フィリピンではゴミ捨て場で、ゴミを拾うことで生計を立てている人たちがいる。
衛生状態がとても悪く、なにか病気にでもなればあっという間に死と直面する人たちだ。
そういう「スカベンジャー」(ごみあさり)を20年にわたって撮影している映画監督がいる。

11月20日に朝日新聞で紹介されていた四ノ宮浩監督だ。「BASULA」という映画が最新作であり、私が見たのは二作目「神の子たち」だった。現在ほとんどの上映会に監督は話をするため、参加されている。

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四ノ宮浩さんは、路上での物乞いをする子どもたちのお金を乞う視線に耐えられなくなり、ゴミ捨て場に向かった際に出会った子どもたちの純粋な目、母親のために仕事をする貧困の中での彼らの精神に感動した、というようなことを仰っていた。

彼らがゴミ捨て場に流れ着いたのは、最初に失業問題がある。フィリピンは失業率が50%にも上るような国だ。
父親が失業した場合、頼れるのは家族だけだ。農産物なども、台風のメッカであるフィリピンでは中々育たない。
必然、ゴミ捨て場のような汚いが金のもらえる仕事につかざるを得ない。

このゴミ捨て場での「リサイクル」システムというのは、固定化された構造的問題である。
監督は60年前からこのシステムが完成されているという発言をした。
決して、ゴミ捨て場をなくせば解決するような問題ではないのだ。
第一作目の「忘れられた子どもたち スカベンジャー」で取り上げられた「スモーキーマウンテン」はフィリピン政府によって「貧困の象徴だから」という理由で封鎖された。
「神の子たち」でも、山のように積み重なったゴミが崩落し、500世帯が生き埋めになるという大惨事が発生して、政府が閉鎖した。
だが、彼らにとってゴミは生命線なのだ。閉鎖されると、彼らの収入源が断たれ、いよいよ死へと歩むことになる。
だから、デモを行う。「ゴミ捨て場を閉鎖するな!」と。
崩落や火事によって家族を失うことと、閉鎖されることは同じ命の危機に繋がることになる。

ゴミ捨て場がなければ、彼らは物取り、彼女らは売春をするしかなくなる、ということも言える。
だからと言って、このような貧困状態が良いとは絶対にいえないのだ。

先に、構造的問題であると述べたが、それゆえにこの問題の根は深いのだろう。
質問があった際に、カナダのNPOでフィリピンで活動していた方が話していたことだ。
「フィリピン人は多くの人が募金をしている。だけれども、アロヨ大統領の基金であるため、これは大統領が勝手に使っていい金だ、という風に貧困者に回っていない」という趣旨のことを言っていた。
一割の金持ちが土地を独占し、7割の貧困者がどうにもならないフィリピンの経済的バランスというのが、多くの原因にもなっている。多くの途上国では、政治的、経済的なガバナンスが問題だが、フィリピンも例に漏れず、汚職などが足かせになっている。

監督はもうフィリピンの映画はとらないと言って「BASURA基金」を立ち上げている。
映画に出てくるような日々子どもが死ぬ環境を作らないためにだ。

基金や援助で、このような子ども達の環境を改善することは危急のことだ。
だけれども、これで本当に解決するのだろうかということは援助関係の事例で非常によく思うことだ。
実際やらないよりはやるほうが数千倍マシだ、というのはわかっているのだが。

自分にその一歩が踏み出せないことを日々恥じ入っている。