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すでにお気づきと思うが、韓国の民主陣営が追求している過去の清算、あるいは歴史のたてなおしは、国際的には「移行期の正義」と呼ばれているものと同じなのである。過去の深刻な人権蹂躙、大規模な残虐行為が残した傷跡を治癒していくことが、その社会に民主主義を定着させていく上で必要不可欠な条件である、という認識がその背景にある。
たとえば19世紀以後独立を達成したラテンアメリカ諸国は、その後軍事クーデターと独裁の連続に苦しめられた。19世紀以後ラテンアメリカ諸国で引き起こされた軍事クーデターは総計250回を越える。そしてそのたびに、むきだしの暴力が民衆を襲い、おびただしい無辜の市民が虐殺されてきた。
1982年に最初の真実委員会がボリビアに設立され、その後アルゼンチン、ウルグアイ、チリ、エルサルバドル、ペルーなどで真実委員会が設立され、充分とは言えないながらも、移行期の正義の実現に努力している。
移行期の正義の実現の必要性は国際社会でも共通の認識となっており、例えば2006年には国連総会で、移行期の正義の実現のための規範である「人権被害者の権利の章典」が採択されている。その具体的な方策については、この問題の解決に向けて努力してきた国際人権法学者の名をとって、ヴァン・ボーヴェン――バシオウニ原則とも呼ばれている。
この原則は、簡単にまとめると、次のような施策の実行を求めている。
・人権蹂躙の責任者の刑事訴追
・真実委員会の設置
・被害者への賠償
・再発防止のための制度改革
・公的な謝罪
・被害者の名誉回復のための記念物、博物館などの設立、追悼集会
この原則に従って、済州島4・3事件についての移行期の正義の実行について考えてみよう。
まず済州4・3事件真相究明および犠牲者名誉回復委員会が組織され、真相調査が行われ、真相報告書が発表された。もちろん4・3事件のような複雑な事態に対してわずか3年の調査でそのすべてを明らかにすることはできない。追加の真相調査や遺骸発掘事業が平和財団によって行われている。
これによって「真実委員会の設置」という条件はほぼクリアされたと言えよう。
盧武鉉大統領が大韓民国を代表して遺族と済州島民に正式に謝罪した。これは「公的な謝罪」と言えよう。
北朝鮮の使嗾による共産暴動である、と書かれた教科書は全面的に改訂され、学校教育を中心に2度とこのような惨事が起こらないよう子供たちを教育するさまざまなプログラムが実施されている。さらに同じ趣旨の市民に対する広報プログラムも進められている。充分とは言えないが、「再発防止のための制度改革」も進められている。
済州4・3平和公園が造成され、園内には済州4・3平和記念館も建設されている。また毎年4月3日を中心とする1ヶ月間を4・3月間とさだめ、さまざまな追悼事業が全国で行われている。
ここまでは充分とは言えないまでもかなりの成果をあげていると評価できる。済州4・3について口にすることもできなかった軍事独裁の時代を思うと、まさに隔世の感がある。
しかし犠牲者への賠償は、これからの課題として残されている。保導連盟による犠牲者や不法な軍事裁判による犠牲者については、遺族が個別に再審請求をし、無罪判決を勝ち取っており、国家賠償訴訟にも勝利している。ただしそれは犠牲者のごく一部に過ぎない。
現在包括的な国家賠償についての法整備に向けて、努力が続けられている。
問題は、人権蹂躙の責任者の刑事訴追である。これについてはまったく実行されていない。
焦土作戦を命じた将軍、政府高官のほとんどはすでに鬼籍に入っており、刑事訴追は事実上不可能だ。しかし歴史において彼らの責任を厳しく追及していく作業は続けていかなければならない。
また焦土作戦の実行はアメリカ軍政下ではじまっており、それが本格的に実施されたのは大韓民国成立後ではあったが、その時点でも韓国軍はアメリカ軍の指揮下にあった。したがって焦土作戦の実行に関して、アメリカ軍はその責任を免れることはできない。
ただし、虐殺を命じた政府高官や将軍に対しては厳しく責任を追及する必要があるが、上官の命令によって虐殺に加担した兵士などに対してどう対応するかは、微妙な問題だ。
この点、済州島4・3平和財団が掲げる「和解と相生」というスローガンとその実践は、黒人と白人の葛藤を「赦しと和解」へと導いたネルソン・マンデラに匹敵するものとして、国際的にも高く評価されている。
済州4・3平和財団は、民主化運動記念事業会、5・18記念財団、釜山民主抗争記念事業会、老斤里財団、台湾2・28事件記念基金会、台湾国家人権記念館準備処、広島記念館、沖縄記念資料館と「東アジア民主平和人権ネットワーク」を提携している。韓国の5団体はそれぞれの立場で、過去の清算を進めている。
前述した述べたとおり、盧武鉉大統領の時代以後、軍事独裁政権時代にでっちあげられた多くの事件は再審が進められ、その大半は無罪となった。国家賠償訴訟にも勝訴した事例も多い。
しかし苛酷な拷問によって事件をでっちあげてきた警察官や法官たちはひとりとして刑事訴追されていない。逆にそれらの事件でっち上げの功で出世し、栄耀栄華を謳歌した例が多い。
例えば現在崔順実ゲートで問題となっている金淇春は、1960年、若干21歳で司法試験に合格した秀才だった。複雑な犯罪でも一瞬にして刑量を計算できるので、歩く刑量計算機と呼ばれていたという。頭脳明晰な男であったことは間違いなさそうだが、その優秀な頭脳を、権力に阿諛追従し自身の栄華を謳歌することに費消してしまった。
20代で朴正煕に見いだされ、その寵愛を受け、維新憲法作成の中心人物となる。1975年、10数名の在日韓国人留学生を北朝鮮のスパイにでっちあげた学園浸透スパイ団事件では対共捜査局長としてマスコミに事件を発表している。その後も順調に出世を遂げ、検事総長から国会議員となり、朴槿恵政府では大統領秘書室長となって権勢をふるった。
学園浸透スパイ団事件の被告となった在日韓国人留学生は長い監獄生活に苦しんだ後、現在は再審で無罪となっている。しかしスパイでっち上げの責任者である金淇春が責任を問われることはなかった。
朴槿恵政府の閣僚の中には、金淇春のように過去の深刻な人権蹂躙の加害者が多く含まれているが、その責任を問われた者はひとりもいない。
盧武鉉大統領の時代に、過去の清算事業は大きく前進したが、続く李明博大統領、朴槿恵大統領の時代にはそれまでの民主化の成果が後退し、過去の清算についてもそれ以上の進展はなかった。
韓国における過去の清算の1番の問題点は、責任の追及が不十分である点だ。
民主陣営が進めている過去の清算事業は、韓国内の事例だけにとどまっているわけではない。
1999年、ハンギョレ新聞社の週刊誌ハンギョレ21が、ベトナム戦争時の韓国軍による民間人虐殺の事実を報じた。その惨状に驚いた市民が立ち上がり、真相究明、記念碑建立などの事業を進めている。
しかしベトナム参戦兵士を中心とする反共団体などが、韓国軍の名誉を毀損する活動だと非難の声をあげ、ベトナムの民間人虐殺についての過去の清算事業は難航している。李明博、朴槿恵政府が、過去の清算を妨害しようとしていることも、この問題の解決を遅らせている。
それに対し、ハンギョレ21とハンギョレ新聞は、綿密な取材による報道を続け、民間人虐殺の真相を明らかにしていった。
過去の清算を求める市民も粘り強く活動を続け、2016年7月には、民間人虐殺についての過去の清算を推進する韓国・ベトナム平和財団の設立にこぎつけた。この平和財団には、元日本軍従軍慰安婦である李容洙も参加している。