震災から4年。
今日の14:46、東の方角に向かって1分間の黙とうをしました。
他の人の事を無責任に書きたくないので、自分の事だけw
あの日の事
14:46 大地震が発生。
職場がめちゃくちゃになって、設備も壊れました。
いつ揺れが収まるんだ!?・・・と、思いながら長時間の揺れに耐えました。
揺れている最中に停電が発生。
「足の踏み場が無い」という言葉通り、フロア全体にファイル等が散らばった中、建物内に居るのは危険ということで、外に避難命令が出て作業着のまま外へ。
状況確認待ちの間、どんどん天気が悪くなってきて雪と風の中を1時間ほど外に立っていました。
何度も強い余震がきて、職場の建物が大きく揺れました。
携帯電話のワンセグTVでは、県内の沿岸部に津波が押し寄せる映像が放送されていました。
15:30分過ぎ、帰宅のため会社を出ましたが、停電のため信号機が動いていません。
国道は大渋滞(?)。車が動けないのです。
踏切を越えたくても遮断機が下りたままなので通れません。
(電車なんて走ってる訳ないのに・・)
強い余震は続いており、車が揺れ、外の電柱も大きく揺れました。
いつもの通勤時間は7~8分程度。
しかし、この日は1時間以上かかって家に帰りました。
運が悪かったのは、この日は帰りにガソリン給油して帰宅する予定だった事。
停電のためガソリンスタンドの前は走ったのですが給油できなかった事。
つまり、車には少しのガソリンしか入っていないという事。
後々苦労しました。
(ガソリン不足で4月過ぎまで給油できなかった)
自宅の被害は特にはありませんでした。
(ラジオが倒れてアンテナが折れたり、無線機が棚から落ちてパネルが割れたり・・という被害はでました)
母親は無事でした。
福島に住む妹家族には連絡とれず。
停電のため、TVが見れず暖房も使えません。
余震は続きます。
寒さと対策のため、反射式のストーブを出してきました。
暗さ対策には、高出力のLEDライト(Gentos 閃)を、机の上に置いた紙コップの中に入れて、天井を向けて一晩中照射してみました。
「不幸中の幸い」という言葉が適切かわかりませんが、水道とガス(都市ガス)は使えました。
ラジオは豊富にありますw
乾電池も買い置きしていたので、地元のコミュニティFMをず~~っと聴いていました。
すごい被害が出ていることがわかりました。
停電復旧の気配はなく、携帯電話は通じません。
余震は何度も来ます。
余震対策をしました。
揺れで棚の扉が開いて物が落ちないように、ガムテープ等で固定。
倒れそうな物はあらかじめ倒しておきました。
母親は「自分の部屋で寝るのが怖い」といって、ダイニングで一晩過ごしました。
自分は、真っ暗な部屋で寝れない夜を過ごしました。
翌日も停電が続きます。
ワンセグ内蔵のポータブルDVDプレーヤー (東芝製 SD-P70DT ポータロウ)と、釣りの電動リール用バッテリを繋いで、簡単なアンテナを接続してニュースを見る事ができました。
新聞をみたかったけど、配達される訳がありません。
食べ物を買いに行ってみましたが、スーパー自体も被災しており、また停電のためにまともに買い物はできませんでした。
妹家族は、天井落下等でマンションが壊れて避難所にいるという事がわかりました。
数日後、原発事故のため妹家族はこちらに避難してきました。
高速道路が閉鎖されているため、新潟経由の日本海側を走行して岩手まで来ました。
(日本海側では、ガソリンは普通にあったとの事)
停電は、この日の深夜0時頃に復旧しました。
あの日以来、地震の揺れが来るたびに、最初の小さい揺れから急に大きな揺れに変わるのでは?とビビるようになりました。
いろいろと備えるようにもなりました。
そいうや、保存食・飲料は、そろそろ賞味期限が来る物があるなぁw
以上、振り返って思い出してみました。