この前ニュースになったあれ。

大学生に勉強させよ…対策の大学に財政優遇( YOMIURI ONLINE)


「大学生を勉強させるために、とうとう国が尻をたたく」

どうも違和感がある。


大学生が勉強しないのはもともとだとは思うが、なんのために補助金コントロールでさせるものなのかがよくわからない。

(そういえば、大学紛争で団塊の世代は講義に出ることなく卒業して普通に就職していったんだったっけ?)


それに対する現場の反応とか。

「大学生に勉強をさせよう!」に対する反応

高尚な話をしているが、話のベクトルが違う気がする。


大学生はなぜ勉強しないのか(アゴラ)

これもだ。


原因を、「何のために勉強するのかわからない」「大学の授業と高校の授業の違い」としている。

これは、ちゃんと高校まで勉強して、国公立の大学にいって勉強時間自体は少なくし、普通に大企業に就職する人のパターンであるように思う。つまり、「学力」という大学合格以後は必要のないものさしを基準にしているわけではなく、大学での勉強時間自体に注力している見方なように感じるのだ。



昨今の「頭の悪い大学生」現象はそういう人たちではなく、本当に頭の悪い人たちが出てきてしまったからだ。


むしろ問題は、「大学生が勉強をしない」のではなく、「できない」ほうにあるのではないか。


普通の学力としての視点で言うと、制度自体が昔と比べて大きく変わったわけではないのだから普通の大学生が勉強しなくなったわけではないと思う。(むろんゆとり教育は導入されたが、国際学力調査を論拠にしてバカになったというのは愚かだ。根拠は薄い)

一つは、大学の乱立と少子化によって「高校までしかいけないようなバカ」でも大学に行くようになったこと。

そういうバカはもともと勉強なんかしない。そういうやつが増えたら平均が減るのは当然だ。


もう一つは、私学の学費がうん百万かかること。

それに反比例して世帯収入は減り、アルバイトをせずに大学へいける裕福な学生が減っている。

アルバイトをやっていたら、勉強なんかする時間はない。


そして、就職活動に三年の夏から参加「しなければならない」ことだ。(最近はもうちょっと遅くなったんだっけ)

三年、四年で勉強時間などとれない。


つまり、「大学生活中も稼がなくてはならないこと」と「今後の生活のために就職活動をしなければいけないこと」という二つの経済的動機から学生は勉強を「できるだけしない」ようにしなければいけない。

教育制度としての問題は多々あるが、助成金の行き先をきまぐれにいじるだけでは解決しない。

これは企業を含めた社会全体の構成による結果なのだ。



「日本の大学生は国際比較でも勉強時間が短いとされ~~大学の学部教育への国民や企業からの評価が低い要因だとしている。」

そもそもこの評価自体が間違っている。勉強時間が少ない=企業の評価が低いなどと、本当に思っているのだろうか。アルバイト漬けでろくに勉強をしないリア充が大学院まで行って完璧な成績を修めた人を横目に内定をとっている現状をどう分析するのだろうね。