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すみませんがまた、クリスチャンから

異論反論を受けそうなやつでございますが、

気にせずいきます。

 

彼らの良い羊飼い(イエスやハイヤーセルフ)を信頼し、余計なジャッジが伴わないように慎みます。

 

 

 

 

また面白い箇所がありました。

ヨハネによる福音書10章です。

マニアックな方と楽しめると嬉しいです。

 

 


 

 

さて行きます!

 

 

 

 

そこで、イエスは言われた。「あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちは神々である』と書いてあるではないか。 (ヨハネによる福音書10:34)

 


 

聖書に、私たちが神々であるということが

堂々と書かれていることに、

驚きつつ嬉しく思いました。

(※律法というのは、旧約聖書のことです)

 

 

 


 

これは、ユダヤ人らがイエスに対して

「神を冒涜する罪」を責めて

石でう撃ち殺そうとしている場面でのセリフです。




ユダヤ人はイエスに対して

「あなたは人間なのに、自分を神としている!」と、批判するんですね。






 そこで、イエスは続けて言っています。

「神の言葉を受けた人たちが、

『神々』と言われている。」と。



あくまでも、

〝神の言葉を受けた人たち〟が、

神々といわれているんですね。


内なる神の栄光をそのままに

表現できるからです。





もちろん、イエスは完全に

神の栄光を表現しているので

神そのものと言えます。

 

 

 

 

 

そういう意味では、勿論

私たちは純粋に神そのものである!

とは言い切れません。

 

神そのものになれたときには、

完全な信仰によって、神と一体となり

山を海に飛び込ませたり、死人を蘇らせたりすることもできるくらいですからね。

 

でも、その段階に徐々に徐々に

連れて行ってもらっている身だと思います。

 

 

 

 

 

 私たちは

「悪(カルマ)」排泄中の神の子です。






それでも、神の子であることには違いありません。イエスと全く違うような、別の存在ではありません。

 

 

 


 

「私たちはもともとは、神々である。」

 




 

 それには、なんの間違いもないのではないでしょうか。罪(カルマ)をデトックスしていくごとに、神の栄光を表せられる存在に導かれています。





私たちは神々である。





心強く嬉しい箇所のように思います。



 

 

 34そこで、イエスは言われた。「あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちは神々である』と書いてあるではないか。

 35神の言葉を受けた人たちが、『神々』と言われている。そして、聖書が廃れることはありえない。 

36それなら、父から聖なる者とされて世に遣わされたわたしが、『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして『神を冒瀆している』と言うのか。 

 (マタイによる福音書10:34-36)