オメガの存在の大きさに亡くなって気づいた。

私に依存的な感じがしていたのだが私に愛情を教えてくれた天使だった。

出来る事なら今すぐ死んでオメガと再会したい。

死んだというのは単に肉体を脱ぎ捨てたという意味だというが頑張り続けたオメガの闘病を裏切る形になった

先生との相性やタイミングの悪さ、私の一貫性のなさ、協調性のなさ、仕事で疲れていたからなのだろうか、決定的なサインを見逃してしまった。
焦り、移動、根本的な内容の見落とし、写真撮ってても冷静には診てなかった事になる。

正直自分はやはり情報に翻弄されてただけなのだ。

オメガしっかりと向き合っていたのだろうか

自分の疲れで冷静な判断ができなかった。
病院に連れて行く根本的な意味を見逃した。

スピリチュアルなセッション受けたら本当に解消するのか今の所疑わしい。というかそれをキチンと受け止められるのかわからない。

オメガの慢性腎不全は貧血が解消してればまだ頑張れたのかもしれないとどうしても考えてしまう。私の深い思いはオメガに対する愛情があったからこそ、頼ってくれる存在があってこそだったのかもしれない。

この人生の後半の15年もの間一緒にいたオメガの優しい顔を忘れることは出来ない。一体どうしたらいいのだろう。ありがとうとか愛してるよとか今頃亡くなってから言っても正直虚しい。

オメガの魂は存在きているが肉体はもう存在しない。私はこの事実を乗り越えることができるのだろうか?
いて当たり前乗り越える存在が忽然と消えてしまった喪失感は言葉では言い表せない。オメガは今頃なにを思っているのか本当に知りたい。彼は怖がりで寂しがりだった。今頃寂しいと思ってない事を祈りたいと思います。