側溝が終わり、四日目はお宅を担当。
中をやるかと思ったら、畑にしていた八畳間ほどのスペースだった。

そういうところは微妙なのが、「どこまで掘れば良いのかわからない」ということだ。
真ん中のほうはそうでもなかったのが、端っこは50センチ以上掘ってもまだ固まりでヘドロが出てきたり、水が抜けていないやつもあったり。
つまりスコップでずーーーーっと掘り続けなければならない。

そこはかとなく隅っこ。-どこをどうやれば

四日目も快晴で、かなりつらい時間だった。
掘るほうはあまり担当しなかったけれど、土嚢が重く、さらに捨てる場所がちょっと遠かった。
フラフラになりながらも土嚢を運ぶ。
そこではオーナーのご夫婦も手伝ってくれて、絶対に弱音は吐けなかった。

途中で道路一本隔てた向こう側で人手が足りなくなり、駆り出されることに。
そこはバキュームカーがきたものの、予定していた側溝に家から出した土嚢を積んでしまって作業できないという状況だった。
土嚢を別の集積所に運ぶ。
実はここが一週間で一番のキツイ作業だった。
炎天下で土嚢を運ぶだけだが、距離は30メートル程度だっただろうか。

なにしろ、その家の人たちが総出で土嚢を運んでいるのだ。
おばちゃんたちも重いものを運んでいる。
「もう筋肉の限界です」などとは口が裂けてもいえない。
ネコを持っていたのは限られた人数だったため、持っていた私が重いものを優先的に運ばなければいけない。
途中でインターナショナルチームからマッチョさんたちが来たときは天の助けだと思いましたよ、ええ。

それでひと段落ついたとき、その家の人から話しを聞かせてもらう。
もう一人が「南三陸に友達がいるんですけど」と話したら、「こんなところで作業してたってしょうがないよ、南三陸なんかなんもないよ」との答え。
南三陸とかは本当に壊滅状態で、人が住めるようにもなっていないらしい。
まったくの手付かず。つまり行方不明者として新聞に載っている人たちがいまだにヘドロの下に埋まっているらしいのだ。
また、私たちが作業していたところでもまだ何百人と見つかっておらず、私たちが土嚢をつんだ「ガラクタ置き場」とでも言えるようなところは下を掘り返せば何人もいるはずだとのこと。
この前はボランティアの人が「これマネキンですかねぇ?」と人間の足を持ってきたらしい。


想像よりはるかに深刻な状況に、言葉を失う。


また畑の泥だし作業に戻る。
そこは支援物資の中継地点のような場所で、その夫婦が配分をしていたのだが、ちょうどサガワで支援物資がきた。
「ボランティアできてもらっているのに何も出さないのはどうか」と思ったのだろう。
その支援物資の中から、「取りに来ないから」とパンをいただく。
昼に来たそれを、昼食のちょっと前に受け取った私達はありがたく受け取った。

しかし、夕方に作業が終了近くなると、ちょっと違ったのだ。
まとめて支援物資をダンボールに入れて「帰るときにもって行きなさい」として渡してくれた夫婦。
頂くことにして、おいておいた。そしたら、まだ受け取っていなかった家の人がきて、「なに、これは。支援物資じゃないの?」とちょっと険悪なムードになった。

夫婦は私達に渡すものと決めていたので、ちょっとこじれそうだった。
すかさず、「ああ、いいんです。持っていってください」と返すことで、なんとかことなきを得た。

それからは、反省して「支援物資は勧められても受け取らない」という決め事をつくることにしたが、こういうことで容易に地域の精神状態は悪化する。
甘く考えていたが、被災者の方との交流は慎重を期さねばならないことを痛感した。




父からのメールで、元気は無いけど犬のう●こが硬くなったとのこと。ちょっとほっとする。これで離れ離れになっても大丈夫だろうか。