●漂流者、音吉

 

日本最古のヨハネ伝を翻訳した、音吉たちを乗せた船、宝順丸は1832年11月に遭難、14ヶ月もの間、太平洋を漂流。

私だったら1週間でも耐えられないのに、1年以上も、西も東もわからない大海原で波に揺られたまま。大地の硬い確かさも足元にはない。

いつ、どのように、漂流が終わり、何処にたどり着くかも皆目わからない。

想像しただけでも恐ろしい!

 

でも考えてみたら、人生は漂流のようなもの。

確かだと思っていたもの、頼りにしているものも、すべて時の流れとともに変化し、様変わりする。激変続きの漂流人生を根底で支えるものは・・・・?

 

●漂流人生を支えるものは?

 

それは、大きな意味での「コトバ」ではないだろうか?

見える海面上(意識の表層)だけでなく、見えない海面下(夢や無意識)の黒々とした重たい水のうねり・・・

意識的な頭脳のみで作る言語ではなく、音楽のような「調べ」に似ているのかもしれない。

絵画彫刻などのアート全て

見えぬ海面下のうねりこそが、見える流れと一体となって漂流者を運ぶ。

思いがけぬところへと。本来の目的地へと。

 

●見えない大いなる力「他力」が働く場としての「音、色、形」

 

作家の五木寛之氏は、そんな見えない大いなる力を「他力」と呼ぶ。

「他力とは、言葉を変えると目に見えない大きな宇宙の力と言ってもよく、大きなエネルギーが目に見えない風のように流れていると感じるのです」他力/p100

 

音や色、形は、大きな世界からの力=他力が働く場を作るのだろう。

 

 

●日常の言葉と大きな世界の言葉を結びつけるオイリュミー

 

そこにおいて私たちは真に生かされることができるのだ。

 

オイリュトミーとは、日常的な「言葉」と大きな世界の『コトバ』(そこには他力が働く)を身体上で結びつける芸術なのではないだろうか?

 

無意識的な力が生き生きしている幼児や子ども、そしてハンディを持つ人たちは、だからごく自然にオイリュトミーを楽しむことができる。

 

しかし大人にとって、無意識の闇を意識の光で照らすことも確かに必要。

 

そんな大人のための凝縮した「響きを動き、言葉を生きる」2日間の夏合宿です。(部分参加もできます)

 

●合宿内容

 

母音と子音が合わさって言葉を話す。

その母音の力を、私たちの心のふるさとである古典「古事記」冒頭で体験する。

 

さらに子音の力を、文豪ゲーテのファウストから、地水火風の精霊を呼び出す呪文をテキストに動く。

 

音楽はビバルディ「夏」、そしてフランクの「前奏曲」で音の原型に出会う。

音を色や形、動きに変換する。

 

●ヒカリワ クラサニカガヤク

 

意識と無意識をつなぐ私たちの身体。

芸術体験とは、クライ部分にヒカリをあてる体験だ。

 

感覚の光をあて、感情の熱で温めることでカラダウツワに、楽器となる。

「音◎言」を宿し、「舞う」ことのできる神聖なウツワに。

「ヒカリワ クラサニカガヤク」!

 

合宿内容詳細は↓

 

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