根っからの真面目っ子たる若手M。
彼は超誠実です。

今日はこんなことがありました。

彼は、若手にありがちなある失敗をしてしまい、私の上司に叱られてしまいました。

そして、叱られてしょんぼりしているところへ、そうとは知らずに若手Mの同期の若手FRが同じ失敗について、若手Mに文句を言い始めました。

そのとき、若手Mは律儀にも、若手FRにあやまり始めたのです。
すでに、彼にしてみれば雲の上の、私の上司に叱られた後にもかかわらず。

私には、若手Mの態度は奇異に見えました。

同期の若手FRよりもはるかに上位に位置する人物(私の上司)に叱られた後であるにもかかわらず、なぜ若手FRにあやまろうとするのか?

「その件は○○さん(私の上司)にご指摘いただいたので、勘弁してくれない?(^^;;」

なぜ、その一言が言えないのか?若手Mよ。
そうすれば、若手FRの溜飲も下がるだろ。それでも若手FRが文句を言い続けたら、若手FRは
逆に○○さんの顔をつぶすことになるだろ。

こうした、若手Mの態度に代表されるような言動を、私は「敗北主義」と名づけています。

#「敗北主義」という言葉の本当の意味は意識してません。

何か失敗したときに、自分が全面的に悪いと考え、五体投地するかのように、100%マイッタする態度。
これを客先でやられたらたまりません。

失敗はいつでも誰にでも起こりうること。そのたびごとに100%の負けを喫していては、ビジネスになりません。

失敗したときは、その傷口を最小限にすること。

若手Mには、このことを教えてあげる必要があるようです。

では。


どの会社でもそうかもしれませんが、うちでは、電話応対と来客応対は誰にでもできるものではありません。

鬼教官若手Oの試験をパスしなければ、従事できないのですw

いま10月入社の新人たちが、その試験をパスしようと一生懸命です。
電話応対はなんとかパスしたのですが、来客対応がなかなか難しいらしい・・・。

鬼教官Oの評価では、

 新人C(東大)⇒いまどきの若者言葉が出てしまって、悪印象。
 新人Y(東大)⇒お客様を前に固まる。問題外。
 新人I(京大)⇒動作がとろい。声に元気がない。

と、散々なもの。ドクロ

これほどの、いわゆる高学歴新人が、来客応対もできないというのは、がっかりを通り越して痛快ですらありますw

顧客は、こちらの社員の学歴なんか気にしません。
それよりも、あいさつがきちんとできるかとか、自分の気持ちを察してくれるかどうかとか、
対人スキルのほうを重視するものです。

鬼教官もその辺がわかっているからこそ、厳しくしているのだと思います。

がんばれ、新人。

ではー。
新卒採用の時期になって、なにかとバタバタと忙しい中、会社のWebサイトの改修がなかなか大変。

新卒採用の責任者である私の上司が、サイトを変えたいと思っても、担当に指示を出してやらせなければいけないため、タイムラグが発生します。

もー、来年は、絶対何かのCMSをいれてやる。メラメラ

上司が直接、かつ容易にサイトを更新できるように。

XOOPSあたりでどうかしら?

では。
田坂広志先生が「複雑なものには命が宿る」とおっしゃっているそうです。


「そうです」というのは、これは、うちの新人たちから聞いた話だから。

田坂先生の言葉は、さすがの東大卒の新人Yもあまり理解していないようで、その話だけを聞いた私もあまりわかっていいませんw

が、この言葉を聞いたときに、昔々勉強した哲学書のことを思い出しました。
それは、ベルクソンの『創造的進化』。


なぜ、単細胞生物から人間にいたる進化の過程で、たとえば、人間の目のような複雑な器官ができあがっていくのか?

大変不思議なものです。

では、考え方をひっくり返してみるとどうでしょうか?
たまたま進化の過程で生き残った細胞のかたまりが、たまたまものを見るという機能を実現できていると考えるのではなくものを見たいという意志が先に存在して、それに従って細胞が配置されたとしたら・・・。

たとえば、
砂の中に手を突っ込んだら、手の形に砂粒は配置されるわけですが、このとき、一粒一粒の砂にだけ着目すると、「なんで無数の砂粒がこんな複雑な形に並ぶのだろうか?」と不思議に思えるはず。

だけど、実際には手の動きが先にあり、砂粒はそれに押し出されて、手の形に並んだだけです。
手の動きに着目すれば、砂粒の配置は不思議でもなんでもなくなる。

人間の目の成り立ちも、さらには、生命体そのものの成り立ちも、このような、砂粒と手の関係と同じではないか?


と、まあ、長くなりましたが、そんな話が『創造的進化』の中で語られています。

ここで田坂先生に戻ります。

複雑なものに命が宿るためには、意志が必要なのではないか?

と、私は考えました。

人体には無数の細胞があるわけですが、それらはすべて「生きる」という意志に支えられていると考えられる。
その意志がなければ、人体もただの無意味な細胞の塊にすぎなくなります。

このことは、会社という組織にも当てはまるのではないでしょうか?

会社組織も「複雑なもの」なわけですが、なんらかの意志がなければ、無関係な人々がたまたま同じオフィスにいるだけとなってしまい、それでは会社組織とは言えないでしょう。

複雑なだけでは命は宿らない。

ということは、会社組織に命を吹き込むのは、それを構成する社員に共通する意志なのではないでしょうか?
具体的には、ビジョンとか、クレドとか、夢とか、理念とか、そういうものを社員が共有している会社が、命の宿った会社ではないか・・・。

田坂先生の言葉から、そんなことを考えたのでした。

では、このへんで。
若手女子社員C。

またの名を力持ち担当。
彼女はその名のとおり力持ちです。

今日もそれを実感させる出来事がありました。

会社のパンフレットが入った段ボール箱を玄関まで運ぶというときに、ひょいと200部入り(20Kgくらい)を持ち上げ、さらに、私に向かって、

すみません、そこの100部の箱を上に載せてもらえませんか?

などと平気で言ってきましたw

私が内心驚きつつ、そのとおりにすると、彼女はよろめきもせず、さっさと玄関まで歩いていきました。


私の上司は日ごろから、「女は体力よっ!」と言っているのですが、その教えを忠実に実践しているのが、若手Cなのです。

どんなにスキルが高くても、元気がなければ軽く見られるものです。

その点、若手Cは後輩のよいお手本ですね。

ではー。