本日、恒例の博物館概論を学ぶ日。


ギリシャに始まる『ミュージアム』の概念のルーツと、中世ヨーロッパ王侯貴族の個人的なコレクションから、一般に「啓蒙」として公開されるまでのルーツを学びました。

そこで、余談として教授から面白い話を伺った。


「人が金持ちになると辿るパターンがあります」


「先ず、時計。次に車。その次に、その車の助手席に乗せる人。次に、その車で行く別荘。そして、そこに飾る美術品。

日本の場合、ここまで行くと大抵、会計監査などが入ってストップするパターンが多いです。

欧米の場合、特にアメリカですが、次にクルーザー、牧場ときて、最後に自分の美術館を持つんですね」



……事も無げにおっしゃるが。


考えてみれば、アメリカのキチガイみたいな金持ちが個人美術館を所有しているケースはあまりに多い。

特に西のほうなどは、「これは1個の村ですか?」という規模の広大な敷地を有するプライベート美術館も少なくありません。



そんな夢のような話から打って変わって、細々とした展示についてスライドを見ながらのレクチャーとなりましたが、いきなり、

「美術館の壁が白くなったのは最近ですよ。20世紀、アメリカの発想です」と。

そして、白い壁に絵画などが展示される様を見ながら、

「キミ達みたいな表現する人が、展示に関してはあまり興味を持っていないことが少なくないんだけど」

という言葉があり、ふと思い出しました。



今年の2月に10数年振りに観に行った母校の卒業制作展。

私は壁を見て驚愕。

4年間の集大成という晴れの舞台が、こんなにもばっちい壁だったとはっ!(TωT )



 色違いのところまであるという……。


それに何のギモンも抱かずに、嬉し楽しく展示していたとは、自分が哀れで情けない。

「いや、あの頃はもっとキレイだった?」と思い写真を引っぱり出すも、たいした変わりは無い。

展示していても周りは見えず、自分の作品しか見ていなかったのですね。



しかし、これについてはそもそも教授陣は何とも思っていなかったのだろうか。

展示に関しての興味云々よりも、それを育てようっていう土壌も無いではありませんか。

その辺に、凄く高くそびえる意識の壁を感じた、今日の講義でした。



 せっかくのキレイな絵が……。


今日は「パーティ云々」ナシです。