引き続き、NOE新日本トラベルの「愛と美の女神伝説キプロス島と世界遺産の宝庫マルタ島9日間」の7日目、アポロ神殿への移動途中からの報告です。
7日目のスケジュールは以下の通りです。

◎7日目(2010年10月29日)
 8:40 ホテル出発
      バスにてリマソール郊外のコロッシへ
 9:43 コロッシ城(約40分)
      バスにてエピスコピ湾の遺跡群へ
10:35 クリオン古代遺跡(約38分)
11:21 アポロン神殿(約23分)
      バスにてペトラ・トゥ・ロミウ海岸へ
12:08 アフロディーテ生誕の地(約3分)
      バスにてパフォスへ
12:48 カト・パフォス海岸通りで昼食(1時間30分)
14:22 パフォス考古学遺跡(約1時間9分)
      エオンの館、ディオニソスの館
      バスで市内に移動し、徒歩でパウロの柱へ
15:41 聖パウロの柱(約6分)
15:58 王族の墓(約39分)
      パフォス郊外へ
16:51 ホテル「インペリアル・ビーチ」到着
19:05 ホテル内レストランで夕食



クリオン古代遺跡を出発し、海岸沿いの道路を西側に進むと7分ほどでアポロン神殿に到着しました。
ヨーロッパの街歩き-アポロン神殿遺跡入口 ヨーロッパの街歩き-アポロン神殿遺跡入口看板


GPSで取得したクリオン古代遺跡からアポロン神殿までの移動ルートです。
ヨーロッパの街歩き-クリオン遺跡~アポロン神殿


アポロン神殿は紀元前8世紀から紀元後4世紀頃までクリオンの守護神として信仰されていたアポロンを奉った神殿で、約15千平方mもある広大な敷地はキプロスで最大の神殿になっています。アポロン(ラテン語ではアポロ)はギリシア神話に登場する主要な神で オリンポス十二神の1柱とされています。太陽、予言、家畜、音楽、弓術、医学の神として崇められていますが、クリオンでは森林の神として信仰され、町外れの東の森に神殿が築かれました。宿泊所や公衆浴場、格闘競技場、神官の住居、宝物庫などがあり、多くの人々が町から森の中を歩いて神殿に向かっていたことが伺えます。神殿は紀元後365年に発生した大地震により崩壊し、そのまま廃墟となりましたが、遺跡の中からアポロンを信仰していたとされる偶像や文字などの痕跡は一切残っておらず、何も刻まれていない石だけが残されていたようです。これはアポロンの姿があまりにも美しいため、その美しさを具現化することができなかったからだと言われています。


神殿遺跡までは石畳の道が続いています。


神殿遺跡に入るとすぐ右側にあるローマ式風呂跡です。クリオン遺跡と同じように浴槽を幾本もの柱で支えている構造になっており、神殿に入る参拝者がここで身を清めて神殿に向かったようです。
ヨーロッパの街歩き-風呂場3

神殿遺跡の案内看板と見取図です。
ヨーロッパの街歩き-アポロン神殿遺跡看板 ヨーロッパの街歩き-アポロン神殿遺跡見取図2
ヨーロッパの街歩き-アポロン神殿遺跡見取図


通路を進んでいくとクリオン門があります。かつてはクリオン古代都市とを結ぶ神殿の東門であり、西側にあるパフォス門とともにアポロ神殿の玄関口となっていました。また、クリオン門の左手にはパレストラと呼ばれる古代格闘競技場跡があります。
ヨーロッパの街歩き-パレストラ1


競技場の周りには競技前にアポロンに捧げるお祈りをしたとされる飾窓のついた小部屋跡や競技前後に手を洗ったり、汗を流すための浴槽跡の他、競技場の屋根を支えるための柱跡などが残されています。
ヨーロッパの街歩き-パレストラ2 ヨーロッパの街歩き-パレストラ3
ヨーロッパの街歩き-パレストラ4


パレストラ競技場の脇にある海側に面した建物は参拝者のための宿泊所です。宿泊所は神殿遺跡の西側にもあり、多くの参拝者がアポロン神殿を訪れていたようです。
ヨーロッパの街歩き-宿泊所1 ヨーロッパの街歩き-宿泊所1


宿泊所の支柱跡です。
ヨーロッパの街歩き-宿泊所柱1


神殿までは1本の回廊が真っ直ぐに伸びていて、右側にはクリオンの神官が住んでいた住居跡があります。左手にはサークルモニュメントとよばれる遺跡が残っています。かつて、この場所にはアポロンの神聖な木があり、その周りで、踊りなどが催された場所とされています。
ヨーロッパの街歩き-中央回廊とアポロン神殿 ヨーロッパの街歩き-アポロン神殿1


回廊奥の突き辺りにはアポロン神殿があります。神殿はアウグストゥス皇帝統治時代に建てられ、建設当初は石柱もない玄関と祭壇だけのシンプルな作りで、未完成のものとされていましたが、その後、トラヤヌス皇帝統時代に神殿の基礎の上に階段を作り、玄関を改築し、キプロスでは良く知られたナバティアン様式の石柱を使った神殿に再建しました。石柱の奥には四方を取り囲んだ部屋を作って祭壇を置いていたようです。紀元後365年に発生した大地震により建物が崩れた後は、神殿は使われれておらず、現在は2本の柱と壁だけが残されています。
ヨーロッパの街歩き-アポロン神殿2 ヨーロッパの街歩き-アポロン神殿3
ヨーロッパの街歩き-アポロン神殿5


一通りの説明を聞いた後で、各自10分間の自由散策なりましたが、風が強く、小雨が降ったり、止んだりと天候が不安定だったこともあり、早めに切り上げてバスに戻りました。


GPSで取得したアポロン神殿の移動ルートです。
ヨーロッパの街歩き-アポロン神殿


全員がバスに乗車したところで、パフォスに向けて出発しました。


アポロン神殿を出発するとまもなく英軍基地の敷地に入ります。英軍基地といっても広大な敷地の中の一部で、その他は軍隊の宿舎や公共施設などがあり、1つの町を形成しています。
ヨーロッパの街歩き-英軍基地敷地内1 ヨーロッパの街歩き-英軍基地敷地内2


山間に沿って道路を進み、英軍基地の敷地を抜けると海に向かってしばらく下り坂が続きます。
ヨーロッパの街歩き-ペトラ・トゥ・ロミウ海岸手前


海沿いの道に入るとすぐアフロディーテの生誕の地とされているペトラ・トゥ・ロミウ海岸が左手眼下に見えてきました。あいにくの曇り空で、今にも雨が降りそうな感じでした。


ペトラ・トゥ・ロミウ海岸が一望できる場所でバスを降りて、しばらくビデオを回していると雨が降り始めました。天気雨のようですが、かなり大粒の雨でしたのでバスに戻ることにしました。波も高いため、海岸近くまで行くこともできないため、添乗員さんの判断で翌日立ち寄ることを告げられました。結局、3分ほどの滞在ですぐに出発しました。
ヨーロッパの街歩き-ペトラ・トゥ・ロミウ海岸1 ヨーロッパの街歩き-ペトラ・トゥ・ロミウ海岸2


ペトラ・トゥ・ロミウ海岸周辺を撮影した地点をGPSで測定して地図上に示したものです。
ヨーロッパの街歩き-ペトラ・トゥ・ロミウ海岸


ペトラ・トゥ・ロミウ海岸のある一部のところだけがきれいなエメラルドグリーンの色をしていました。
ヨーロッパの街歩き-ペトラ・トゥ・ロミウ海岸


ペトラ・トゥ・ロミウ海岸を離れて10分ほどすると左手前方にパフォスの町並みが見えてきました。
パフォスはキプロス島南西部に位置する南キプロス最大のリゾート地で、ミケーネ人が建設したパノ・パフォスとローマ人が建設したカト・パフォスの2つの街があります。パフォスの都市建設は紀元前1200年まで遡ります。この地に移り住んだミケーネ人は現在のパフォスから東に14kmほど離れた場所にパレオパフォス(旧パフォス)という都市を築くとともに、アフロディーテ神殿を建設しました。当時、パフォスはアフロディーテ誕生の聖地として、ギリシャでもよく知られていたこともあり、パレオ・パフォスには多くの巡礼者が訪れ、栄えるようになりました。紀元前3世紀になると、パフォス王ニコクレスが現在のパフォス(ネア・パフォス)に港湾都市を建設し、都市の機能も移転しました。その後、プトレマイオス朝時代にはキプロスの首都としてローマ時代まで長く最盛期を迎えるようになります。その間、城砦や野外劇場、闘技場、モザイク画などが飾られた私邸などが相次いで建設されるようになりました。しかし、東ローマ帝国時代にニコシアに首都が移されると徐々に政治的影響力が低下し、港湾都市の機能もラルナカに移されるようになります。イギリス統治下時代にはリマソールへの人口流出も起こるなど、衰退の途を辿りました。1974年にキプロスが南北に分断されると、当時、観光に力を入れていたキプロス北部の都市がトルコの支配下に置かれると、キプロス政府は開発の遅れていたパフォスを観光都市として再建するために、道路や空港建設などのインフラ整備やホテル、別荘などの建設、パフォスの歴史的遺跡の保護などに着手するなど、国を挙げて精力的にパフォスの再開発に乗り出しました。その結果、1980年にはパフォス市街地がユネスコの世界遺産に指定されるようになり、世界中から多くの観光客が押し寄せるようになりました。現在、観光のメインは港に面するカト・パフォスに集中していて、特にパフォス考古学遺跡には世界で最も美しいといわれるモザイク画が残されています。
ヨーロッパの街歩き-パフォスの町並み


12時30分頃、パフォスの市街地に入りましたが、雨もすっかりあがり、一気に青空が広がり始めました。
ヨーロッパの街歩き-パフォス市街1


パノ・パフォスにある地元のギムナシオン(中学校)です。周辺には市庁舎や裁判所、図書館、市民公園などパフォスの公共施設が集中しています。また、ビザンティン博物館や民俗博物館などの観光スポットなどがあります。
ヨーロッパの街歩き-ギムナジウム


パノ・パフォスとカト・パフォスを結ぶアポストロウ・パブロウ大通りです。
ヨーロッパの街歩き-パフォス市街2 ヨーロッパの街歩き-パフォス市街3


カト・パフォスにある賑やかな海岸沿いの様子です。港に面する広場でバスを降りて、レストランへ向かいました。
ヨーロッパの街歩き-カト・パフォス1 ヨーロッパの街歩き-カト・パフォス2
ヨーロッパの街歩き-カト・パフォス3


港の先にはパフォス城が見えます。パフォス城は13世紀の東ローマ帝国時代、港を守るために砦として造られました。1222年に発生した地震で崩れ、1373年に再建されました。
その後、16世紀になるとオスマントルコの侵攻によるパフォス城の利用を恐れたベネチア人たちは自らの手で城を破壊しました。その後、オスマン・トルコによるキプロス支配がしばらく続いた後、1592年にパフォス城は再々建されました。オスマン・トルコ時代は収容所やモスク、英国支配時には塩を収納する倉庫として使用されていたようです。階段で屋上まで上ることができ、パフォス港とパフォスの町並みを一望することができます。
ヨーロッパの街歩き-パフォス城 ヨーロッパの街歩き-パフォス城


昼食レストランです。
ヨーロッパの街歩き-レストラン1


入口には新鮮な魚介類が並べられていました。
ヨーロッパの街歩き-レストラン店頭1 ヨーロッパの街歩き-レストラン店頭2


レストランの様子です。眺めのいい窓際の席でした。
ヨーロッパの街歩き-レストラン2


レストランからみたカト・パフォスの町並みです。
ヨーロッパの街歩き-レストランからの眺め


昼食メニューは、ゴマ、ひよこ豆、タラコの4種のペースト&パンと前菜がタラモサラダとポテトフライ、主菜はイカ揚げ、揚げ魚2種、焼き魚、ムール貝、ライスと港町ならではの盛りだくさんのシーフード料理、デザートにはケーキセットが出てきました。その他にもワイン(赤・白)かオレンジジュースがサービスで付いていました。
ヨーロッパの街歩き-パン ヨーロッパの街歩き-ペースト
ヨーロッパの街歩き-前菜1 ヨーロッパの街歩き-前菜2
ヨーロッパの街歩き-主菜1 ヨーロッパの街歩き-主菜2
ヨーロッパの街歩き-主菜3 ヨーロッパの街歩き-主菜4
ヨーロッパの街歩き-主菜5 ヨーロッパの街歩き-ライス
ヨーロッパの街歩き-コーヒー ヨーロッパの街歩き-デザート
ヨーロッパの街歩き-ワイン


Uさんは相変わらず、別途ボトルで注文し、隣席の人に絡んでいたようなので、かなり上機嫌のようでした。隣席になることが多いため、今回ばかりは助かりました。


料理が多かったため、少しのんびり目の昼食を済まし、港町を歩いてパフォス考古学遺跡に向かいました。


ここまでの移動ルートです。クリオン古代遺跡からパフォスまでのもの(左)とパフォス市内(右)の移動ルートです。
ヨーロッパの街歩き-クリオン~パフォス ヨーロッパの街歩き-パフォス


次回はパフォス考古学遺跡から報告します。