迎えにきてほしいという連絡をルームメートからもらった私は、大急ぎで唯一の交通手段である自転車に飛び乗り、駅へと向かったのだった。








時間は夜中の2時を回っていた。

そのときのいい用のない、町の空気と冷たい風のせいだろうか、その奇妙な肌寒さを今でもハッキリと覚えている。

私は、初めは気のせいだと思い、その光景を目にしている自分が信じられなかった。



駅に近づくにつれ、





その光景を信じないことを選択しようとする私の行動が、


いかに的外れかということが明らかにされ、


私を深いどん底へ押し込んだ。






それ
は、




今でもハッキリと



目の奥に焼き付いている、










深夜の2時



静かだが聞こえる沢山の足音、










そこら中に、こだましているが、余りにもかすかで 引き起こされる





夢の中にいるかのような錯覚。



そして、その光景は後に私の夢に出てくる、悪夢の一部となった。




さんざん、夢の中で見せられた光景を、


目の覚めている今、思いこし、書かなければならないからと言って、再度見たいとは思わない。 私はこれを想像とは、呼べない。




それは余りにもハッキリとした現実からくるもので、


「記憶を見る」、

そう、おいた方が正しいのかもしれない。


しかし、記すことを拒否することは、この日誌の趣旨を全否定することになる。




わずかでは、あるがここに記そう私の視界を。







私は見た、

まるで戦争が起こった後のような違和感を。


私は見た、

私を、めがけて歩く人々の群れを。



私は見た、

覚悟を決めた、その横顔を。


私は見た、

歩幅を緩めない、その背中を。



私は見た、

ふらつきながらも、方向を変えないその足を。



私は見た、

地面に腰掛けるように倒れる、その姿を。


私は見た、

立ち上がろうとする、その心を


私は、目にした

自然が、もたらしたその光景を。



混乱、

その単語一つで全てを物語れるかのようだった。


私が、風呂を出た直後の事だった。それは、



まるでその後の救急車のサイレンを予兆するかのように、最初は小さく、次第に家中の物を物凄い勢いでひっくり返す程の揺れになった。


私は、パンツ一丁でタオルを片手に何秒か立ち止まった後、


家の中にある最も高価で壊れやすい物を死守することを選択した。
兄が、

その様な物を所持しているはずがないと、

兄の部屋の前を通り過ぎて、階段を上がり私は自分の部屋に直行した。



その部屋


の散らかり様といったら、落ち込むしかなかった。



何年か前に、中越沖地震を経験した私にとって、揺れの激しさは、さほど問題でなかった。

それよりか、

地震が都会に与える影響にただただ、ひれ伏すのみだった。



自宅から


歩いて約2時間の所にある駅でも、その被害の影響が出ていた。というか、被害は


毎分の勢いで時間と比例して拡大していっているように見えた。電車などの交通手段は完全に麻痺。


学校帰りの私のルームメートも、そこで待ちぼうけを喰らっていた。

私たちが、






来たるべき未来の不透明さ








について恐れを抱く必要













など全くない。








むしろ、


真っ白なキャンバスに向かって沢山の絵の具で、









何を描こうかとはしゃぐ








子供であって良いのだ。



―クワク・マウフォモ