プラハ1日目①(2014年5月、チェコ・プラハ) | クラシック音楽と食べ物と。。。

クラシック音楽と食べ物と。。。

ヨーロッパでの生活を振り返るブログ。

今回は、2014年5月のプラハからです。

学生時代にチェコスロバキアと習ったのですが、1993年にチェコスロバキアが分離し、今ではプラハチェコ共和国の首都となっています。プラハは、中欧有数の都市で、人口は120万人ほどのようです。緯度は、ドイツで言えばフランクフルトと同じくらいで、日本と比べると、北海道よりもはるかに北になります。

プラハは、6世紀にスラブ民族が集落を形成したのに端を発し、中世には神聖ローマ帝国の首都として大きな発展を遂げヨーロッパ最大の都市となります。第二次大戦後は、ソビエト連邦の影響下に入り、社会主義国であるチェコスロバキアが誕生。1968年に革命運動「プラハの春」が起こるものの、失敗。1989年の「ビロード革命」により共産党政権が崩壊し、1993年にチェコとスロバキアが分離し今に至っています。

 

朝6:30のフライトでハンブルクからフランクフルトに飛び、そこからプラハ・ルズィニェ空港へのフライトです。

フランクフルトからは1時間のフライト。

今回は、HISさんの航空券&ホテル&ホテルへの送り迎えがセットになったパックを使ってみたので、空港からホテルまでは専用のタクシーで送り迎えしてくれます。なかなか良さげなBMWでした。

10時にはホテルに到着。アーリーチェックインの別料金なしで部屋に入れました。

ホテルで、地下鉄・バス・トラムなどが共通で乗れる一日券を購入し、地下鉄で旧市街へ向かいます。

 


火薬塔市民会館


地下鉄の駅を降りて少し歩くと印象的な火薬塔(Prašná brána)が見えてきました。

1475年に建てられ、元々は旧市街の城壁の門の一つ。

17世紀に火薬倉庫として使われていたことから、この名前で呼ばれています。

 

そして、すぐ横には市民会館(Obecní dům)。

日本の市民会館という名前からは想像できな素晴らしい建物。

 

もともと王宮があった場所に1911年、今の市民会館が建てられます。

スメタナホールを含む、複数のコンサートホール、レストラン、カフェなどが入っています。

 

ここは、のだめカンタービレの撮影でも使われています。

 

カフェ カヴェールナ・オベツニー・ドゥーム(Kavárna Obecní dům)でランチをいただきます。

 

昼間っからビール。

チェコと言えばピルスナー

チェコのプルゼンが発祥の地なんですよね。

ピルスナーウルケル(Pilsner Urpuell)を注文。

 

食事は、グラーシュ(牛肉のスープ)。

チェコ料理だと思って頼んだのですが、よく考えたらハンガリー料理でした。

でも、 クネドリーキ(Knedliky)と呼ばれるチェコの茹でパンがついてきたので、ぎりぎりセーフでしょうか。

 

さらに、デザート。

カプチーノとウォールナッツのケーキ。

ケーキは、店員が車のついたトレーで運んできて、選ぶとその場でお金を払うシステム。

他の料理は通常の会計なのにケーキだけはその場精算って面白いですねえ。

 

到着して早々に優雅な感じでランチをいただきました。

 

市民会館の見学ツアーに申し込んでいるのですが、時間があるので少し旧市街広場へ行ってみます。

 


旧市街広場


セレトナー通り(Celetná)を西へ向かいます。

 

ちょっと寄り道をして、グランドホテル ボヘミア。

特別なこともないのですが、のだめカンタービレの撮影に使われていたホテルなので。。。

 

黒い聖母の家」。

なんでここが観光スポットになっているかと思っていたら、この建物自体がキュビズム建築の傑作だとか。

ヨゼフ・ゴチャールの設計で建てられた最古のキュビズムの家なんだそうです。

 

家に角につけられている黒い聖母様。

これから家の名前がついているそうです。

 

この通りは、お土産屋がいっぱい並び、ボヘミアグラスの店なども結構あります。

 

旧市街広場(Staromestske namesti)が見えてきました。

 

まず、目に入ってくるのは、旧市庁舎の尖塔。

プラハは、「百塔のプラハ」と呼ばれるほど、尖塔が多い街です。

 

でも、違う角度から見ると、いろんな建築が混ざっています。

長い時間かけて、増改築を繰り返し、隣接する建物を買収したりを繰り返し、こうなった模様です。

 

こんな観光用のバスも。

 

そして、市役所の横に見える教会は、聖ミクラーシュ教会(Kostel sv. Mikuláše)。

設計は、ボヘミア・バロック建築を代表するキリアン・イグナーツ・ディーンツェンホーファー(Kilian Ignaz Dientzenhofer)。

何度も建て直し、改修を経て、最終完成したのは18世紀初頭。

 

白を基調にした重厚な内装。

素晴らしいですね。

 

聖ミクラーシュの生涯などを題材にした天井画。

 

小さくて見ずらい写真ですが、黒と金の装飾が施されたパイプオルガン。

 

このシャンデリアもいいですね。

 

逆サイドから広場を見ると。

 

ゴルツ・キンスキー宮殿(Palác Golz-Kinských)。

ゴルツ伯爵の依頼で建てられた18世紀の建物。

ロココ調の華やかな建物です。

 

その横には、石の鐘の家(Dům U Kamenného zvonu)。

13世紀半ばから14世紀初頭に建てられたこのゴシック建築の建物は、プラハ城が火災で焼けた跡、一時的にカレル4世(カール4世)の父 ヤン・ルクセンブルクと王女エリシュカが住んだという話もあるようです。

 

そして、その横にそびえているのは、ティーン教会(kostel Panny Marie před Týnem)。

1135年に創建され、1365年に改築された姿が、現在の形になっています。

ティーン(税関)の前の聖母マリア教会、というのが正式名称。

この教会の裏側にかつて税関があったそうです。

 

そして広場の中心には、ヤン・フス像(Pomník Jana Husa)。

ヤン・フスは、15世紀の宗教改革の先駆者で、ローマ教会の堕落を批判し、破門され、火あぶりの刑に処されます。

これに衝撃を受けたチェコの民衆がフス派を名乗って立ち上がり、カトリック教会と激しく戦っていくことになります。

この像は、フス没後500年を記念して作られたものです。

 


市民会館


市民会館の内部は、コンサートの時はもちろん、見学ツアーでも見ることができます。
今回は、英語のツアーに参加しました。

入口を入ると、スメタナホールにつながる大階段があります。


まずは、

スメタナホール(Smetanova Síň)から。

国民的音楽家スメタナの名前を冠したこの大ホール、こちらが入口です。
我が祖国、ボヘ~ミア~のか~わよ♪モルダウよ~♪のあの曲ですね。



やはり、まず目が行くのがステージ上のパイプオルガン。
4814本のパイプを持つ世界最大級のパイプオルガン。
中央にはスメタナの金のレリーフが飾られ、その下のはスメタナと書かれています。
(暗かったので写真の画質が良くなく、見えずらいのですが。。。)


左右の壁にも素晴らしいフレスコ画。


この天井の照明(採光窓?)も印象的です。


そして、あちらこちらに配置された細かい装飾。


この彫刻、スラブ舞曲を題材にしているとか。


次は、喫茶室


このシャンデリアも素晴らしい。


次は、オリエンタルルーム
当時流行っていた東洋文化からインスパイア―された部屋。
イスラムチックなデザインが印象的です。


レディースパーラーと名付けられたこの場所。


そして、モラヴィアン・スロヴァキア・パーラー。


次の部屋は、グレーグルホール(Grégr Hall)。
チェコの政治家ユーリ・グレーグル(Julius Grégr)の名前が冠されたこの部屋。
主に、パーティや社交の場に使われたようです。
フレスコ画が印象的な部屋です。


天井画は、生命、詩、死から題材が取られ、


壁には、愛の歌、戦争の歌、告別の歌が描かれています。


その横にあるのが、パラツキーホール(Palacký Hall)。

19世紀のチェコの歴史家・政治家であるフランティシェク・パラツキー(František Palacký)の名前を冠したこの部屋は、同じくチェコの画家であるヤン・プライスレル(Jan Preisler)の絵で飾られています。そのコンセプトは、人類の黄金時代。


そして、市長の間(Mayor's Hall)。
アルフォンス・ミュシャ(ムハ)がデザインした部屋です。


「スラブの団結」と名付けられた天井画。


壁画。


このクジャクも、なんだかいいですね。


そして、様々な装飾。


ステンドグラス。

ミュシャ尽くしのお部屋です。


窓の外は、バルコニーになっています。


次の部屋は、リーゲルホール(Riegr Hall)。
おそらく、チェコの政治家フランチシェク・ラディスラフ・リーゲル(František Ladislav Rieger)から名前をとっていると思われるが、確認はできませんでした。


この部屋には、マックス・シュヴァビンスキー(Max Švabinský)の二枚の絵があります。
その中には、チェコの作家、彫刻家、画家、音楽家が描かれていますが、
その音楽家の2人が、スメタナドボルザークです。

 

最後は、スラドコフスキーホールSladkovský Hall
チェコのジャーナリストで政治家のカレル・スラドコフスキーKarel Sladkovský)から名前をとっています。


この部屋は、唯一絵が描かれていない部屋だそうですが、装飾は素晴らしいものです。

 

そして、ステージに置かれていたのは、ボヘミアピアノ
今まで弾いたことのないピアノです。
1871年創業ですが、第二次大戦後、国営化され工業製品化されてしまいます。
ビロード革命以降再スタートを切ったメーカーです。
どんな音がするのでしょうか?

 


さて、見学ツアーも終了し、地下にあるバー アメリカン・バーへ向かいます。
廊下にあるこのマークがなんとなく気になります。

テントウムシのようで、そうでないようで。


ちなみに、このアメリカン・バー、ヨーロッパで二番目に古いバーだそうです。

 


 

エステート劇場


市民会館を後に、旧市街広場へ戻ります。

その前に、エステート劇場(Stavovské divadlo)を回っていくことにします。

 

エステート劇場の右に見えている建物がカレル大学(Univerzita Karlova v Praze)。

神聖ローマ帝国の皇帝カール4世によって創建されたドイツ語圏最古の大学です。

 

そして、エステート劇場の前には、この像が。

 

そうです、この劇場こそ、モーツァルトに「ドン・ジョヴァンニ」の作曲を依頼し、1787年10月29日モーツァルト自身の指揮で初演が行われた劇場です。プレートもありました。

 

これから旧市街広場へ向かいますが、長くなってきましたので、続きは次回にしたいと思います。