予約記事えんぴつにて失礼します。。





やっと・・・


やっと、ブログで仲良くしてくださっている皆さんに、

お伝えできると決心がついたコトがあるので、

書かせてください。。



今日は・・・・4回目の月命日です・・・・・。





父の。







12月からアメブロを休んでいた間に、

父が天国へ旅立ちました。


あの日から今日で4ヶ月。



やっと、精神状態も体力的にも戻ってきたので、

記事にしようと思いました。




※明るい内容ではないので、苦手な方はスルーしてください。。

 そして、いつもながら長文です。





父は“肺線癌”という病気でした。



見つけた時には、既に手遅れ。

つまり末期の状態でした・・・。


癌への治療の方法はゼロ

緩和治療といって、苦しくないための処置や、

食べれない時は点滴をするというような治療法しかない。

と、医師にも断言されました。




救急車で運ばれたと聞き、

すぐに実家に戻ったのが12月2日。


医師から「長女に連絡を」ということでした。



何故か・・・・ウチは母も脳内出血という病気の

後遺症があり、判断などができない。

(体の障害ではなく記憶に障害が残っています)


親戚も近くにいない。


父と同居の妹はマダ高校生・・・。




医師から告げられたこと・・・それは、


「余命は、もって1ヶ月です。

 これ以上の治療法はありません。

 心肺停止の状態に陥った場合、蘇生の処置はしません。

 理由は、蘇生して戻ったとしても

 その後助かる見込みがないからです。」



こちらを時折見ながら、

医師は坦々と説明していきました。




あまりにも残酷な宣告でした。





その日から、父と私たち(母・モエ・妹2人)

5人で過ごせる最後の

大切な大切な、家族の時間がはじまりました・・・



父は入院し、看病で1日2回以上通いました。


その間に変わり果てた実家を元通りに・・・


三女のお弁当を作って高校へ送って行く。

一度戻って朝食&掃除&洗濯。

母を連れて、着替えを持って病院へ。

帰ってきて昼食を作って、食べさせ掃除&洗濯。

夕方、三女を迎えに行って買い物をして、

母親を連れて再度病院へ。

帰ってきて、夕食を作って食べて寝る。



こんな生活をしていました・・・。




家事をしながらの看病は予想以上に大変で、

本当に身も心もすぐボロボロになり、

すがりたいはずの彼は・・・・・同時期にフラれいない。。



元彼に突然の別れを告げられて、たった1日で父の余命宣告。

精神的には限界寸前でした。






いっその事、頭がおかしくなってしまえばいいのに・・・

とまで思ったトキもあります。。

(不謹慎でごめんなさい。でもそれくらいの心境でした)




そんな時に、助いの言葉をかけてくれたのがrk

職場の元同僚なんですが。。


彼は2年ほど前にお父さんを亡くしています。

お母さんはもっと若くして亡くしているので、本当に大変だったし、

気持ちも分かるしと、話しをたくさん聞いてくれました。


そして、

『とにかく、今は何を犠牲にしてでもお父さんとの時間を取れ』

ということを言ってくれました。





実は・・・・余命という言葉を聞いても、

頭で認識できても、

そこに入院して少し元気になっているように見える父がいる。

それが1ヶ月で・・・・??


到底、理解できない現実でした。

実感が湧かないってこーゆう事を言うんだな。って。




それよりも、現実として実感できる・・・

元彼からの別れの宣告の悲しみの方がズットズット大きくて。。


遠距離であんなに頑張ってきたのに・・・

モエは“結婚”まで考えていた人。

彼もそう言ってくれていたこともあったし、

父にも会わせていた彼。



そのことで毎日、毎日泣いていました。




鳴ることのない彼からの電話を待って眠れず、

メールがくるたびにビクビクしながらも期待して。

違ってがっかりして、また思い出して泣いて・・・


どうしてコノ状態で気が狂わないんだろうか。

と思う程、追い詰められていました。






父のことに100%の気持ちを向られていなかった・・


元彼のコトなんて考えている場合じゃない。





気付かせてくれたのは、彼の言葉でした。




『お父さんが死んでから

 後悔したって遅いんだぞ?!』


『時間を大切にしろ。

 1分でも多く一緒に居ることを選べ』





ハッ・・としました。



経験をした彼からの言葉は大きなものでした。。

分かっているようで、分かっていなかったこと。


そんな元彼のことなんて、考えている時間が

どれだけ無駄な時間か・・・。



シッカリしろ、自分!!!!!





そこからは父との時間を1分でも多く過ごせるように

心掛けました。

昼間に1回と、夕方~夜に1回。


夕方になると体調が悪くなる父は、

機嫌が悪くなることも多くなり怒鳴られたりしたことも

たくさんありました・・・


タバコが吸いたい。

家に帰りたい。

怒鳴り散らすことも・・・。



悲しくなったし、

「頼んでないのに帰ってきて」なんて言われたトキは、

本当に涙を堪えるので必死でした。





それでも病室にお弁当を持って行って、

一緒に食べたり、

日に日にむくんでパンパンになっていく足を

マッサージしてあげたり、

お父さんが大好きなチロ(犬)の話しをしてあげたり、

暖かくなっていくお外の様子を教えてあげたり・・・


笑って聞いてくれることも沢山ありました☆




着替えさせてあげたり、

一緒にお昼寝したり、

最後の方は、ご飯を食べさせてあげたり、

タオルで体を拭いてあげたり・・・



思い出すと悲しくなってきますねーダメだ





病室での数え切れない思い出があります。。










息を引き取る前々日、

「絶対に家に帰りたい」という父の強い要望で、

外泊許可が1日だけ出ました。


先生には、

「今の体力で外泊というのは、

 最悪のことも考えてください。

 それ踏まえた上でご家族で判断してください」

と言われました。




どうしても、この先生が好きになれず、

それでセカンドオピニオンで他の病院へ行ったことがありました。

そこの先生は本当に良い人で・・・


全国でも有名な癌センターでした。



「この段階にきたら、

 お父さんの好きなことをさせてあげてください。

 タバコが吸いたい人は

 いくら肺癌でも最後まで吸いたいんですよー

 お酒が飲みたい人は最後まで飲みたいんですよー


 それをしなかったからと言って、

 何ヶ月、何年と余命が延びるわけではない。

 例え余命が短くなっても、

 お父さんの余生、好きなことをさせてあげたい!

 と考えるのも1つです。」



とても暖かいお言葉でした。




一生懸命、生きさせよう。1日でも長く生きて欲しい。

そう思って「ダメ」「ダメ」としてきたことも、

このトキから少しでも、お父さんの“希望”を叶えてあげよう。って

思えるようになりました。


長く生きて欲しいというのは、

もしかしたらモエのエゴかもしれない。。




だから、外泊許可ももらうことにしました。




東京から伊豆に引っ越して、

念願のマイホームをこだわって建てた家。

事務所も隣にあるので、お父さんの生活の基盤は実家にありました。

例え1日でも帰らせてあげよう!!!



在宅酸素の設置をお願いして、

寝床を作り、モエの運転でお家へと帰ってきました☆

やっぱりお家が良いようで、

機嫌も良かったし、元気そうに見えた!!




「ほうれん草の入ったカレーが食べたい」って言うから

作ってあげて~


「ビールが飲みたい」って言うから、

モエとお母さんと一緒に3人で500ml飲んで~



ほんの一口しか飲んでないのに

「酔っ払っちゃったよー」って

嬉しそうに笑っているお父さんの顔が

声が・・・忘れられません



ご飯の後に撮った、最後の家族写真☆

            みんな良い顔してる♪宝物です。。




家の周りをお散歩したいって言うから、

酸素ボンベを持って、

家族5人と近所の仲良くしている家族で

ゆっくりゆっくりお散歩☆


モエはお父さんの乗せた車椅子をずっと押していました



1月だというのに、

伊豆はポッカポカ☆

雲ひとつない空でした


お天気まで、お父さんが帰ってきたのを

喜んでいるかのように・・・・



帰って縁側でおやつを食べて、

お茶を飲んだりして

「気持ちいいー気持ちいいー」

って言ってくれて嬉しかった☆


19日間もベットの上にいたんだもんね??






あーんなに元気そうだったのに・・・・



翌日の夜、

「もう一泊する」と駄々こねたお父さん。

しょうがなく病院に許可をもらって過ごしてた夜。


お父さんが帰ってきてから、

1間に4人(3女だけ自分の部屋)一緒に寝ていました。




軽いほんの少しだけれど、痛みを訴えはじめたので、

病院に電話。


「救急車を呼んでください」と看護婦さんに言われました。



それから9時間後。




12月21日 9時06分

父はこの世を去りました・・・・









最期の時のことは、

今も思い出すのが辛いので、

過去のアメンバーアメンバー(透過)記事を公開します。


良かったらコッチ↓も読んでください。

    ● 実 感 ●







だからね?


モエには守るべきものがあるんです。


長女として、

病気の後遺症を持つ母親と、

20歳と17歳の妹。

この家族を守っていかなきゃいけない。


モエがこの家族を今度はお父さんの変わりに、

支えていかなくちゃいけない。




母は、人並みに生活はできます。

車の運転だってできます。

ただ、判断力の低下や記憶力の低下などの

機能障害です。


本当に見た目は何も変わらないけれど、

健常者として社会に出ることはできません。

お金の管理もできません。




葬儀の関係から、

相続のこと。

妹の学校のことや、保険やら、イロイロな申請、手続き。。

全部はじめてだらけだけど、やってのけました。


そして、これから全てのことの判断・責任は、

長女であるモエが負うことになります。





だから・・・・遠くには引っ越せない。


おしゃれクンとの同棲の話しで出た札幌への移動。。

本当だったら付いていきたいし、

以前までのモエだったら

きっと迷うことなく行っていました。


けれど、女4人だけになった今、

母親は障害があり、

1番下の妹は体が少し弱い、

真中に任せきりにはできないし、したくない。



すぐに駆けつけられる距離で生活することだけは、

絶対に譲れません。



それが無理だったら・・・モエはソノ事を諦めると思います。





今までは“自分自分”で生活してきた24年間。




父は、4人が笑って生活をしていくことを

願っているはずです。


モエには、この使命を一生果たす義務があります。






朝から、暗くなってしまってゴメンナサイ。。


この→記事 も父のことを思って書いたものです。

PCユーザーの方、この動画を是非見てください。





大切な人を失ってから気付くのでは遅すぎる。。


両親・兄弟・姉妹・夫・家族を大切にね?

命って本当に儚いものです・・・




お花を手向けたいけれど、できないので、

今日は父に心で話し掛けてみようと思います。

やっとココまでこれた!!


思い出すと、とめどなく涙が溢れるけれど、

泣いてばっかりいちゃダメ☆




モエには支えてくれる姉妹も友達も彼もいるんだから♪







今日も素敵な1日になりますように・・・☆