2019年からはじめた奇跡講座、ついに下巻を読み終わりました。
最後の付録の祈りの歌を読んでいて、偽りの癒しというところがあるのですが、偽りの癒しについて思うところがありました。
私が携わっている人権活動、特にLGBTQ+についてなのですが、トランスジェンダーの性適合手術は偽りの癒しなのでしょう。
心が変わらない限り、癒しは起こりません。
体だけ医療で変えたとしても、心が癒されていない限り、癒しは起こっていないのです。
医療を選択するのは真の癒しではありません。
戸籍の性の変更条件に手術は含まれています。
問題は戸籍の性の変更条件の方です。自認の性で書類の性別を変更できる国はあります。
戸籍の性を変更した人数を講演の場でお伝えすることはあるのですが、手術によって本当に癒されているかは分からないのです。
病院へ一生通院することになり、苦痛から解放されてはいないかもしれません。
そういう状況にも関わらず、手術をしないと心の性の人に見えないよ、などとSOGIハラ認定を受けた事件もありました。今年11月のニュースです。
今やっとSOGIハラスメントが知られるようになってきたところです。
夢の、幻想の世界を生きている人の多さにびっくりさせられます。。
幻想を生きていることについてはマイノリティーもマジョリティーも関係ありません。
気づいている人は気づいているということです。
体の性はグラデーションであるし、男や女で分けられるものでもありません。それ自体の認識自体がない人にとっては、既存のLGBTQ+講義は有効でしょう。
誰もが魂の経験では男性でも女性でもあるし、トランスパーソナルな視点を含めてのジェンダー講座をしていかないとと思ったりはします。
正しい知覚をもった人であるならば、物理的な幻想の性別で人を認識したりはしません。医療の選択の有無と見かけの性とは関係なくなってくるでしょう。
当事者や支援者という言葉もありますが、分離した意識の上に成り立っている言葉だと思います。
全員が多様な当事者であり、当事者でも支援者でもあるのです。
私たち、あなたたちの構図ではなく、「私はあなた」という全一性を元にした言葉の使用が必要となってくるのではないかと感じています。
1月は6日に高校の現職教育があり、17日には公民館講座があります。
一般的にはアライアンスのアライという支援者を指す言葉もありますが、私のスライドでは使用をやめていこうと考えています。
二元化ではない視座による言葉の構築を模索中です。
カウンセリングの場では、「私たち」と表現しています。
LGBTQ+や不登校、どんなテーマであっても同じことです。何も変わりはありません。
奇跡講座でもよく言われていることです。
先祖から、親から、どんなことであっても、受け継がれています。家族の連鎖はどんなことでも起こります。
それを断ち切っていくのが今ここで選択するということであり、マインドフルネスです。
この連鎖を断ち切っていく作業は私たち全員がやっています。カウンセラーはクライエントが気がつけるように一緒に考えていきます。
著名な禅僧ティク・ナット・ハンのインナーチャイルドに関する本も読んでいるところです。
ここではブッダに呼吸してもらうということが書かれています。
奇跡講座では聖霊やキリストなのですが、仏教でも同じことが言われています。
自我ではなく、先達に導いてもらうことだと理解しています。
カウンセラーも道の先達です。
「私はあなた あなたは私」の場所からでないと、真の癒しは起こり得ないと考えられます。
私たちの個人的な我ではなく、キリストやブッダ、聖霊や空など呼び方は何でも良いのですが、全体と一つになった源から人と接するとき、真の癒しとなるのだと思います。
それを奇跡講座では神の教師と呼んでいます。
この全一性の視点はあらゆる人権課題にとっても大切なものとなるでしょう。
多数派が少数派を理解する、支援するという分離の構図では解決しません。
一人一人が内なる分離を癒すことも大切になってくるでしょう。
そこで、まずは赦し、奇跡講座のキーワードである赦すことの実践からはじめていきたいと思います。
私たちは神聖な存在であり、神の子です。
より一般的な言葉でいえば、誰もが天国を生きられるということだと思います。
どんなときでも、キリストやブッダに導いてもらうことができ、ユングでいう集合無意識でつながっている私たち自身の最善の行動ができれば、世界に平安をもたらすこともできるのでしょう。
まずは自分の心の平安からです。
とりとめのない文章となってしまいましたが、奇跡講座とともに、さらに進んでいきたいと思います。