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<特攻で、死んだ人数>
特攻戦死者、5,845人
(海軍:4,156人、陸軍:1,689人)

その中で航空特攻(一般にイメージされる特攻)
での戦死者:3,848人
(海軍:2,431人、陸軍:1,417人)

<死に場所ベスト2:フィリピン近海、沖縄近海>
フィリピン:695人
沖縄:2,610人

<年齢>
航空特攻隊員は、18歳~22歳、一番若いのは17歳。


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http://matome.naver.jp/odai/2127918470741868701

会いたい、話したい、無性に。

出典陸軍特別攻撃隊 第20振武隊 穴沢利夫少尉(中央大学)

自分の愛する人へ送った言葉。

父さん、大事な父さん
母さん、大事な母さん
永い間、色々とお世話になりました。

出典神風特別攻撃隊第三草薙隊 永尾 博中尉

シンプルで、すごく重みのある言葉です。

人生五十年、自分は二十歳迄長生きしました。残りの三十年は父母上に、半分づつさしあげます。

両親を思いやる気持ち。

お母さん、よく顔を見せて下さい。しかし、僕は何にも「カタミ」を残したくないんです。十年も二十年も過ぎてから「カタミ」を見てお母さんを泣かせるからです。

お母さんを思いやる気持ちがひしひしと伝わります。

教え子へ
教え子よ散れ山桜此の如くに

最初の特攻隊指揮官である関大尉のご遺書です。

清は微笑んで征きます。出撃の日も、そして永遠に。

覚悟が感じられます。

笑って散ってゆきます。お母さんも泣かずに喜んでください。

親想い。素敵な息子です。

父ハ スガタコソミエザルモ イツデモ オマエタチヲ ミテイル

出典義烈空挺隊 久野正信中尉

惜別の別れ。

私がやらなければ父様母様が死んでしまふ。

まさに、君のために死にに行く。

人は一度は死するもの、悠久の大義に行きる光栄の日は今を残してありません。父母上様もこの私の為に喜んで下さい。

誇りを感じます。

生と死と何れの考えも浮かびません。

出典神風特別攻撃隊第七昭和隊 小川清中尉

決死の覚悟。なんとも言えない心境です。

お父さんの方が後になり変になりました。一足御先に失礼します。

出典陸軍第79振武隊 佐藤新平曹長

お父さんにとっては非常に重い一文となったことでしょう。

亡き兄さん江
極楽の
兄弟酒を
偲びつつ

極楽で二人は会えたのでしょうか。

咲くもよし散るも又よし桜花

悲しく、素敵な言葉です。

人間一度は死するものなり、黒か白か二つの内一つなり。白き箱にて、帰りました暁にはどうぞ、花の一枝でも上げて下さい。

この覚悟。すごいです。

父恋しと思はば、空を視よ、大空に浮ぶ白雲にのりて父は常に微笑で迎ふ。

出撃に際して倫子、生れる愛子へ。

「マサノリ」 「キヨコ」 ノ オウマ ニハ ナレマセンケドモ フタリナカヨクシナサイヨ

5才の長男と2才の長女へ。手紙を早く読めるように、カタカナで書いたそうです。

素子が生まれた時おもちゃにしてゐた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ります。だから素子はお父さんと一緒にゐたわけです。素子が知らずにゐると困りますから教えて上げます。

まだ赤ちゃんの君へ。

今はもう全ての俗念も去って、すがすがしい気持ちです。

出撃二時間前の心境。

あの時お母さんと歩いた思い出は極楽へ行ってからも、楽しいなつかしい思い出となる事でしょう。

極楽でまたお母さんと巡り合えるといいですね。

幸福のうちに轟沈を期す

実母と伯母、素晴らしい二人の母を持った幸せのうちに…