恥ずかしい本 | エバンジェリスト ZORO

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私が高校生の頃、我々男子高校生にとっては、
買うことが恥ずかしい本というものがありました。いわゆるエロ本です。

しかし、当時その意味では「恥知らず」だった私は、
そういう本を買うことに抵抗がなく、ふつうに買って羨ましがられたものです。

そのように恥知らずな私ではありますが、
実は私にも、「買うことが恥ずかしい本」というものが存在します。

それは話題になっている本です。

正確に表現すれば、意図的に話題になっていると感じられる本は、
私は買うことが非常に恥ずかしく感じてしまいます。

その一例を挙げれば、「もしドラ」でしょうか。
いまだ買うことが出来ず読んでいません。


もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら

この本のことです。誰に対して恥ずかしいかと言えば自分に対してですね。

このようにキンドルで電子書籍化されたため、誰にも知られることなく、
この書籍も購入することが可能になったわけですが、
それでも、買うことに恥ずかしいという思いが消えないのです。

この本が好きだという人を否定するつもりはまったくありませんが、
どちらかというと嫌いだと言っている人たちに共感を覚えます。

ですが、この本が良いか悪いかを言い争っている人たちの気持ちは、
私にとっては理解に苦しむものです。

たとえるなら、肉が好きで野菜が嫌いな人と、野菜が好きで肉が嫌いな人が、
互いに自分が正しいと言い争っているようなものではないでしょうか?

それは好き嫌いの問題だから人に押し付けるものでもないと思いますし、
その言い争いに何の意味もないと思うわけです。

しかし、肉VS野菜の戦いも、そこに不自然な理屈が付くと話が変わります。

「動物の命を大切にしたいから菜食主義で一切肉は食べない」
などの理屈ですね。

それを持論として自分だけが実行するなら何も問題はないのですが、
「このような理屈を付ける人は、他人にもその理屈のもと同じことを強要する」
そういう傾向が多いため、そういう押し付けは嫌いです。

自分が良いと思うことを奨めるのは構いませんが、強要するのは駄目でしょう。

少し前には、この「もしドラ」を、
ほぼ強制的に社員に読ませた会社もあるようですが、
私にとっては意味不明の行為としか思えません。

社員は子供じゃないのですから(子供に対してもどうかと思いますが)、
まずは軽い内容で興味を持たせて、興味を持って自主的に勉強させようという、
そのような意図からの行為なのでしょうか?

ドラッカーが良いと思うなら、ドラッカーを読ませれば良いのでは?
それとも、ドラッカーでは難しいと社員をバカにしているのでしょうか?
ドラッカーを読んで面白いと思えるはずの人が、「もしドラ」を読んだために、
ドラッカーを読むことがなくなる心配はないのでしょうか?

ちなみに私はドラッカーが好きというわけでもありません。

いずれにしても、強制力というものは、一部の人には良い作用があっても、
一部の人には反作用があるものと知った上で行使するかどうか、
そこが重要だと思うわけです。

たぶん、私が強制的にこの本を読まされていたとしたら、
反作用で嫌いになっていたと思います。

まあ、もっとも、私の場合は仮に野菜も食べたほうが身体に良いと言われても、
野菜が嫌いだったら、嫌いなものを食べて長生きすることよりも、
好きなものだけを食べて短命で人生を終えるほうを選ぶひねた性格ですので、
世の中のスタンダード(標準)ではありません。

ですが、何か違和感を覚えるのですよね。

ちなみに私は食べ物で好き嫌いはありません。野菜も食べます。

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