溢れる裏設定と構図のセンスを持ちながら、全部捨てて家族愛の物語にしてしまう贅沢映画。
熱いし、笑えるし、感動もありで十分以上にオススメできる。

はりまくった伏線が一切回収されないのは残念だが、物語の本筋はブレずに纏まり非常に面白い。
それぞれの場面の構図にも注目して見て欲しい。

  そこらのオサレ映画なんか相手にならないほど抜群のセンスで持って構成されている。これは映画学校なんかで勉強して身に付けられたものなのだろうか?カット毎の構図の美しさは、背景屋さんが自由に描ける日本アニメのお家芸と思ってたけど、この映画はもの凄くよくできていると感じた。いちいちステキな画面で見惚れる。







以下ネタバレ妄想


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・タク・マシドが伝説のロボデザイナーのくせに小物臭すぎない?

  実は偽者説。現役復帰して最強のロボ「ゼウス」を作ったらしいけど、ゼウスが最高傑作かとインタビューされた際の回答が、穿った見方をすれば明言を避けた言い訳がましいものとも受け取れる。下で妄想してるけど、偽者作であるゼウスのOSは本物作のアトムのシステムの後進版じゃないの?とか考えてしまう。

・主人公が子供の年を勘違いしてるのは何故か?10年前の恋人と、子供ができたからビビッて分かれたのに、子供が11歳ってどういうこと?

・アトムが明らかに意思を持ってるのは何故?

  シャドー機能と説明されてるけど左右反転して動きをコピーするか反転しないでコピーするかがその場に合わせて変えられてるし、上半身だけコピーしたり、移動距離は人間に合わせたりする演出が多々ある。マックスがアトムの名を呼ぶとき明らかにアトムの耳の部分がフォーカスされてたり、アトムが鏡の中の自分と見詰め合ったり…枚挙に暇がないほどアトムが普通のロボットではない描写がある。

  アトムの外見上の特徴として、光って回転するファンが体中についてることが挙げられる。ゼウスはスペック的な強さ以上に状況に合わせて書き換えられる適応型OSが搭載されているから最強という説明が作中でなされていた。現代においても当然主流なのは一極集中型の演算装置で、ゼウスもOSが一元的に身体全てを管理しているけど、アトムはそうではなくてそれぞれの体の部位毎に反射神経のような部分プログラムを実行する演算装置が組み込まれていて、だからこそ体の損傷に対して冗長性を持つ(超頑丈)なんじゃないかな、と妄想した。これは体の中におけるクラウドコンピューティングのようなもので、例えば昆虫や扁平動物のような原初に近い形の生物の行動はこのような反応が支配的なものじゃなかったかなあ。この反射神経(習慣)のプログラミングは人間でもそうだが、反復練習により記憶のネットワークを形成するしかないので、シャドー機能による学習が超有効だった、みたいな。ともあれお話的には綺麗に簡潔したけど何かしらの続編なり外伝が見たくなる、いい映画だった。



あとは最近のハリウッド映画が日本好き好きなカンジなんはなんでやろーね
ロボボクシングの映画やからって、明日のジョーのおやっさんが出てきたのは笑った


1章
p6 のりまちがえるわけないじゃないか。

  ホームにも、列車にも、目的地は書いてあるし、その特急マリンは電車の好きな子ならだれでもわかるほどの鮮やかさを持っている。だから、のりまちがえるわけがないし、目的地に到達できないわけもない。ケンはそういっている。

  希望に満ちた子供なら誰もがそう考える。ゴールがどこにあるかしっていて、やり方もわかっていればゴールに到達できないわけがない、と。私達大人は、その希望の儚さを知ってしまっている。正しいやりかたをやりさえすれば辿り着けるゴールばかりではない、そもそもそのやり方を実践できるかどうかもわからない、と。

  「お母さん」はやはりあれこれ心配してしまう。ゴールへと必ず到達できるわけではないことを知ってしまっている大人だからである。目的地が「おとうさん」というのも何とも象徴的。

  ひとり旅の名人であるケン、彼はこれまで何度も目的地まで到達し、また家まで帰ってくることを繰り返している。そう、やはり6歳ぐらいまでの子供の時分に想像しうる目的地へは、少しの成長とともに十分辿りつけてしまうのだ。しかし、社会を知り、また己の将来へと思いを馳せることができるようになる時がいつか訪れる。そのときに想像する目的地、自分の在り様、というのは、それまで到達してきた近所の町や電車に少し乗れば辿り着ける目的地ではない。6歳の彼が始める旅、特急マリンに乗って三時間の旅は、そのような遠くへの旅の第一歩である。


  彼の旅はこの希望とともに始まる。彼の旅路を、彼自身の足で歩いて、彼が目的地にどうか辿り着けることを大人になった私は祈らざるを得ない。