今日は、2014年8月のモスクワからお送りします。
仕事でモスクワに来ているのですが、少し時間が空いたので、クレムリンに行ってみることにしました。
雀が丘
クレムリンへ向かう前に、まずはモスクワの市内が見渡せるという雀が丘(すすめがおか)へ来てみました。あのナポレオンもモスクワ侵攻の時に、この近くからモスクワ市内を眺めたとか。
ここからはモスクワ川、さらにその先にはモスクワの市内が一望できます。なかなかの高層ビル群です。
この丘にはモスクワ大学も建っています。ロシアの最高学府で、ロシア全土から優秀な学生が集まっているそうです。
もともとモスクワ大学はクレムリン北側にあったそうですが、1953年ここに移転してきました。スターリン・クラシック様式の建物としては最大規模ものだそうで、32階あるそうです。
赤の広場
赤の広場はクレムリンに隣接する広場で、世界で最も有名な広場の一つではないかと思います。
こちらは、ワシリー寺院。ロシア正教会の寺院で、1560年に建てられたものです。なんだか遊園地にありそうな建物です。。。
この寺院の手前にある像は、ミーニンとポジャルスキーの像で、モスクワをポーランド軍から解放した英雄だそうです。
広場の向こうには、クレムリンの城壁とスパスカヤ塔が見えていますが、なにやら広場は絶賛イベント準備中です。
どうも、音楽祭があるようで、そのイベントの準備真っただ中、なぜか乗馬の設備も準備されています。
こちらがレーニン廟。
こちらはモスクワ最大のデパート「グム百貨店」。グムというのは、ロシア語の国立百貨店の頭文字を並べたものだそうで、もともとレーニンの命で1921年に開設されました。中は、有名ブランド店が目白押しです。
国立歴史博物館。
こちらは、カザンの聖母聖堂。
元々ポーランド軍の侵攻を防いだ記念に建てられたそうですが、レーニン時代に破壊され、現在の建物は1993年に再建されたものです。
こちらは、赤の広場への入口にあるヴァスクレセンスキー門。
これも、1995年に再建されたものです。
赤の広場を出ると、そこはマネージ広場と呼ばれる広場が広がっています。
モスクワって、建物も道路もヨーロッパ的ではあるのですが、なんだか全部巨大な感じがします。
もう少し進むと、次に見えてきたのは、中央武器庫塔。その手前にはГрот Руины(遺跡の洞窟?)があります。この洞窟にはナポレオン侵攻時に破壊された建物の一部が使用されているようです。
城壁にそってアレクサンドロフスキー公園が広がっています。
クレムリンへは、こちらのトロツカヤ塔から入っていきます。
手前にあるクタフィヤ塔からこの通路を通って、
トロツカヤ塔の入口を抜けます。
クレムリン大会宮殿
中へ入ると、最初に左手に見えてくるのが、クレムリン大会宮殿。
1961年に完成した建物で、クレムリンで最も新しい建物です。
元々はソ連共産党大会などに使われていたそうですが、今では国際会議やオペラ、バレエの公演などに使われているようです。
武器庫
そして、左手には武器庫の建物が見えます。
元々、兵器の制作・保管をする建物でしたが、今は歴史博物館として使用されています。
元老院、大統領官邸前を通って、教会が立ち並ぶ中央の区画へ進みます。
いかにもロシアらしい教会の建物が見えてきました。
アルハンゲルスキー聖堂
正面に見えてきたのが、アルハンゲルスキー聖堂です。
1505年から1508年にかけて建てられたもので、イタリア人アレヴィズ・ジュニアの設計。
屋根の下に誂えらえている貝殻模様がおもしろいですね。
この教会は14世紀から18世紀までのモスクワ公、ロシア皇帝の遺体が収められていて48の柩があります。
ヨーロッパの教会だとステンドグラスが必ずあるのですが、こちらの教会はステンドグラスではなく、内部にイコンやフレスコ画が所狭しと描かれています。
イワン大帝の鐘楼
左手には、イワン大帝の鐘楼があります。
1505年から1508年に建てられ、かつてはモスクワで一番高い建物だったそうです。
八面体の鐘楼は1532年から1543年にかけて付け加えられました。
鐘楼は見張り台の役割も持っていたため、ナポレオンがモスクワから敗退するときに破壊されてしまい、現在の建物は1819年に再建されたものです。
3つの塔の上部の取り付けられた屋根がなんとも特徴的です。
ウスペンスキー大聖堂
右手に見えるのが、ウスペンスキー大聖堂。
最初の建物が1474年の地震で倒壊し、1479年イタリア人アリストーテリ・フィオラバンティの設計で再建されます。
この大聖堂はロシア帝国国教大聖堂になっていて、かつてロシア皇帝の戴冠式なども行われています。
こちらの建物の内部もイコンで埋め尽くされており、それに携わった人の数は1000人に上るとか。
更に奥に進むと、アルハンゲルスキー聖堂の横に、ブラゴヴェシチェンスキー聖堂が見えてきます。
ブラゴヴェシチェンスキー聖堂
1481年から1489年にかけて作られたこの聖堂は、イワン大帝のの命で建てられ、皇帝自身の礼拝に使われていました。
この建物はモスクワとプスコフの建築家の手によるもので、9つの塔を持つ独特な様式で、他の聖堂に比べ、よりロシア的な雰囲気を感じます。
ウスベンスキー大聖堂からブラコヴェシチェンスキー聖堂へ向かう途中に不思議な屋根が見えてきました。
テレムノイ宮殿付属教会のものです。
こちらも皇帝専用の教会で、11個の小さなドームがついています。それにしても面白いですね。
ちなみに、手前の工事中の建物は、祭服教会の建物です。
パトリアーシェ宮殿
さて、こちらは、アルハンゲルスキー聖堂の向かい側に位置する建物で、パトリア―シェ宮殿です。
ロシア正教の総主教の宮殿で、いつ建てられたかはわかっていないようです。
現在は、ロシア工芸博物館として使われています。
鐘の皇帝
イワン大帝の鐘楼の裏手にあるこの巨大は鐘は、1733年から1735にかけて、イワン・マトーリン、ミハイル親子によって作られたものですが、鋳造中に火災が発生し、火を消そうとして誰かが水をかけたため割れてしまったものです。
手前にあるかけらの部分だけでも11トンあるとか。ちゃんとできていれば、どんな音がしたのでしょうか。
大砲の皇帝
鐘の皇帝から少し出口の方に進むと、今度は大砲の皇帝があります。
ロシアの人たちって、”○○の皇帝”って名前好きなんでしょうか?
1586年に作られ、重量40トン。当時世界最大の口径を誇っており配備もされたようですが、実際に使われたことはないそうです。
ちなみに、手前に置かれている弾丸は1つで1トンあるとか。
大統領官邸前を抜け、元老院前を抜けて出口へ向かいます。
クレムリンにある教会、ヨーロッパの教会とは違い、なかなか見どころ満載でした。
やはり、この独特の屋根の形、そして教会内のイコン。そして、教会内の装飾も独特でした。
今日のレストランは「ウ・ピロスマニ」。グルジア料理のレストランでした。
ビジネスでの会食でしたので、写真撮れませんでしたが、なかなかおいしい料理でした。
本日は、ここまでとしたいと思います。