司馬遼太郎著「竜馬がゆく」(計八巻)を読んだ。面白かった。読み始めてから、読み終えるまでに遂に3年以上の日数を要するものとなった。

 坂本龍馬といえば、日本人の多くが知る有名な幕末の志士。その活躍を重厚にかつ愛を以て、最後まで一つの作品として書ききった作者に尊敬の念を送りたい。

 私が坂本龍馬を知ったのは、龍馬伝だったか、母親が高知出身で何かの拍子に彼の話を聞いた時だったか、よく覚えてないが、小さい頃である。とにかく凄い人で、侍の国でピストル一丁抱えて得意の剣術も実践では全く剣を抜かず、船が大好きで勝海舟に師事し、当時仲の悪かった薩摩藩と長州藩の間を取り持った大政奉還の立役者。高知県の話をするときには、とりあえず坂本龍馬を出しとけば話ができる。そういう印象の人で、とにかく人間離れの域が凄すぎて知らない人が聞いたら実在すら疑われそうなプロフィールである。作者はそんな超人の性格、人間像をどの様に物語として編み上げたのかそこが注目すべきことなのだ。多くの人は彼が何を為したのかは知っている。ではそれまでの本人の内情の変化は?なぜそこまでの偉業を身分も高くない一介の侍が成し得たのか?それこそこの本の醍醐味であると、そう感じた。

 読む人にはある程度の江戸時代の知識が必要であろう。滑稽本で有名な「東海道中膝栗毛」を現代の人がよんで笑えるのかの聞かれれば、「そりゃ、笑えるものもあるだろうけど、現代の価値観じゃぁひでぇもんがある」と答える。男女差別も凄いもので、その滑稽本に女性へのレイプを滑稽話として載せているぐらいだから、ある程度の許容能力が必要なのは言うまでもない。悪い例えを出した可能性があるが、今回紹介した本は特にそういうことはないと断った上で、読み終わったのちに思ったことがある。倫理観という側面でこの時代、無情なところがあるのは確かなことで、常に坂本龍馬の歩く物語の背景にはその暗雲が存在している。そのうえで、彼はやり遂げた。読む前と読む後では、偉業は偉業でもその輝きに一層光がました。