なんとなく ヨーロッパ -8ページ目

 なんとなく ヨーロッパ

 フランスに住んでいるので、パリとフランスの話が多くなると思いますが、
 まぁ気分で。

 

 

2025年6月14日(土)

今回は、まずポルトガルに行きました。
遠いので飛行機とレンタカーです。
飛行機は値段とか時刻とかいろいろチェックしたんだけど、
結局ポルトガル航空にしました。
ネットでチェックインしようとしたら、うまくいかなくて、
「予約が存在しません」みたいな表示が出てしまいました。
しかし、パリにはポルトガル航空の事務所が無いんですね。
昔はあったんじゃないかな。
しょうがないから、オルリー空港のポルトガル航空のカウンターに行きました。
調べてもらったら、「大丈夫です。予約されています。」とのこと。
チェックインの手続きをしてくれるほど親切ではないみたい。
当日空港で普通にチェックインしました。

オルリー発11時55分、リスボン着13時30分、
時差が1時間あるので、所要時間時間は2時間半です。
空港でレンタカーを借りたんだけど、待ってる人が多くて結構時間がかかりました。
車はヤリスクロスで、普通のヤリスより大きいですね。
料金は5日間、オールリスクの保険込みで330ユーロくらい。
高速料金は、日本ではETCシステムというのかな、後から別に引き落とされました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

屋根に自転車を積んでいる車もいます。

 

 

 



ファティマは2度目です。(3度目だったかな。)
1917年にマリア様の御出現があったところです。
ルルドと並んで有名ですね。
リスボンの空港から120kmくらい。
ホテルにチェックインしてから、さっそく聖堂に行ってみました。



 

 

 

 

 

 

2024年7月16日 (火)

クレルモン・フェランに向かいます。

 

 




ピュイ・ド・ドーム(Puy de Dome)の頂上に登山電車で上りました。

 

 

 

 

 

 

 

 


ここも2度目です。

 

 

 


眺めがいい。

 

 









空を飛んでる人がいました。

これで去年の話は終りです。
 

 

 

マリア様の御出現とブノワットを描いた絵

 

 

1664年5月 聖モーリスがブノワットの前に現れ、

『聖エティエンヌ教会の上の谷に行きなさい。そこで聖母に会えるだろう。』と告げました。


1664年6月初旬 ブノワットは羊と山羊の群を連れて、

Foursの谷と呼ばれるところに行きました。
そこで小さな子供を連れた美しい女性に会いました。
顔が輝いているような印象を受けましたが、マリア様だとは思いませんでした。
その後ブノワットは何度もこの女性に会いました。



1664年8月29日 ブノワットが女性に名前を尋ねたところ、「マリアです。」と答えました。

 

 

 

1664年9月29日 Pindreau(パンドロー)
ブノワットが羊と山羊の群を連れていたとき、 Pindreauの近くで大きな光を見ました。

近づいてみるとマリア様でした。
このときはマリア様一人でした。
マリア様は、(直訳すると)「Lausに行きなさい。良い匂いのするチャペルを見つけなさい。

そこであなたは何度も私と会ったり、話したりするでしょう。」と告げました。


 

 

 

Lausの村は、その場所から1500mくらいのところにありました。
当時は貧しい村で、チャペルの広さは15㎡もありませんでした。
ブノワットがその日のうちに行ったのか、翌日行ったのかは記録がありません。
ブノワットがLausに行ってみると、チャペルと民家の区別がつきませんでした。
彼女は匂いを頼りにチャペルを見つけ、中に入ってみると、

マリア様がそこにいらっしゃいました。
 

 

 

 

マリア様の輝きで、チャペルの中は明るくなっていました。
マリア様が埃の積もった祭壇の上にいたので、

ブノワットは自分の前掛けをそこに敷こうとしましたが、マリア様はそれを断って、

「(ここには、)すぐに、すべてが揃うでしょう。」と言いました。
 

 


1669年  
Lausの村から500mほどAvançon(アヴァンソン)の方向に行ったところに、

十字架がありました。
ブノワットは習慣的にこの十字架のところで祈っていました。
彼女は自分の部屋にいたとき、とても強く良い香りを感じました。
聖霊に導かれるように、この十字架のところに行くと、
彼女はそこで十字架に掛けられた血まみれのイエスのヴィジョンを見ました。
驚き混乱しているブノワットに、イエスは、

「罪びとに対する私の苦しみと愛をあなたに見せるために、この姿で現れた。」

と言いました。
 

 

 

 

現在のチャペルが建設されたのは1862年です。
La chapelle du Précieux Sang(貴重な血のチャペル)と呼ばれています。
天井から吊るされている金属とガラスのケースの中に入っているのが、当時の十字架です。