先日、知人の先生にお会いする機会があったのですが、ある患者さんのお話しをされていました。


84歳の奥さまが大腸がんで肝臓に転移、現在は無治療ながらも、がんの進行は止まっているかのように遅いみたいですが、身体が衰弱していて、固形物を自力で食すことが困難になってしまったようです。


お二人で暮らしていて、88歳の旦那さまが看病されているようですが、旦那さまの意向で奥さまに胃瘻を造設することになりました。


先生の考えは、本来であれば旦那さまが介護される年齢にもなってきているので、旦那さまが胃瘻患者の介護を現実的にできるのかという疑問を抱いているようでした。


胃瘻とは手術で腹部に穴を開けて、胃にチューブを通して直接栄養を注入する医療措置のことです。


病気などで衰弱してしまった患者さんが、口から食事を取れなくなった場合に、口以外から栄養を補給する方法のひとつになります。


日本では、胃瘻患者は徐々に減ってはいるものの、推定30万人の方が胃瘻による栄養補給を行っているようです。


ですがその9割の方が、いわゆる寝たきりの高齢者と言われています。





本来胃瘻とは、健康状態が回復するまでの間に必要な栄養素を補給することが目的になります。


また、老衰やがんの終末期においては、平穏死・尊厳死の観点から胃瘻の造設は行わないとされています。


しかし実際には、本人の判断力、理解力が低下している状態で行われる場合が多いため、医師の勧めであったり、家族の意向により造設されることが多いようです。


そして、回復を期待する医療措置とは程遠いケースも多くなり、食事ができない方に手術をして栄養を与え続けることは、本人の意思に反する延命ではないかと、その是非が問われています。


一方で、『栄養補給をしないことは虐待』との思考が根強いのも日本人の特徴でもあり、死生観や家族観、社会的な背景、日本の文化などが大きく影響しているのだと思います。




世界幸福度報告書では、北欧のフィンランドがここ数年世界一幸福な国に選ばれています。 


スウェーデンやデンマークなど他の主要北欧諸国も、軒並み上位10ヵ国にランクインしています。


主な理由のひとつとして、北欧では社会の高い信頼や福祉の充実、犯罪率や失業率の低さから、不幸だと感じる人が非常に少ないことが背景にあるのではないかと考えられています。


現地で生活する方の意識としては、幸福というよりも『満足している』という表現の方が正しいのかも知れません。


仕事や健康、福祉、教育といった面で安心できる体制が整っているのだと思います。


国民の意向に政府が見事に答えてくれているのでしょうね。


その北欧の多くの国では、人工栄養で延命されている寝たきりの高齢者は少ないとされています。


それは、このような記事からも読み取ることができました。


ある医師は、スウェーデンの高齢者介護施設を見学した際、施設の方からこのように案内されたようです。


「高齢者が食べられなくなると、点滴や経管栄養を行わず、自然な看取りをします。

私の父もそうして亡くなりましたが、亡くなる数日前まで話すことができて、穏やかな最期を迎えることができました。」


その医師が、点滴もしないことに驚くと,


「ベッドの上で,点滴で生きている人生なんて,何の意味があるのですか」


と,逆に質問されたようです。


スウェーデンで終末期高齢者に濃厚医療を行わない最も大きな理由は,このようなQOLを重視した人生観が社会全体に浸透して形成されているためだと思います。


幸福度と延命医療はあまり関係ないのかもしれませんが、強ち無関係でもないように思いました。





『死』について真剣に捉え、考えることが多くなりました。


それは、僕が死に直面したことがある病気だからだと思います。


人間その立場にならなければ、考えることが希薄になりがちです。


実際僕もそうでしたので、きっとそれではダメなのでしょうね。


この度、先生のお話しにより、経管栄養や点滴について、その意味を改めて考えることができました。


認知症を含めて回復の見込みのない病気で口から食べられなくなったら、僕は胃瘻であれ経鼻胃管であれ経管栄養は受けないことにしました。


認知になってからでは遅いので、終末期の栄養補給に関する意思表示書でも作って、家族に渡しておこうと思います。


というか、この記事を家族に残しておけば大丈夫だと思いますが。