昨日は小倉の本屋と図書館にいった。

本屋にいると落ち着くという人がよくいますが、

その理由は僕の場合、

錯覚するからだと思う。

知識や想像に囲まれることで、僕はその虚像たちの中に溶けていくような。

僕が溶質で、
本が溶媒で。

溶媒が多すぎて、僅かな溶質は簡単に溶けきってしまうのだ。

うん、そんなイメージだ。

僅かなという表現は、
不安から生まれるもので、
不安を安心に変えるのが大量の本であって、
この安心が生まれた瞬間、錯覚に陥るわけだ。



そこに存在するだけでは
意味がないのです。



何かしなければ。

自分が欲する何かをしなければ。






北九州に川上未映子(乳と卵、ヘヴンなど)さんが来たという情報を得て、本屋で著書を探してみた。

写真があったのだけど、綺麗な人だなーと思う。

そして前から気になっていた、「わたくし率 イン歯ー、または世界」をキープした。

財布的にあと1冊いけるな、と思ってうろうろしていると、圧倒的な存在感を醸し出している文字が目にとまった。



あ…



志摩さん、太田さん…



「晩年」



そう。太宰治だ。

脳が太宰を欲している。

どうなんだそれは、と思いながらも、気付くとレジの前なのだ。

買っちゃいました。

さようなら。