もう一ヶ月近く更新してなかったかぁ。
まぁ、特に何もなかったので・・・。
ゲームしたり、アニメ観たり、家事したりしてましたよ。
もうまるっきり主夫ですね。どなたかキャリアウーマンの方、もらってください。
とりあえず本は読もうとブームをとうに過ぎているアレを読むことにした。
これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
やはり思ったとおり、難しい。番組を観た人ならわかるだろうけれど、実際に講義ではこの本を教科書として利用している。
つまり、哲学の教科書なのだ。
この分野については全くといって良いほど知識がないため、読んでいて気になった部分だけをメモしておくことにする。
この本では、というかアメリカの哲学論議では、個人の意思を重んじるリバタリアンと共同体を重んじるコミュニタリアンの対立が軸となっている。
しかしアメリカ以外ではこの対立軸自体があるかどうか怪しい。リバタリアンという存在がアメリカ特有の存在とも言って良いからだ。(日本やヨーロッパにもいるが、少数派だと思う)
著者がコミュニタリアンなので、最後の重要な部分で議論誘導が目立つ。だいたいがリバタリアンに対する反論で終わり、「なんだか腑に落ちないなぁ」と感じる部分も少なくない。「哲学」というものの考え方の範囲が掴めていないせいでもある。(例えばマクロな経済政策の考え方とミクロな個人の考え方が一緒に語られているように感じるし、前提条件が国や時代によって変化するものを現代の基準で考えているようにも感じる)
でもアメリカの政策論議で必ず出る所得再分配の議論はベースとなるリバタリアンの考えを理論的に知ることができた。
「自分で稼いだ金は自分のものであり、国に収奪する権利はない。ましてやそれを他人にあげることなどもってのほか。国は最低限のことさえすればよく、「道徳的」なことだからといって法律を作るのは個人の自由の侵害だ」
これはすごく簡単にしたものだと思うけれど、こんな感じの理解で良いと思う。こういうことを思うのって、国民平均以下の給料しかもらっていない人の中でいるのだろうか。これをアンケート等で「資産・年収別」にパーセンテージを取ってみたいと思った。哲学の問題でこのことを考えるのはお門違いなのだろうけど、年収が高くなれば、それを取られたくないと考える割合は高くなるはずだ。そしてまさにアメリカは富裕層がロビー活動で減税をするように圧力をかけ、「非民主・資本主義」の国となっている。
つまり、「金持ちが税金を取られたくない故に持ち出してきた理論」なんじゃないかと思ってしまうんだよね。もちろん歴史的にはピューリタンからのつながりがあることは確かなんだろうけど、現在ではその考え方が人口に比して力を持ちすぎている。
ただ著者の誘導に私が乗せられているだけかもしれないが、一番同意が容易だったのは、6章のロールズの正義論かもしれない。人が格差があるのはその前提条件が違うからであり、功績と収入には道徳的か否かで「公正さ」が決まるということ、らしい。
著者も、「うまくいくかどうかはともかく、ロールズの正義論はアメリカの政治哲学がまだ生み出していない、より平等な社会を実現するための説得力ある主張を提示している」と書いている。
まあでも、アメリカは課税や分配の議論については中絶・同性結婚とおんなじような感じで議論が成り立たない国なので、「社会主義」と呼ばれてしまう(しかしアメリカ以外の国では普通の)課税議論は進まないだろうなぁ、と思う。
実際に、現在のアメリカ人の考え方では貧困は「人格に問題があるから」(意欲や能力がないという個人的な欠陥があるため)という考え方が半数を占めていて、貧困者に対するバックアップをよしとしない風潮がある。また、経済の波によって大勢が変わり、好調な時には再分配には圧力がかからず、不況時には分配圧力が強くなる。民主党と共和党の交代と同じく、経済政策にも一貫性を出すことができないアメリカの特異な状況と言えるのだろう。
ただこの哲学講義ではアメリカ一国の政策論議は把握できても、そこから一歩出て、世界的な不平等までは答えが出ない。その名前からある種の人々に拒否反応を起こす「フェア・トレード」はその時点から出発しているのだ。貧困問題はその国だけでなく、アメリカのドル政策と食糧政策、貿易政策に大きく左右される部分がある。この「世界的不公平」は「誰も責任をとるものがいない」故に増幅される。そこで方針の転換を考慮するべきなのだと思うが、果たして経済政策は自国のみを考えればすむ問題なんだろうか。
また、この問いは「個人はどの範囲まで責任を持てるのか」「どの範囲まで口出しをして良いのか」ということにつながると思う。私たちが払っている税金からODAの予算は拠出されているし、私たちが買っている食材は半分以上が海外から輸入している。「ビジネスとして関わった場合と社会制度(税金)を通して関わった場合では責任の範囲が違うのか」も考えなければならないようだ。
この本の中で一番難しい部分は、5章のカントによる道徳の哲学だった。
ずいぶんややこしいので、「俺は純粋実践理性っていう、「ウソをつかない」っていうのが一番カッケーと思ってる。だからおまえもウソつくなよ」という理論なのだと勝手に思っている。(これについては全く勉強しようという気がない)
カントが「他律的」と呼ぶ私利や必要性、選好以外に人間の行動基準はあるのだろうか、とかよくわからない。
たとえば仕事をするとき、人間は「利益」や「選好」によってその仕事をすることを選んでいる。お金を得られなければ生きていけないし、自分の「好む」仕事でなければやりたくはない。
この本ではパン屋の主人が店に一人で来た子供に値段をふっかけるかという例を出している。「周りに悪評が広まるかもしれない」と考えて正常な値段を請求した場合、「評判を保つため」という私利によって、道徳的な価値がないとしている。
しかしそもそもパン屋が「正常な値段」としているものが、本当に正常な値段だとなぜわかるのか、客から報酬をもらう行為自体が私利を目的としたものではないのか、パン屋がパン屋をしているのは、「パンを焼くのが好きだから」だとしたら、そもそもこの仕事をしていること自体に定義された「道徳的な価値」がないのではないのか。
色々な疑問がわいてくる。
「正しさ」はどうやって「正しい」と認識されているのかが、わからないのだ。
「私はカントの定義する道徳的価値に価値を感じない」と偉そうに言ったりしても通じる?
でも、カントは難しすぎるので、この疑問はそのまま置いておこう。
全然わからなくても困らない。それが哲学。
まぁ、特に何もなかったので・・・。
ゲームしたり、アニメ観たり、家事したりしてましたよ。
もうまるっきり主夫ですね。どなたかキャリアウーマンの方、もらってください。
とりあえず本は読もうとブームをとうに過ぎているアレを読むことにした。
これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
やはり思ったとおり、難しい。番組を観た人ならわかるだろうけれど、実際に講義ではこの本を教科書として利用している。
つまり、哲学の教科書なのだ。
この分野については全くといって良いほど知識がないため、読んでいて気になった部分だけをメモしておくことにする。
この本では、というかアメリカの哲学論議では、個人の意思を重んじるリバタリアンと共同体を重んじるコミュニタリアンの対立が軸となっている。
しかしアメリカ以外ではこの対立軸自体があるかどうか怪しい。リバタリアンという存在がアメリカ特有の存在とも言って良いからだ。(日本やヨーロッパにもいるが、少数派だと思う)
著者がコミュニタリアンなので、最後の重要な部分で議論誘導が目立つ。だいたいがリバタリアンに対する反論で終わり、「なんだか腑に落ちないなぁ」と感じる部分も少なくない。「哲学」というものの考え方の範囲が掴めていないせいでもある。(例えばマクロな経済政策の考え方とミクロな個人の考え方が一緒に語られているように感じるし、前提条件が国や時代によって変化するものを現代の基準で考えているようにも感じる)
でもアメリカの政策論議で必ず出る所得再分配の議論はベースとなるリバタリアンの考えを理論的に知ることができた。
「自分で稼いだ金は自分のものであり、国に収奪する権利はない。ましてやそれを他人にあげることなどもってのほか。国は最低限のことさえすればよく、「道徳的」なことだからといって法律を作るのは個人の自由の侵害だ」
これはすごく簡単にしたものだと思うけれど、こんな感じの理解で良いと思う。こういうことを思うのって、国民平均以下の給料しかもらっていない人の中でいるのだろうか。これをアンケート等で「資産・年収別」にパーセンテージを取ってみたいと思った。哲学の問題でこのことを考えるのはお門違いなのだろうけど、年収が高くなれば、それを取られたくないと考える割合は高くなるはずだ。そしてまさにアメリカは富裕層がロビー活動で減税をするように圧力をかけ、「非民主・資本主義」の国となっている。
つまり、「金持ちが税金を取られたくない故に持ち出してきた理論」なんじゃないかと思ってしまうんだよね。もちろん歴史的にはピューリタンからのつながりがあることは確かなんだろうけど、現在ではその考え方が人口に比して力を持ちすぎている。
ただ著者の誘導に私が乗せられているだけかもしれないが、一番同意が容易だったのは、6章のロールズの正義論かもしれない。人が格差があるのはその前提条件が違うからであり、功績と収入には道徳的か否かで「公正さ」が決まるということ、らしい。
著者も、「うまくいくかどうかはともかく、ロールズの正義論はアメリカの政治哲学がまだ生み出していない、より平等な社会を実現するための説得力ある主張を提示している」と書いている。
まあでも、アメリカは課税や分配の議論については中絶・同性結婚とおんなじような感じで議論が成り立たない国なので、「社会主義」と呼ばれてしまう(しかしアメリカ以外の国では普通の)課税議論は進まないだろうなぁ、と思う。
実際に、現在のアメリカ人の考え方では貧困は「人格に問題があるから」(意欲や能力がないという個人的な欠陥があるため)という考え方が半数を占めていて、貧困者に対するバックアップをよしとしない風潮がある。また、経済の波によって大勢が変わり、好調な時には再分配には圧力がかからず、不況時には分配圧力が強くなる。民主党と共和党の交代と同じく、経済政策にも一貫性を出すことができないアメリカの特異な状況と言えるのだろう。
ただこの哲学講義ではアメリカ一国の政策論議は把握できても、そこから一歩出て、世界的な不平等までは答えが出ない。その名前からある種の人々に拒否反応を起こす「フェア・トレード」はその時点から出発しているのだ。貧困問題はその国だけでなく、アメリカのドル政策と食糧政策、貿易政策に大きく左右される部分がある。この「世界的不公平」は「誰も責任をとるものがいない」故に増幅される。そこで方針の転換を考慮するべきなのだと思うが、果たして経済政策は自国のみを考えればすむ問題なんだろうか。
また、この問いは「個人はどの範囲まで責任を持てるのか」「どの範囲まで口出しをして良いのか」ということにつながると思う。私たちが払っている税金からODAの予算は拠出されているし、私たちが買っている食材は半分以上が海外から輸入している。「ビジネスとして関わった場合と社会制度(税金)を通して関わった場合では責任の範囲が違うのか」も考えなければならないようだ。
この本の中で一番難しい部分は、5章のカントによる道徳の哲学だった。
ずいぶんややこしいので、「俺は純粋実践理性っていう、「ウソをつかない」っていうのが一番カッケーと思ってる。だからおまえもウソつくなよ」という理論なのだと勝手に思っている。(これについては全く勉強しようという気がない)
カントが「他律的」と呼ぶ私利や必要性、選好以外に人間の行動基準はあるのだろうか、とかよくわからない。
たとえば仕事をするとき、人間は「利益」や「選好」によってその仕事をすることを選んでいる。お金を得られなければ生きていけないし、自分の「好む」仕事でなければやりたくはない。
この本ではパン屋の主人が店に一人で来た子供に値段をふっかけるかという例を出している。「周りに悪評が広まるかもしれない」と考えて正常な値段を請求した場合、「評判を保つため」という私利によって、道徳的な価値がないとしている。
しかしそもそもパン屋が「正常な値段」としているものが、本当に正常な値段だとなぜわかるのか、客から報酬をもらう行為自体が私利を目的としたものではないのか、パン屋がパン屋をしているのは、「パンを焼くのが好きだから」だとしたら、そもそもこの仕事をしていること自体に定義された「道徳的な価値」がないのではないのか。
色々な疑問がわいてくる。
「正しさ」はどうやって「正しい」と認識されているのかが、わからないのだ。
「私はカントの定義する道徳的価値に価値を感じない」と偉そうに言ったりしても通じる?
でも、カントは難しすぎるので、この疑問はそのまま置いておこう。
全然わからなくても困らない。それが哲学。