阪急交通社トラピックスの「オーストリア航空で行く!バルカン半島6カ国巡りモニターツアー12日間」の2日目、ホテル・コンチネンタルからの報告です。
2日目のスケジュールは以下の通りです。

◎2日目(2012年9月21日)
 8:30 ホテル発
      バスでスコピエ市内観光へ
 8:49 聖クリメント教会(約10分)
 9:10 スコピエ博物館(旧スコピエ中央駅)
      徒歩で散策
 9:20 マザーテレサ博物館(約18分)
 9:46 マケドニア広場
      アレキサンダー大王像、マザーテレサ生家跡、マケドニア門、スコピエショッピングセンター
 9:55 石橋(カメンモスト)
10:05 聖ディミトリア教会、アートギャラリー
10:07 オールドバザール
10:20 マケドニア博物館(約21分)
10:52 ムスタファ・バシャ・モスク(約6分)
11:00 カレ要塞
      バスでビトラへ(約181.8㎞、約2時間48分)
13:48 ビトラのバスターミナル
      徒歩で市街地へ
14:58 レストラン「Gradska Kafana」で昼食(約1時間10分)
      徒歩で市内散策
15:19 マグノリア広場
      時計塔、イェニ・モスク
15:46 オフィサーズ・ハウス
      バスでビトラ郊外へ(約2.0㎞、約7分)
16:00 ヘラクレア遺跡(約49分)
      バスでビトラ市内へ
16:57 ピトラのバスターミナル
16:58 アタテュルク博物館でトイレ休憩(約8分)
      バスでオフリドへ(約72.3㎞、約1時間25分)
18:32 レストラン「Bijanini izvori」で昼食(約1時間47分)
      バスでホテルへ(約6.1㎞、約14分)
20:34 「メトロポール・レイクリゾート・ホテルベルビューオフリド」着



前日の遅い到着で、ほとんど寝ておらず、そのまま朝を迎えました。
目覚まし時計をセットし5時前にベットに横になり、40分ほど睡眠をとっただけで、すぐに起床しました。





6時前の外の様子です。明るくなりつつも、まだ暗いです。
$ヨーロッパの街歩き-ホテル外





7時を過ぎたところで、ホテル内の朝食会場へ
すでに何名かのツアーメンバーが食事をしていました。
ヨーロッパの街歩き-朝食レストラン





朝食はこんな感じです。
ヨーロッパの街歩き-朝食





いったん部屋に戻り、身支度を整え、出発までホテル周辺を散策しました。





昨日、暗かったので撮影できなかったホテルの外観です。
ヨーロッパの街歩き-ホテル
ヨーロッパの街歩き-ホテル前





ホテルは幹線道路沿いにあり、周辺には見所もありません。
ヨーロッパの街歩き-幹線道路1 ヨーロッパの街歩き-幹線道路2





幹線道路の標識にはプリシュティナの文字が見えました。今回訪問しないコソボの首都につながっているようです。
ヨーロッパの街歩き-標識





ホテルから見えたボドノ山頂のミレニアムクロスと呼ばれる十字架です。
高さ60mもある大きな十字架のようです。残念ながら今回のツアーコースには入っておりません。
ヨーロッパの街歩き-ミレニアムクロス





出発5分前、バスの前にツアーメンバーが続々と集まりだしました。
今回のツアーメンバーは一人参加が8名、二人参加が5ペア10人の総勢18人。はめずらしく一人参加が多いツアーとなりました。
バスの乗車方法は、昨日添乗員さんから話があり、A~Cの3グループに分け、日替わりでグループ順に好きな座席に座るというもので、出発5分前になったら最初にAグループ6人が座席に座り、全員が座ったところで次のBグループ6人が座席に座り、最後に残った座席にCグループが座る・・・。明日はBグループ、明後日はCグループがそれぞれ一番最初に座席を選ぶという感じになります。
ヨーロッパの街歩き-バス





8時30分になり、全員がバスに乗車したところで、ホテルを出発しました。
午前中はスコピエ市内観光になります。





スコピエはマケドニア共和国全人口の3分の1が居住する首都であり、政治、文化、経済の中心都市。
旧市街の至るところではオスマントルコの影響を感じさせる建物が多く見られる一方で、新市街には近代ヨーロッパの影響を感じさせる建物などが見られることから「バルカン半島の歴史の縮図」とも呼ばれているようです。
古くからバルカン半島における交通の要所で、歴史を通じて非常な重要な意味を持つ場所でもありました。
スコピエの歴史は古く、古代この地に居住していたダルダニ人によって作られた都市国家スクピまで遡ります。紀元前4世紀になるとフィリポス2世がマケドニア北部を統治し、紀元前164年にはローマ帝国の属領となります。やがてローマとの交易によって都市化が加速すると、相次いで幹線道路や水道橋や劇場、浴場などが整備されるようになりました。
313年、ミラノ勅令により、スクピは主教座となり、大主教座まで発展。
395年には東ローマ帝国の支配下となります。
518年の大地震によって、壊滅的な被害を受けてしまいますが、その後都市は再建。
972年、第一次ブルガリア帝国の首都となり、ビザンティンの行政地域の首府となりますが、11世紀後半の大地震をきっかけとして衰退。
1346年、セルビア帝国の首都となります。
その後、14世紀から勢力拡大してきたオスマン軍により、バルカン半島が制圧され、1392年から約520年にわたり長いオスマントルコの支配が続くことになります。
1912年、バルカン戦争が勃発し、セルビア王国の統治下になりますが、第一次世界大戦中の1915年にブルガリア王国によって占領されてしまいます。
1918年には、新たに誕生したユーゴスラビア王国の一部となり、その後1939年まで続きましたが、第二次世界大戦中の1941年にナチス・ドイツの占領を受けその支配下に入りました。
1944年、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国内のマケドニア人民共和国の首都となり、1991年まで長い社会主義時代が続きます。
1963年、再び大地震が発生し、市内の80%が破壊されてしまいましたが、1966~1972年にかけて日本人建築家の丹下健三の都市設計による再建事業が行われ、現在の街の基盤が出来上がりました。
1991年9月8日、マケドニアが独立を宣言すると首都となり、現在に至っています。





バスはホテルの前を走っているニコラカレフ大通りからサミュエル通りへ。





アメリカ大使館、フランス人墓地の前を通過します。
ヨーロッパの街歩き-アメリカ大使館 ヨーロッパの街歩き-フランス人墓地





しばらく進むと右側に城塞、左側には旧市街の街並みが見えてきます。
ヨーロッパの街歩き-城壁





ゴツェ・デルチェフ大通りからヴァルダル川にかかる橋を渡ると新市街の中心部に入っていきます。
橋のたもとには大きなライオン像があります。
ヨーロッパの街歩き-ライオン像1 ヨーロッパの街歩き-ライオン像2





新市街に入るとすぐにドーム型の聖クリメント教会が見えました。
聖クリメント教会はマケドニア正教会(東方正教会)の大聖堂教会で、守護聖人オフリドの聖クリメントを奉ったアーチ型のドーム教会。
聖クリメントの生誕1150周年にあたる1990年に建てられました。
ツアー最初の見学はここからになります。
ヨーロッパの街歩き-聖クリメント教会1 ヨーロッパの街歩き-聖クリメント教会2
ヨーロッパの街歩き-聖クリメント教会3





教会の入口には聖クリメントのモザイクが描かれています。
聖クリメントはキリル文字を作ったキュリロスとメトディオス兄弟の弟子であり、スラブ語でキリスト教の布教と聖職者の養成に努めた人物。
ヨーロッパの街歩き-聖クリメントのモザイク





教会の中は壁一面中に色鮮やかなフレスコ画が描かれております。
ヨーロッパの街歩き-聖クリメント教会内部1 ヨーロッパの街歩き-聖クリメント教会内部2
ヨーロッパの街歩き-聖クリメント教会内部3 ヨーロッパの街歩き-聖クリメント教会内部4





天井にはキリストが描かれています。
ヨーロッパの街歩き-聖クリメント教会内部5





教会の前にあるエルサレム総主教ドシセオス2世の像です。
ヨーロッパの街歩き-ドシセオス2世像





約10分の観光で切り上げ、再びバスに乗車。
10分ほど走るとスコピエのバスターミナルに到着しました。
ここから徒歩での観光となります。
ヨーロッパの街歩き-バスターミナル





バスターミナルの目の前にある建物は旧スコピエ中央駅です。
大地震の時に被害を受け、奇跡的に残った建物の1つで、崩れた建物のがれきは地震のモニュメントにもなっています。
ヨーロッパの街歩き-旧スコピエ中央駅1 ヨーロッパの街歩き-旧スコピエ中央駅3





大地震が発生した1963年7月26日午前5時17分を示す時計は、当時の状態のまま残されています。
ヨーロッパの街歩き-旧スコピエ中央駅時計





現在はスコピエ博物館として街の歴史などを展示した作品などが保管されていますが、にわかにショッピングモール計画がたっているようで、移築する話が持ち上がっているようです。
ヨーロッパの街歩き-旧スコピエ中央駅2





バスターミナルからマケドニア広場に続くマケドニア通りを進むと奇抜なデザインのオブジェがたくさん出現します。
ヨーロッパの街歩き-オブジェ1 ヨーロッパの街歩き-オブジェ2
ヨーロッパの街歩き-オブジェ3
ヨーロッパの街歩き-オブジェ4





オブジェの近くにあるホテルグリィッセルは大地震で崩れなかった数少ない建物の1つで、現在でも営業しています。中には傾いた建物なども見られます。
ヨーロッパの街歩き-ホテルグリィッセル





マケドニア通りに入ると、新市街のショッピング街が続いており、オスマントルコの影響が強いスコピエの街でヨーロッパ的な雰囲気を感じさせてくれます。
ちょうどバーゲン期間であったため、通り沿いには広告が多く見られました。
ヨーロッパの街歩き-マケドニア通り1 ヨーロッパの街歩き-マケドニア通り2





マケドニア通りをしばらく進むと右側にマザーテレサの博物館があります。
博物館は2階にあり、1階は売店、3階は礼拝堂になっています。
ヨーロッパの街歩き-マザーテレサ博物館1 ヨーロッパの街歩き-マザーテレサ博物館3





博物館の目の前と螺旋階段脇の2箇所にマザーテレサ像が置かれています。
ヨーロッパの街歩き-マザーテレサ像1 ヨーロッパの街歩き-マザーテレサ像2





螺旋階段を上りると博物館の入口があります。
ヨーロッパの街歩き-マザーテレサ博物館2





マザーテレサは、スコピエ生まれのカトリック修道女。
熱心なカトリック教徒であったルーマニア系アルーマニア人の父親とアルバニア人の母親を持つ兄姉妹の末っ子として1910年に生まれました。
本名はゴンジャ・ボワジュ。生まれた翌日に洗礼を受け、アグネス・ゴンジャ・ボワジュと命名されました。
当時はオスマントルコ帝国支配下であったため、イスラム教徒が多い中での少数派のカトリック教徒は珍しい存在であったようです。
父親が地元の実業家であったことから比較的裕福な家庭環境の中で育ってきましたが、アグネスが9歳の時に父親が他界し、家庭環境が劇的に変化しました。
1928年、スコピエを離れ、アイルランドのダブリンにあるロレット修道会に入会。1928年にはダージリンで修練を始めるために、インドに派遣されます。
翌年に受洗して、修道名をテレサと改名しました。
1950年に「神の愛の宣教者会」を設立。病人や瀕死の人々の保護や孤児救済の施設を世界各地に作るなど献身的に布教活動に努めました。
その功績が称えられ、1979年にノーベル平和賞の授賞。
1997年、87歳の誕生日を過ぎて数日後、心臓発作のため亡くなり、葬儀はインド政府により国葬として盛大に行われました。
ヨーロッパの街歩き-マザーテレサ_経歴





博物館はワンフロアのみで、マザーテレサに関するパネルや資料などが展示されています。
ヨーロッパの街歩き-マザーテレサ博物館内1 ヨーロッパの街歩き-マザーテレサ博物館内2
ヨーロッパの街歩き-マザーテレサ博物館内3





神の愛の宣教者会のユニフォームであった青と白のサリーです。
白が純白、青は純潔のマリアを意味しています。
宣教者会の設立当初は12人でスタートしましたが、現在は世界中で5000人ほどが活動しているようです。
ヨーロッパの街歩き-マザーテレサ_サリー





インドでの布教活動の様子。
ヨーロッパの街歩き-マザーテレサ_インドでの活動





マザーテレサの書簡。
ヨーロッパの街歩き-書簡1 ヨーロッパの街歩き-書簡2





かつてこの場所には、マザーテレサが生まれて間もない頃に洗礼を受けた教会があったようです。現在は3階にある礼拝堂だけが残っています。
ヨーロッパの街歩き-古いカトリック教会





ノーベル平和賞の賞状とともに受賞する様子を写した写真も展示されていました。
マザーテレサはいつものサリーに革草履姿で受賞し、晩さん会や2000万円ほどの賞金を全て寄付に充てました。
ヨーロッパの街歩き-マザーテレサ_ノベール賞 ヨーロッパの街歩き-マザーテレサ_ノベール賞写真2
ヨーロッパの街歩き-マザーテレサ_ノベール賞写真1





日本語の本も置かれていました。
マザーテレサに関する本としては著名な本で、実際にマザーテレサと活動をともにした体験をもとにマザーテレサの両親や故郷スコピエでの生活、インドにおける修道生活や布教活動の様子などをエピソードを交えて詳細に記述した作品になります。
1981年には来日しており、同年に東京、1986年には名古屋に修道院を開設。また、1982年と1964年には再来日し日本各地を訪問しました。
ヨーロッパの街歩き-マザーテレサ日本語本





インドでの国葬の様子を写した写真です。
インドでは独立の父ガンジー、初代ネール首相とともに3人目の国葬となります。
$ヨーロッパの街歩き-マザーテレサ_国葬1 ヨーロッパの街歩き-マザーテレサ_国葬2





2003年にはバチカンで列福式が行われ、教皇ヨハネ・パウロ二世によって福者(聖人の前段階)になりました。
福者の認定を受けるまでに少なくとも死後、数十年の審査が必要とされている現状を考えると、死後6年での列福というのは異例の早さであったようです。
ヨーロッパの街歩き-マザーテレサ_列福式 ヨーロッパの街歩き-マザーテレサ_列福式2





3階には礼拝堂があります。
ヨーロッパの街歩き-礼拝堂





ちなみにマザーテレサの生家はマケドニア広場の一角にあり、生家跡として観光スポットになっています。





観光は18分ほどで終了。1階の売店は空いておらず、そのままマケドニア広場へと向かいました。
ヨーロッパの街歩き-マザーテレサ博物館売店





次回はマケドニア広場から報告します。