「今年は、ご近所に門松が立っていても、なんだかピンと来ないわねぇ……」
実家の玄関先の路地で息子を遊ばせていたのを見に出て来た母が、背筋を伸ばして左右を見渡しながら、しみじみと呟きました。
いつもの暮れとはどうにも勝手が違い、やはり今度は年が明ける気がしない。
親というものは、死ぬものなのだ。
そんなあたりまえのことを、当然分かっていたつもりで、全然分かっていなかったあの日までの人生。
彼は私の誇りであり、超ウルトラスペシャルスーパーヒーローだったので、「死なないかも」ぐらいに多分私は思っていた。
私の大好きな大好きな父は、私の息子の一歳の誕生日を一緒に嬉しそうに祝ってくれて、翌日の晩に倒れました。
帰りのタクシーの中からバイバイと笑顔で手を振ってくれた。
それが、それっきりのお別れでした。
ヒーロー不在のこの世に何故自分は存在し得るのか、何がな何だかよく訳が分からない。
まるで、読んでも読んでも、うまく咀嚼できずに先に進めない、難解な文章を永遠に読んでいるよう。
そんな心地が、あれから五ヶ月経った今も静かに続いています。
でも、そんな中も、気付きの幸福は訪れる。
自分がいかにも無自覚に幸福であったという事実を猛烈に思い知るのは、それを脅かされたり奪われたりする瞬間であり。
大した試練にも見舞われたことのない私は、それを全くもって不幸なことだと想像していたものでしたが、どうにも不幸にはならない、と言うか、なれない。
情け容赦無くはあっても、理不尽に奪われたわけでない。
無邪気に幸福であったという記憶は、やはり今もって幸福以外の何物でもありえませんでした。
加えて、幸せな私は、より一層幸せにならねばならんのだと、心底思う。
そう思うと、今までどれだけ父に与えられてきたか分からないというのに、父からの贈り物は全く変わることなく続き、増え続けるのだろうなぁ。
と感動。
自分をしっかり思ってくれる人の消滅というものは何とも心許ないもので、自分にとっての自分の価値まで危うくなるような情けない私は、それだけに、今まで以上にしっかりと自分の価値を自分で創ってゆかなければなりません。
今更です。
でも、今だから。
この世を生きている限り、もう二度と逢うことのできない父を偲び、やっぱり未だに毎日一度は悲しいんだよ、でも楽しく幸せにやっていくのよ、聞いてんのかよと、訴えてみたくなる。
いつも喉の奥に貼り付いている嗚咽の塊みたいなやつが、ググッと盛上がって剥がれそうな、今年の大晦日です。。。
