に話を聞くと、どうもちゃんとしたIT企業と年契約を結んだらしいという事がわかった。

これでAからの月額55万円がなくなりBからの15万円だけになったわけだが、当然これでは生活できない。
知人友人を頼り、個人で営業もして、新しい顧客を探す努力を半年ほど続けた。
しかし田舎でのIT関連の仕事は皆無に近く、望む仕事はとうとう見つけることはできなかった。
考えた挙句、会社Bに掛け合って仕事のボリュームを増やしてもらう交渉をしてみた。
すると、これがすんなり認めてもらい、Bからの月収は15万から40~50万ほどに上がることになった。
贅沢はできないけど、これでなんとか家族三人が生活できる・・・
安寧な生活が戻ってきたと思った。

それから5年後、その年のB社の中途入社の社員の中に、俺と同等のスキルを持った男が存在していた。
そしてその社員は俺の部署(といっても俺一人だが)に配属になる。
そして「部下をつけるから○○さんが急に休んでもいいように業務を仕込んであげて」と言われた。
それからはその社員とは常に行動を共にして説明しながら業務をこなし、ようやく一人でもどうにかなるというレベルになった今年の7月の中旬、Bの契約担当から俺の契約を来年3月一杯で終了する事を告げられた。
まさに青天の霹靂だった。
この時点になって俺はようやく理解する。
俺の部署にやってきた社員は、俺の部下などではなく、最初から計画された交代要員だったのだ。

 

こういう経緯で俺は来年3月末に52歳という年齢で完全無職となって世間に放り出される事が確定してしまった。
嫁は専業主婦で娘は高校三年生。
娘に進学は諦めてくれと言わなければならないのだろうか。

 

仕事があるのは来年3月一杯までだ、猶予は7か月と少ししかない。
俺は一体これからどうすればいいんだろう・・・
 

西日本某所に住んでいる50代のおやじです。

恐ろしい事に、来年4月から無職になることが決定してしまいました。

専業主婦と高校三年の受験生、それに犬一匹を抱え、現在途方に暮れています。

このブログでは、来年度からの収入をなんとか確保しようとあがく日常と心情を素直に記録していきます。