奇跡講座 テキスト編 p.340 – p.342
真に知覚するとは、あなた自身の実相の自覚を通して実相のすべてを自覚するということである。しかし、このようであるためには、いかなる幻想もあなたの視界に入ってはならない。実相はいかなる誤りの余地も残さないからである。これが意味することは、あなたは兄弟を、今あなたに見える通りにしか知覚しないということである。彼の過去は現在においては実在性がないので、あなたにはそれが見えない。彼に対してあなたが過去に示した反応も、そこにはない。もしあなたがそうした過去の反応に対し反応するとしたら、あなたは、彼を見る代わりに、あなたが作り出して大切にしている彼の虚像を見ているだけである。あなたが幻想を疑問視する際には、過去のものを今のものとして知覚することは真に正気なことかどうかと自問しなさい。兄弟を眺めるときにあなたが過去を思い出すなら、今ある実相を知覚することはできなくなる。
あなたは現在を判断するための参照基準として、過去の経験を使うことが「自然」なことだと考えている。しかし、それは妄想的であるから、不自然なことである。誰かの過去であれ、あなた自身の過去であれ、あなたが知覚する通りの過去をまったく引き合いに出さずにすべての人を眺めることを学んだとき、あなたは、今、自分が見ていることから学べるようになる。なぜなら、あなたが光を恐れているのでない限り、過去がその影を投じて現在を暗くすることはできないからである。あなたは恐れている場合にのみ、闇をもち歩くことを選択し、それを自分の心の中に保持することにより、それが暗雲となって、兄弟たちを包み込み彼らの実相をあなたの視界から隠蔽するのを見る。
この闇はあなたの中にある。今あなたの前に現れるキリストに過去はない。なぜなら、キリストは不変であり、彼の不変性の中にあなたの解放があるからである。そしてまた、彼が創造されたままであるのなら、彼の中に罪悪はないからである。罪悪感の雲が立ちのぼって彼を覆い隠したことは一度もなかった。そして、あなたはキリスト自身を通してキリストを見るので、あなたが出会うすべての者の中にキリストが姿を顕す。再生するとは過去を手放すことであり、咎めをもたずに現在を見ることである。あなたから神の子を隠してしまう雲とは、まさにあなたの過去のことである。そしてあなたがそれを過ぎ去ったものとしたいのなら、今それを見てはならない。もしあなたが今それを幻想の中に見るなら、それはそこに存在していないにもかかわらず、あなたのもとからは去っていないことになる。
This darkness is in you. The Christ as revealed to you now has no past, for He is changeless, and in His changelessness lies your release. For if He is as He was created, there is no guilt in Him. No cloud of guilt has risen to obscure Him, and He stands revealed in everyone you meet because you see Him through Himself. To be born again is to let the past go, and look without condemnation upon the present. The cloud that obscures God’s Son to you is the past, and if you would have it past and gone, you must not see it now. If you see it now in your illusions, it has not gone from you, although it is not there.
時間は、それについての誰の解釈を採用するかによって、解放するものにも幽閉するものにもなる。過去、現在、未来は、あなたがそれらに連続性を押しつけない限り連続的なものではない。あなたがそれらを連続的なものとして知覚し、自分にとって連続的なものとすることはできる。だが、騙されてはならない。それにより、時間がそのようなものだと信じてはならない。というのも、実相は自分が与える用途によって自分の望む通りのものになると信じることは、妄想的なことだからである。あなた自身の目的のために時間を過去、現在、未来へと分割することによって、あなたは時間の連続性を破壊しようとする。あなたは過去の経験をもとにして未来を予期し、それに応じて未来のための計画を立てようとする。だが、そうすることによって、あなたは過去と未来を一直線につなげているのであり、あなたを自由にして再生できるように、過去と未来の間に介入できたはずの奇跡が起こらないようにしている。
奇跡は、あなたが兄弟を彼の過去から離れて見ることを可能にし、それにより彼を再生した者と知覚できるようにする。彼の誤りはすべて過ぎ去っており、彼を誤りのない者として知覚することによって、あなたは彼を解き放つ。そして彼の過去はあなたの過去でもあるから、あなたはこの解放を共有する。あなたの過去からの暗雲で、彼をあなたから覆い隠してはならない。なぜなら、真理は現在の中だけにあり、それを現在に探せば、それが見つかるからである。あなたは真理が存在しないところで真理を探してきたので、それを見つけてはいない。だから、それが存在するところにそれを探すことを学びなさい。そうすれば、見える目をもつ者の前に、それは姿を現すだろう。あなたの過去は怒りの中で作り出されたのであり、もしあなたが現在を攻撃するために過去を使うなら、現在が保持する自由を見ることはないだろう。
