ニイタカヤマノボレ…82年前のきょう未明 | Gournyang's Music

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我輩は猫の化身である。
名前は 莉穂 ^._.^ ニャ~
どこで産まれたかは親に聞いた。
何でも薄暗い部屋で産婆に
引っ張り出されたらしい。

 

 大日本帝国海軍第一機動部隊はハワイ・オアフ島の真珠湾を攻撃しました。 この攻撃によって太平洋戦争が開戦したという認識が広いですが、これ以前にも帝国軍は、南方のイギリスやオーストラリア軍に対して攻撃を行っています。 そしてこれは大事な事…この "真珠湾攻撃" が "奇襲" とされていますが、じつはこれ…在米日本大使館の対米宣戦布告が遅れたので、結果的に布告より前に攻撃が行われ、奇襲になってしまったものでした。

 

 しかしこの真珠湾攻撃はじつは不完全なもので、米海軍の空母は一隻も傷ついておらず、基地後方のガソリンタンクも全く攻撃されておらず、ガソリンタンクを仕留めておけば、米軍は真珠湾からサンフランシスコに撤退していたと言われています。

 

 当時の首相・近衛文麿から「山本さん、英米相手に戦争をしてどれくらいやれるかね…?」と問われた山本五十六海軍大将は「私は軍人です…半年か一年、思う存分暴れて御覧に入れます。しかし…それ以降は判りません…」と答えたと言われています。 山本五十六氏は海外に赴任した経験も豊富で、欧米と日本の工業力の差を目の当たりにしていましたから、この戦争が無謀なものだと知っていたので、開戦には消極的であったのですが、大将の大役を担う人がほかに居なかったのです。

 

 それまで大日本帝国軍は日露戦争や第一次大戦に勝利していました…が、しかし、太平洋戦争の時期には、すでに航空機による戦闘が戦況を左右する時代に流れていましたが、帝国軍は旧態依然とした大艦巨砲主義に固執していて、大和をはじめとした戦艦ばかり製造しており、その結果…約半年後のミッドーウェー海戦で4隻の航空母艦を失い、それ以降敗戦への道をまっしぐらとなりました。 終戦間際になって戦艦信濃を航空母艦に改造するなどしましたがもう間に合いませんでした…。

 

 仮に、日本がこの戦争に勝ったらどうなっていたか…? それは私には解りません。 でも個人的な思いとしては…負けて良かったのじゃないかな? 負けたからこそ、敗者の痛みを知る国になったと思いますから…。

 

 世界では今現在も紛争・戦争が行われています…暴力によって命が、人生が虚しく奪われて行っています…テレビニュースに触れるたび、心を傷め涙することしかできないのでしょうか…私は今、忸怩たる思いに苛まれています…。