23週目に入る2日前ぐらいから
産科病棟に移してもらえた。

妊婦さん達と同室になる。

パジャマのようなチェック柄の服から
ピンクの服に着替えさせられた。
妊婦と分かるようにする為だ。

主任ナースが車椅子を押して隣の産科病棟に
連れて行ってくれた。

6人が入る大部屋で、ベッドに一つ空きがでたのでそこに移ることになった。

部屋に入ると、
何やらゆったりとしたクラシック音楽が流れてる

「今は音楽セラピーの時間ね」と主任は答える。

そんなのあるの?!凝視

何この待遇の違い。

皆んな静かにお昼寝しているようだ。

部屋の雰囲気からしてリラックスできそう。

毎日14時-15時は音楽をこうして流して
妊婦と胎児へのセラピーの時間を取っているらしい。




産科に移ってからは以下のことをされた。

☀︎4時間に1度血圧とBB看板持ちの心拍数を測る
☀︎毎日検尿
☀︎2日に一度血液採取
☀︎ステロイドの注射(4回)
(BBの肺機能の成熟を促すため)

ステロイド注射は、
お尻から腰付近に刺され、これが結構痛かった。

ヘルニアでブロック注射を受けたことがあるが、あの激痛と比較すると断然ましだけど、あの痛みを思いだすような神経をえぐるような痛みだ魂が抜ける

ナースに
「痛みをあまり感じないコツはね、
注射の瞬間に咳を出すの、やってみて!」

はい! 3. 2. 1!

コホン!コホン!  いぃたい びっくりマーク

(効果ないw)

とまぁそれを儀式のように3回繰り返した。


その他治療法について色々と調べていたら、
ウテメリン点滴等は副作用の観点から治療法として施さない国もあるらしい。

香港も多分そうなのだろう。
ただ安静にしとくだけなのも不安はある真顔

出血は相変わらず続いていたし、

トイレのたびに

あぁ、またか、、と落胆した。

鮮血→茶おり→ピンク→茶おり→鮮血

この繰り返しがしばらくつづく。
原因も不明だ。

緊張して気も休まることはなかった。

ただ破水の感覚だけは全くない。
むしろ出てるのか出てないのか分からない。
これがまた不安だった。

トイレはまだ自力で行けなかった為
(小)の時はポータブルを使用していたが、
流石に満室の部屋で使うのはかなり気が引けた悲しい

ギリギリまで我慢して、
赤ちゃんのため!と思いながら毎回頑張った悲しい



音が部屋に響いて
わざと音を掻き消そうと音を立てたりして
本当に恥ずかしかった悲しい

血の塊が急にでて
車椅子で真夜中に運ばれて、
急遽ドクターに膣鏡診してもらったこともあった。

前回同様痛みで思わず
日本語で「やめてー!」と叫んでしまったネガティブ
もうほんとにやりたくない、、。



救いだったのは、
ナースの人はもちろん
業務支援のおばちゃん達がすごく優しかった。

日本好きな人もいて
日本語で話しかけてくれたり
とにかく私なリラックスできるように務めてくれた。

英語が話せないスタッフとのやりとも
簡単な広東語を覚えて
意思疎通できるようになった。

産婦人科でのおばちゃん達と離れられて
かなりストレスが軽減された。
解放感✨

産科に移って
日が経つにつれ少しづつ状態も良くなり
やっと心身共に安静の入院生活が落ち着いてできるようになった。