引き続き、NOE新日本トラベルの「愛と美の女神伝説キプロス島と世界遺産の宝庫マルタ島9日間」の6日目の報告です。
6日目のスケジュールは以下の通りです。

◎6日目(2010年10月28日)
 8:29 ホテル出発
      バスにてトロードス地方へ
 9:29 パナギィア・トゥ・アラカ教会見学(約32分)
10:42 アシイヌ教会見学(約28分)
11:45 パナギィア・ポディトゥ教会見学(約20分)
12:13 カコペトゥリアの旧村散策(約31分)
12:43 昼食(約55分)
14:42 キッコー修道院見学(1時間9分)
      バスでプラトレス村へ
16:57 ホテル「フォレスト・パーク」到着
19:29 ホテル内レストランで夕食



6日目(10月28日)はキプロスの祝日(ギリシャ国家記念日)に当たり、各地でパレードなどが催されることから、本来の予定であったニコシア観光は最終日となり、祝日に影響のないトロードス地方の教会群見学となりました。


起床は5時。カーテンを開けて外を見ると雨は降っていないものの、雲が多く、すっきりしない天気でした。
急いで身支度を整え、6時30分頃にレストランへ向かいました。


すでにレストランでは、早くもツアー客が食事を取り分けていました。朝食はいつも通りのバイキングでしたが、種類が多く、どれも美味しそうでした。
ヨーロッパの街歩き-レストラン1 ヨーロッパの街歩き-レストラン3
ヨーロッパの街歩き-レストラン2


朝食はこんな感じです。いつも以上に時間をかけて沢山食べたような気がします。食べ始めから40分ほどかかりました。
ヨーロッパの街歩き-朝食1 ヨーロッパの街歩き-朝食2
ヨーロッパの街歩き-朝食3


朝食後、レストランの窓から見えた中庭に出てみることにしました。手入れが行き届いた綺麗な中庭で、プールなどがありました。
ヨーロッパの街歩き-ホテル中庭 ヨーロッパの街歩き-ホテルプール


一度部屋に戻り、荷物を出してからホテル周辺を散策しに出かけました。
ヨーロッパの街歩き-ホテル外観


閑静な住宅地を通り、広い通りに出ると、前晩の散策時に通りかかった大型スーパーがすでに開店していたので、中に入ってみることにしました。
ヨーロッパの街歩き-スーパー外観


スーパーの中はかなりの広さで、いろいろなものが売られています。異国の地でのスーパーめぐりも面白い発見があって結構楽しいです。あまりがさばらない地元のお菓子を買い込みしました。
ヨーロッパの街歩き-スーパー1 ヨーロッパの街歩き-スーパー2
ヨーロッパの街歩き-スーパー3 ヨーロッパの街歩き-スーパー4
ヨーロッパの街歩き-スーパー5


スーパーには15分ほど滞在した後、出発時間が近づいてきたため、ホテルに戻りました。
ヨーロッパの街歩き-ホテル外観2


ホテルに戻ると、すでにロビーにはツアー客が集まっていました。
ヨーロッパの街歩き-ホテルロビー


その後、バスに乗り込み、全員が揃ったところでホテルを出発しました。


バスはニコシアからグリーンラインの境界線に沿りながら西に続く自動車専用道路を使って、アラキという村の手前までやってきました。ここから先は一般道路での移動になります。道路事情が良くないキプロスにおいては大都市間しか自動車専用道路が走っていないため、少々不便なところがあります。
ヨーロッパの街歩き-アラキ村


車内では、前日にも説明があったキプロスの歴史の他、グリーンラインやキプロスの政治体制についての現地ガイドさんより説明がありました。(キプロスの歴史については前回説明済のため割愛)
グリーンラインを地図で見ると境界線が東から西に平行する2本のラインで描かれています。この2本のラインの内側が緩衡地帯で、国連平和維持軍がパトロールに当たっている場所のようです。通常、境界線というと周りに建物がない荒野に、高い壁や鉄線などを張り巡らし監視塔などが建っているというイメージですが、ニコシアのように境界線によって町が分断されている地域の中には建物の隣通しが境界線となっていることもあるため、壁を越えるとすぐに隣国ということにならないように緩衡地帯をつくって北と南の境界線の間で調整しているようです。境界線はよじ登れば越えられそうなドラム缶を高く積みげただけものや境界線の向こう側が見えるような観光用の柵、溝やくぼみといったキプロスならではの境界線を見ることができます。
また、キプロスの政治体制は大統領制議会主義で、ギリシャ系住民とトルコ系住民の人口バランスに配慮して、元首で行政府の長でもある大統領をギリシャ系とし、その行政権限を分掌し拒否権を持つ副大統領をトルコ系からそれぞれ選出し、国会議員、官吏、軍人などの人数も比率が7対3になるように定めているようです。


さて、バスはキプロスの山岳地帯に当たるトロードス地方に入ってきました。この辺りはキリアトスと呼ばれる山村で、標高は約500mあり、道路幅が狭い山道がしばらく続いています。
ヨーロッパの街歩き-キリアトス村


ここで、現地ガイドさんからこれから訪問するトロードス地方の壁画教会群についての説明がありました。
キプロスは地中海と中東諸国に挟まれた地理的条件から古くから海洋産業や海洋貿易などで栄えていましたが、同時に様々な国からの侵略と支配を受けてきた歴史があります。人々は侵略者の支配から逃れるために、人里離れたトロードス地方の山里に村を作り、教会を作って平和を願っていたといわれています。教会は簡素な作りで石か木によって基礎をつくり、三角の萱葺き屋根のスタイルで、教会内部には色彩豊かな壁画が描かれました。現在、トロードス地方には数多くの教会が残っていますが、そのうち11~16世紀にかけて建てられた10のビザンチン教会がユネスコの世界遺産に登録されています。これらの世界遺産の教会はせっかく時間をかけて訪ねても、閉まっている場合が多いため、事前に開館時間などの確認が必要となるようです。当初、アシィヌ教会、聖ニコラオス教会、パナギィア・トゥ・ムトゥラ教会を見学する予定でしたが、現地ガイドさんが電話で確認したところ、聖ニコラオス教会とパナギィア・トゥ・ムトゥラ教会がギリシャ国家記念日のために閉館ということで、急遽、パナギィア・トゥ・アラカ教会とパナギィア・ポディトゥ教会を見学するという連絡がありました。特にパナギィア・トゥ・アラカ教会は滅多に見ることができない貴重な教会のようです。


さらにバスは山道を登り、1000m付近まで来ると山間に小さな村があちこちで見られるようになりました。教会まではもうすぐです。
ヨーロッパの街歩き-ラグデラ村


パナギィア・トゥ・アラカ教会には9時29分に到着しました。教会は道路脇の斜面下にあるため、バスを降りてから道路脇の階段を下り、教会の敷地に入りました。
ヨーロッパの街歩き-アラカ教会


教会の敷地は思ったより広く、周りを木々に囲まれた茅葺屋根の小さな建物だけが建っている状態でした。


パナギィア・トゥ・アラカ教会は、ラグデラ村近郊にある12世紀後半に建てられた木造の教会で、上流階級の漁師オーセンティスが建て、息子のレオンが1192年に壁画を書いたといわれています。当時、キプロスを支配下に治めていた侵略者から逃れるために、オーセンティスはこの地に移り住み、教会を建設することで信仰による救いを求めていたといわれます。教会は非常に小さい教会ですが、中に入るとビザンチン帝国コムネノス朝のスタイルによる色鮮やかなフレスコ画を見ることができます。アラカ教会はもともと聖母マリアを奉った教会で、聖母マリアをアラカと呼んでいたことからその名がつけられたとされています。教会内部の壁画には「受胎告知」や「聖母被昇天」など聖母マリアが多く描かれていて、生誕から被昇天までの生涯と幼子イエスの将来苦難に満ちた人生を案じる表情など細かく描写されています。ユネスコの世界遺産に登録されているトロードス地方の壁画教会群の中でも美しい壁画とされているようですが、かなり山奥にあるため、ツアーなどでもあまり行くことはないようです。


教会の入口には世界遺産のマークと教会内の見取図と説明の看板が立てられています。
ヨーロッパの街歩き-アラカ教会世界遺産マーク ヨーロッパの街歩き-アラカ教会見取図


教会の内部に入ると、青を貴重とした美しい壁画がドームの天井に描かれています。なお、教会内部は撮影禁止になるため、見張りのおじさんが執拗に絵葉書の購入を勧めてきました。
ヨーロッパの街歩き-アラカ教会内部


壁画はどれもブルーを基調として美しく描かれていました。
ヨーロッパの街歩き-アラカ教会壁画1 ヨーロッパの街歩き-アラカ教会壁画2
ヨーロッパの街歩き-アラカ教会壁画3 ヨーロッパの街歩き-アラカ教会壁画4
ヨーロッパの街歩き-アラカ教会壁画5


壁画をひととおり見学した後、教会の外回りを見て回りました。
ヨーロッパの街歩き-アラカ教会外観1 ヨーロッパの街歩き-アラカ教会外観2


裏側には鐘楼がありました。鐘にはロープがついていて手動で鐘が鳴らせるようになっています。Uさんがいたずらして鳴らしていました。
ヨーロッパの街歩き-アラカ教会外観鐘


GPSで取得したパナギィア・トゥ・アラカ教会までの移動ルートです。
ヨーロッパの街歩き-パナギィア・トゥ・アラカ教会


しばらくパナギィア・トゥ・アラカ教会に滞在した後、10時過ぎに出発しました。
バスでキリアトスまで来た道を引き返し、進路を変えて北西方面の山道に通り、次の目的地アシィヌ教会に向かいました。


ニキタリ村の手前にあるヴィザキア村です。
ヨーロッパの街歩き-ヴィザキア村


アシィヌ教会のあるニキタリ村からさらに山道を進みます。
ヨーロッパの街歩き-ニキタリ村ヨーロッパの街歩き-ニキタリ村2


アシィヌ教会には10時42分に到着しました。


アシィヌ教会は世界遺産で指定されたトロードス地方の壁画教会群の1つで、山奥にあるニキタリ村から南へさらに5kmほど離れた場所に位置する小ぢんまりとした石造りの建物になります。建物は1106年に建てられたものですが、その後13~14世紀にかけてさらに増築されました。聖母マリアを奉った教会で、教会内部には聖母マリアの生涯を表した壁画が多く描かれています。もともと教会建設時に描かれたものですが、一部の壁画は長い年月の間に壁が剥がれ、崩れ落ちるなどして損傷が激しくなり、その後の14世紀半ばにフレスコ画の手法により書き直されたものが残っています。ここも撮影は禁止になります。


道路脇にバスを止め、教会までは少し歩いて移動します。
ヨーロッパの街歩き-アシイヌ教会外観1


教会の入口です。
ヨーロッパの街歩き-アシイヌ教会入口


建物の前には世界遺産のマーク(左)と教会内の見取図(右)がありました。
ヨーロッパの街歩き-アシイヌ教会世界遺産マーク ヨーロッパの街歩き-アシイヌ教会見取図


教会内部は12世紀前半に描かれた色の薄い壁画と14世紀半ばに描かれたものがありますが、後で描かれた壁画は、前の壁画の上に白い下地を塗り直してから新たに描かれたもので、画家による作風による違いが出ています。剥がれかけている壁画もあり、あまり保存状態はよくないようです。
ヨーロッパの街歩き-アシイヌ教会壁画1 ヨーロッパの街歩き-アシイヌ教会壁画2
ヨーロッパの街歩き-アシイヌ教会壁画4 ヨーロッパの街歩き-アシイヌ教会壁画3


アシィヌ教会の滞在時間はわずか28分ほどでしたので、教会内の壁画を再度眺めた後、外に出て敷地内を見て回りました。
ヨーロッパの街歩き-アシイヌ教会外観2 ヨーロッパの街歩き-アシイヌ教会外観3


GPSで取得したアシィス教会までの移動ルートです。
ヨーロッパの街歩き-アシイヌ教会


アシィス教会は11時10分に出発し、麓にあるニキタリ村まで来た道を戻り、山間の道路を南西方面に向かいました。
ヨーロッパの街歩き-山道


ガラタ村の手前にあるシナオロス村を通過しました。
ヨーロッパの街歩き-シナオロス村


ガラタ村の入口に入るとすぐ右側に道路沿いにパナギィア・ポディトゥ教会が見えてきました。
ヨーロッパの街歩き-パナギィア・ポディトゥ教会外観0


パナギィア・ポディトゥ教会はガラタ村にあるトロードス地方の壁画教会群にある世界遺産で指定された教会の1つになっています。建物は1502年に建てられたもので、教会内部にはイタリアルネサンスの影響を受けたビザンチン様式の壁画が残されていますが、中途半端に描いてそのままになったものもあり、全部が書かれていないとされています。剥がれおちてしまったものやオスマントルコ時代にイスラム教徒がいたずらして傷つけられたもの、壊されてしまったものもあるため、あまり保存状態はよくありまえんが、鮮明な色使いと立体的な画法で描かれているため、パナギィア・トゥ・アラカ教会とともに教会壁画群の中では最も美しいとされています。この教会も撮影禁止となります。


道路沿いのスペースにバスが止まり、教会までは歩いて移動します。すぐ目の前にはガラタ村が見えています。
ヨーロッパの街歩き-ガラタ村


教会の建物の脇道を曲がったところに入口があります。
ヨーロッパの街歩き-パナギィア・ポディトゥ教会入口


教会の入口手前には世界遺産のマーク(左)と教会内の見取図(右)がありました。
ヨーロッパの街歩き-パナギィア・ポディトゥ教会世界遺産マーク ヨーロッパの街歩き-パナギィア・ポディトゥ教会見取図


教会内部は聖母マリアとイエスの生涯、旧約聖書に出てくる人物などを描いた16世紀前半の壁画が残されています。西側の壁には教会の名前の由来となったモーセと聖母マリア、幼子イエスの壁画が描かれています。
ヨーロッパの街歩き-ポディトゥ教会壁画1 ヨーロッパの街歩き-ポディトゥ教会壁画2


教会の敷地内を見て回りました。
ヨーロッパの街歩き-パナギィア・ポディトゥ教会外観1 ヨーロッパの街歩き-パナギィア・ポディトゥ教会外観2


教会の敷地内にあった鐘です。まさかと思ったらUさん懲りずに鳴らしていました。好奇心旺盛な方です。
ヨーロッパの街歩き-パナギィア・ポディトゥ教会外観鐘


GPSで取得したパナギィア・ポディトゥ教会と周辺の移動ルートです。
ヨーロッパの街歩き-パナギィア・ポディトゥ教会


パナギィア・ポディトゥ教会の滞在時間はおよそ20分ほどでしたが、小さい教会のため、あまり時間をかけずに見学することができました。すぐ近くにテオトコス教会がありましたが、時間の関係で見学できず、再びバスに乗り込み、ガラタ村の隣にあるカコペトゥリア村に向けて出発しました。


次回はカコペトゥリア村から報告します。