●触覚(ふれること)とは?

  世界に出会い、自分に目覚めること

 

 

これから幼い子どもたちとのオイリュトミーの時間に気づいた大切なこと、お伝えしたいことを折に触れてお伝えしていこうと思います。

 

  ♪おてぶしてぶし、手ぶしのなかに♪~

 

わらべうたを口ずさみながら、

小さな手に握っているのは、ドングリ(太っちょ、やせっぽち、穴あき)、貝殻、小さな水晶、おはじき・・・。どれも皆、手触りが違います。

自分の周りの世界に、子どもは触覚を通して出会っていきます。

特に触れることをとおして、少しずつ目覚め、自分の体を意識することができるのです。

 

だから幼児期には、ほんものに触れることがとっても大切。

まがいものは避けたいものですね。

高価である必要はありません。質を優先したいものです。

 

幼い子どもたちの脳は、五官で受け取った感性情報を丸ごと刻印してできていくからです。

自然素材のもので遊びと、

プラスチックの遊具で遊ぶのでは触覚の成長において、大きな違いが出ることでしょう。

 

ツルツル、ざらざら、スベスベ、ツンツン尖っていたり,ふんわりやわらかかったり、

暖かい、冷たい・・触れることで幼い子はいろんなことを体験します。

 

●聴覚と触覚、発音体感の一致

 

面白いのは、ザラザラ、すべすべなどの擬音が、耳に入る時の聴覚の感覚と、触覚の感覚が感じることは、一致していることです。

 

柿、栗、胡桃、などの堅い果実の名前は、発声するときは、筋肉を硬くして発声します

そして堅い響きが聞こえますね。

もも、ぶどう、バナナ、などの柔らかい果実の名は、発声するときに、唇を使ったやわらかな音声では発声し、

その響きは、甘く柔らかく聞こえませんか?

 

言葉を動くオイリュトミーは、聴覚と触覚、視覚、運動感覚などを発音体感を通して統合する身体芸術と言えるでしょう。

だから、目に見えない言葉の命が実感できるのです。

 

●触れることで離れ、意識の光を宿す

 

お母さんの腕にだかれている赤ちゃんは、まだ、自分を取り巻く世界と一体になってまどろんでいます。

でも、自分で這い這いができ、立って歩けるようになり、いろんなものに触れることで、一体だった大きな世界から、少しずつ離れ、目覚め、やがて“私”という自己意識を三歳頃に持つことができます。

この意識の輝きこそ、かけがえのない光。

この意識の光が、まっすぐ、たくましく育ち、自分を支えられる精神の光の柱となるように、教育をとおして、20年近くの歳月をかけて、「人に成る」のです!

 (動物はすぐ、大人になります。人間だけがゆっくりと成長するんですね。この「ゆっくり」にも意味があります)

 

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先日、オイリュトミーにきたお子さんが、玄関ホールの窓辺に下がっている「クリスタルボール」をもう一回見たいと、

再び戻ってきました。

(クリスタルボールはお日様の光を浴びてキラキラ光り、室内のあちこちに虹がきらめいています!

きらめく虹の子どもは、あちこちでゆらゆらゆれて、まるで遊んでいるようです。)

大人は気づかなかったのに、幼い子は、ちゃんと美しく輝く小さなものに気がついていたのでした。

幼児たちは、実はほんとうに大切なことを、大人よりもちゃんと知っているんですね!


「触れ合いとは別れであり、

再会である。」ノヴァーリス

 

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♪わらべうたで、あ そ ぼ♪

 

おてぶしてぶし てぶしのなかに

へびのなまやけ、かえるのさしみ、

いっちょばこやるから 

まるめておくれ、

いーやよ

 

 

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オイリュトミーの時間にはいろんな美しい響きや

自然の素材でできた小物を使います。

 

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