Kの嵐!

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NO ARASHI NO LIFE
あなたに出会えてよかった いつも嵐に幸せわけてもらっています

嵐への想いを書き留めておきたくて
Amebaでブログを始めよう!


こんばんわ😃


春のSP番組期。

レギュラー番組お休みで

カラッカラに乾いてます。渇いてます(笑)

いよいよ今週から通常営業にドキドキニコニコ




今日は、ながーい不登校生活で充電期間を経てきた次女の高校入学式でした。




次女の進学先は
通信制の高校です


長女の高校を決めたときも
とてもあっさり
あ。この子はここに通うんだろうなぁ~って予感のような
なんか、ピンとくるって言う言葉がぴったり当てはまるような

どこか、導かれるような感覚でした



次女の高校も
それと変わらなかった
のかなぁ…


ま。どちらも今思えば……

なのかもやけど。



不登校なって、高校進学なんて
無理なんやって思い込んでた
中3の夏前

偶然スマホで通信制高校の合同説明会があるのを見つけて。調度仕事もお休みの日だったから


こんな進学の仕方もあるで
元気出せよーって
少しでも外に連れ出す目的もあって
参考までに、行ってみたのよ
娘と。


そこで
通信制の仕組みを色々説明してもらって
へ~😃ほ~😃
って
今まで思っていた通信制のイメージと全然違うことにびっくりしたなぁ

何か1校くらいは説明聞いて帰ろうかということで

今日、入学した高校のブースに


他人と接することに恐怖を覚えていた娘と
説明者さんの対面

緊張でこわばった顔の娘に
説明者さん
開口一番

「よく。ここに座ってくれたね
勇気だしてここまで来てくれたんだね」

娘の顔が
少し変化して柔らかくなったの
今でも忘れられないなぁ



本当に小さなことなんやけど
私達親子
特に娘にとっては
とても救われた言葉かけだったと思う



それから娘は自分も高校に行ってもいいんだって思ったみたい



そりゃ、普通科の全日に行った方がいいのか
通信制はだめなのか…


すごく葛藤はあったみたいだけど

世間体とか常識とか
今さらいいやん。
誰のために行く訳じゃないんやから
自分が行きたい所に行けばいい

親や他人のこと考えず
自分の心と相談しよう

って




そして、今日

その通信制高校に入学しました


とても緊張していたけど
この子にとっては大きな1歩になった気がする



不安もあるけど
あとは
自分を信じて
1歩1歩進んでほしい


そして
この子なりに目一杯
高校生活を楽しんでほしい😉



通信制高校って
いっても
週5で登校するのよ
頑張れ✊‼娘👍




読んでくれてありがとう\(^o^)/








とてもとても
お久しぶりです。


今日は、区切りとして
どうしても記しておきたくて…



今日は
次女の中学の卒業式でした


中学2年の春
GWの直前、次女が
明日から学校に行きたくない。と
泣きじゃくりながら訴えました

それから、約2年間

殆ど学校に行くことなく今日を迎えました



2年生の時は本人も、私も学校に復帰しなくちゃいけないんだろうな。ともがき苦しんでいました

娘とも心がすれ違い
二人で喧嘩もしたし、よく泣きました

担任の先生ともうまく連携がとれず
いや、担任の先生は尽力下さってたと思うけど、学校とうまく連携がとれず
とてもジレンマを感じました

不登校者には救いの手立てがない学校に
心底幻滅し

親子でボロボロでした…

学校も先生も。本当に何も頼る所がない

辛かったなぁ

娘はどんどん心を閉ざすし…

自殺でもしたら。。。毎日心配で
胸が苦しかった


旦那となんとか見つけたカウンセリングに親子3人で駆け込みました


カウンセリングを続けるとか続けないとか…旦那と娘が大喧嘩したり…

言い表せないくらいのことが
本当にいっぱい。いっぱいありました


3年生の始業式。
娘が頑張って、振り絞って
登校。


けど、また
学校と言うものに
裏切られ、うちひしがれて早退してきました


また振り出し。いや、キズは深まるばかり…

本当に
何度も何度も喧嘩もしたし
何度も何度も二人で泣きました



受験生になるので
定期テストくらいは受けなきゃ

先生にお願いして、なんとか別室で
受けさせてもらえる


…はずだったのに

学校の配慮の無さに愕然

どんなに気持ちを伝えても
不登校者はサボってるとか
勇気がないとか…って思われるんだよね




私は、もう
娘を学校に行かせようなどと思わなくなりました




体育祭を学校裏のフェンス越しに見て
娘と号泣したこともあった

修学旅行に行きたかったな…と呟いてたこともあった

朝まで二人で話たこと
数えきれないくらいあった



そして、卒業式1週間前

式には出れないけど
卒業式を見たい
しっかり見て、自分なりの心の区切りにしたい

と娘が言った。


こればかりは、学校も配慮してくれて

体育館の一番後ろに座らせてもらい
なんとか見ることができました


思い出のある皆との温度差があるからか
式自体はあまり響いてこなかったけど
見ることで
この学校と、自分のけじめがついたみたい。


午後。同級生がみんな帰った後

もう一人いる
不登校の女の子と二人だけの卒業式のために

再度登校


校長室に引率されると
先生方がたくさん残ってくださっていて


担任の先生に名前を呼ばれ
校長先生が
卒業証書を読み上げてくださり
授与式をしてくれました

担任の先生も私も
涙が止まらなかった

娘は泣くのを必死にこらえてました
笑顔で終わりたかったらしい


こうして別室卒業式は終わりました



帰り道


「終わりよければ全て良し。やなママ

いろんなことありすぎたし
学校大嫌いやったけど、今日来てよかった。
自分にけじめついたし

高校生がんばるから
楽しむから。またよろしくね」

と娘が先にそう言いました
同じ気持ちだったので
帰り道二人で泣きました



不登校も悪くなかった。なと。

こんなに自分の娘と腹をわって話たり
深く知れた娘の気持ち


まだまだ
これから何が起こるか分からない


前を向いて歩く…
簡単に言うけど、結構難しい

少し振り返っても下を向いたっていい
そうしないと見えないものもあるんだもん
そうしないと得れないものもたくさんある



何度も何度もその度に立ち上がって
少しずつ進んでいけたら…




今は、娘にありがとう

そう言いたい


私の娘でありがとう





大きな卒業ができたね



ありがとう



















おひさしぶりです音譜

東京ワクワク合宿も無事に終わりましたね

ピカンチハーフの撮影も順調な様子で
今から楽しみで仕方ないです♪

そしていよいよ
ツアー発表ありましたね!!

行きたい!
会いたい!

みんな同じか(笑)

ハワイの当落もあったようで…

相葉さん監修のグッズが楽しみですね ♡
ネット販売はしてくれないのかな~汗



ワクワク合宿大阪♪
日曜の午前に
アラ智さんにギリギリ滑り込みで
声をかけて頂けて

合宿参加させてもらえ
相葉くんに
会えることが叶いましたラブラブラブラブラブラブ

とてもいい席で
感動倍増でした


ありがとう♪
感謝してもしきれませんドキドキ





∞ゴトも順調にさせてもらってます♪

関ジャニの会はハズレました見事に撃沈

今はただただ、十祭の当落を待つのみで
ドッキドキしております




すばるに会いたいですドキドキ










やっぱり私には

嵐とエイト∞が
癒しです。
元気の源です


まだまだ
踏ん張れそうです




会いたいな…










まぁ、久々に更新したと思ったら
ネガティブな話ばかりして
すみませんあせる



とにかく
私たちは
それぞれ必死で生きていて
いいこと、悪いこと
幸せなこと、辛いこと
苦しいこと、

泣いたり笑ったり感動したり…
全ての喜怒哀楽は

やっぱり生きているってことなんだなぁ

って本当に思いました


父親のことも、我が娘のことも…



そして、これからも
間違えながらも
前に進もうと一生懸命
生きていくんだ!って




日々是気付


明日からまた一生懸命生きていこう









ーーーーーーー父親ゴトーーーーーーーー




5月20日
私の父親が亡くなりました。

72歳でした



私が、結婚した次の年くらいに母と離婚して
私の娘が小さい頃は、時々
家に来て(私は母と同居してます)孫の顔を見に来てくれていました


が、母と折り合いもよくなかったみたいで
いつの頃からか
会わなくなって…10年くらい



5月の上旬、姉から電話があって
父親が入院したと

それからすぐ、病院から電話があって
家族と話したいと。

急いで日にちを合わせて
三姉妹で病院へ


父親は痩、とても辛そうで
体に管がたくさん…

切なかったなぁ


主治医は
もう、長くないと…
夏まで持つかどうかって


末期の肝硬変と腎不全
毎日、腹水を3㍑抜いても追い付かないほどに


体が痛そうな父親と
少し話すこともできて


「一人になってから、迷惑かけたらあかんとおもって、とにかく元気でいてやなって思ってきたけど、もうあかんわ…」



「こんな形やけど、お前らに会えて嬉しいわ」


そういって微笑んだ。


離婚されても仕方ない父親やった所もあるし
いい父親でもあったし…
娘として複雑な思いをそれぞれ持ってはいたけれど
父は父で、親不孝な娘と思っていたかも知れないけれど
こうして顔を見ると
全て許せてしまうし
全部許してくれたような

そんな言葉では表せない時間やった



そらから、1週間

急変の連絡が入り
駆けつけたものの
死に目には会えなかった…


私たち父娘を物語っているようで
本当に切なかった



こんな父で
こんな娘たちだけど


父は必死に生きてきた。
それだけは間違いない


離れている間
私たち三姉妹も
必死に生きてきた