「この作品のテーマはなんですか?」
という質問をされることがある。
お客様が芝居を見終わった後、とかそういうタイミングであれば、僕もこの質問に対する返答は出来上がっているから、答える。
親しい友人などに次回作の断片的な話と、タイトルなどを言うと、こういう質問をされることがある。
「次回作のテーマはなんですか?」
これは、答えられない。
だって、そんなのその時点では、ないから。
多分、こういうのは、僕らより上世代の、国語教育による影響ではないかと思う。
読書感想文、国語の試験問題。
どれも「作者の意図」を読みとらせることをゴールにしている。
物語を読み解いた向こうに「テーマ」が出てくる。
だから、逆引きの考えで「テーマ」を元に物語が作られる、という解釈をしてしまっているわけである。
でも、順番で言うと、「テーマ」はあとでできる。
勝手なことは言えないが、物語を作る人はみんなそうだと思う。
だって、「テーマ」が先にあって、文章がかける人なら、論文を書けばいいのだから。
一方で、後付けとは言え、何かしらの「テーマ」があるのも事実である。
むしろ、物語を一本書いてみて、読み直して改めて「ああ、俺にとっては今こういうことが、人生の課題なんだなあ」と、気づかされることもしばしばである。
物語を作り始めるときは、「こんなのが見てみたい」とか、「こんなことしたら面白いんじゃないか」とか、そんなのだけで、テーマなんてない。でも、書いてみて、自分で作品を見つめなおしてみると、結局「テーマ」のようなものが見えてきて、それは自分が無意識に抱えている人生の課題だったりして、そういうことを認識すると、それが見ている人に、少しでも伝われば、と思うのも事実である。
非常に回りくどい。
しかし「論文」という方法をとらない理由、つまり「物語」を作る理由は、この「回りくどさ」の中にしかない。
意味わかんない!
という人は、ぜひ、一度、「物語」に触れてみることだ、と思う。
そういうことで、ぜひ、見にきてください。
観劇後、どなたでも私に声をかけてください。
そして、こう聞いてください。
「この作品のテーマは何ですか?」