運と意識ーそれは本当に運なのか(改訂版) | タロットリーダー碧海ユリカのスピリチュアルコラム 碧海ユリカと読む「奇跡のコース」

運と意識ーそれは本当に運なのか(改訂版)

HPの「スピリチュアルリーディングとは」のコーナーでも触れていますが、一般的に「運」と思われている

ものの大部分は本人の意識によってもたらされています。つまり生来のものや変えようがないもの

ではないのです。この場合の「意識」とはいわゆる潜在意識と顕在意識両方を含んだものを

指しますが、平たく言えば「あなたは無自覚なままにそういう経験を自ら選んでいるのだ」と

なります。何らかの事情により意識の中に刻印されてしまった「設定」があり、その自覚がない

ままにそれに従って動いているのです。このあたりのことは最近の脳科学でも研究されている

ようです。では、その「意識」はどう作られたのか。いろいろなケースがありますが、幼児体験

から始まって(面白いことに前世の経験がここで繰り返されることが多いです)どこかの時点で

経験したことが先に述べたように意識の中に「設定」として収まってしまうのです。リーディングの

過程でこのような「原体験とそれによる設定」が出てくることもあります。例えば「大切な人に

見捨てられる」恐怖がある人は、繰り返しそれを味わうような経験をするわけです。ということ

は、これらのことがクリアになればかなりの問題がシンプルに整理されますし自分の中の「設定」

が分かればそれを変更することも可能になるのです。

人生とは一種の自然現象でもあるので当然晴れたり曇ったりの波は避けられません。しかし、

いつも同じ失敗ばかり繰り返している人、同じような経験ばかりしている人はちょっと考えて

みたほうが良いでしょう。

人生には波がある、と言いましたが確かに流れが停滞しているように見える時期があります。

しかし自然の流れにうまく乗れている人はこういう時期それこそ自然に「ちょっと休みたくなる」

のです。一方死ぬほど多忙な時期もありますがそういう時は自然とやる気に満ちてくる。そんな

人々にとってはどちらも自分の意識が自然の流れと一致しているので「悪い時期」などとは

全く感じられないのです。これらの「流れ」を「運勢」と呼ぶこともできますが、こうしてみれば

「運勢の良し悪し」などという言い方はしにくくなるでしょう。

もう一つ。「運が良かった」「運が悪かった」という言い方は一種の「魔法の言葉」じみたところがあります。何かを成し遂げた時それが自分の実力や努力の結果だと思っていても「運が良かったのだ」と言うことによって、ともすれば陥りがちな慢心や他人からの敵意という危険を免れることができますし、どうにもならないようなひどいことに見舞われても「運が悪かった」との一言で気持を切り替えることができるならそれも満更捨てたものではありませんよね