実は

 

西城秀樹に恋してしまった。

 

秀樹は昨年の5月16日に亡くなった。

 

ファンでもなかったはずなのに

なぜかとっても気になって

葬儀の映像をワイドショーかニュースかで見た

あの日から

虜である。

 

 

 

出棺の時に流れた曲…

「YOUNG MAN」

「ブルースカイブルー」

 

といっても、「ブルースカイブルー」という曲は

初めて聞いたし

もちろん題名なんて知らなかった。

素晴らしい楽曲と

切ない歌詞

なんといっても歌のうまさというか

聴かせ方は

絶品だった。

そして、

あまりにもブルースカイな日の

あの出棺の時のファンの方々の悲痛な叫びに

たまらない喪失感を覚えてしまったのだった。

 

 

 

さわやかな笑顔で

晴れやかに歌う秀樹

美しい身のこなしは

長身でスタイルの良さを際立たせ

身に付けた衣装は

この上なく上品で似合っていた。

 

…記憶の片隅の秀樹と違う。

こんな歌も歌っていたのか…とハッとさせられた。

 

「YOUNG MAN」以降の秀樹、

それも断片的にしか知らなかった。

 

それでもスターという認識はあったし

何かとメディアで秀樹として露出度は抜群だった。

 

ファンではなくても「ギャランドゥ」は歌えたし

ギャランドゥの意味なんて知らなくて

へそ毛の隠語だと思って

へそ毛の濃い男の子をギャランドゥ

もうちょっと濃い男の子をギャランドゥドゥ

もっともっと濃い男の子をギャランドゥドゥドゥ

といっていた。

ギャランドゥ = へそ毛

は自然に沁みついていて

何の違和感もなく、

なぜそうなったかなんて全く知らなかったし、

知らなくても誰もなにも言わなかった。

ギャランドゥという言葉は適度に生活の中で使われる言葉で、

もちろん秀樹の歌真似はその都度出てくるのであった。

 

 

さて

ブルースカイブルーで衝撃を受けた私は

その日以来

YouTubeで秀樹に釘付けの毎日を過ごすことになる。

 

まずはこの「炎」

 

 

白のフリルに濃淡の紫のサッシュベルト

足の長さ、線の細さ、色黒の体にピッタリに合っている。

なんと、間奏の間に氷に抱きつき、

なんとも鋭い眼光で私を悩殺する。

実はこの動画は、亡くなった直後

あげられていて、

歌う前と、歌った後の秀樹のトーク付きであった。

吉村真理さんと井上順さんの司会にこたえる秀樹は幼かった。

1日に1万回以上視聴回数が増えていたが、

突然消された。

突然消されたので毎日10回見ていた私は

あまりの喪失感で気が狂いそうだった。

びっくりしたのは、

秀樹はトークでは全くの品の良い素人のような、おぼっちゃまだということだ。

控えめで、実に好青年なのだ。

はい、という返事は一級品だった。

 

そして「ローラ」という曲だと思っていた

この曲「傷だらけのローラ」

 

1974年 紅白 初出場のトップバッターの秀樹。

 衝撃だった。

40年以上前に、こんなに恐ろしくかっこよく演出していた西城秀樹

なんとこの衣装も、マント、マスクや帽子を次々に脱いでいくのも

炭酸ガスで盛り上がるのも

セルフプロデュースなのである。

 

参った。

19歳の秀樹。

 

さて、そこから私は70年代

いわゆるデビューから「YOUNG MAN」くらいまでの

トップアイドル全盛期 秀樹にドはまりした。

 

残された、画像、映像はどれもため息が出るほどカッコよくて

すべての歌に魂がこもっていた。

3分の歌にドラマを見て泣いたり笑ったりできたのだ。

 

でも

残念だった。

はまればはまるほど、後悔の念が増幅するのだった。

 

なぜ、秀樹の素敵さをリアルタイムで知りえなかったのか

なぜ、秀樹の生歌に触れなかったのか

なぜ、秀樹を応援できなかったのか

なぜ、なぜ、なぜ…

 

それを明らかにするため

秀樹を沢山堪能することにした。

出来る限りのCDやレコードを買って

出来る限りの映像を見よう。

 

http://hideki48.com/

まずは一周忌を前にライブに参戦する。

初の西城秀樹ライブ。

 

そう、1年たった今でも

秀樹への恋は続いていたのだ。

いや、

秀樹が残した文献

近くで接した方の言葉

テレビでの発言

ファンの方たちとの交流

いろいろなものに触れれば触れるほど恋が深まった。

 

西城秀樹は全てにおいて魅力的である

だから、死してなお

私の心をつかんで離さない。

いや、多くの人の心をつかんで離さない。

 

真のスーパースターだったんだ。