奇跡講座 テキスト編 p.335 – p.337
「今」は、自我にとっては何の意味もない。現在は単に過去の傷を思い出させるだけであり、自我は現在に対してあたかもそれが過去であるかのように反応する。自我は、過去から解放されることには我慢ならず、過去は過ぎ去っているにもかかわらずそれが現在であるかのように応答することで、過去の印象を保存しようとする。自我はあなたに、現在において出会う人々に対し過去の参照基準から反応するようにと命じ、彼らの現在の実相を覆い隠す。実際のところ、自我の命令に従うなら、あなたは兄弟に対して、まるで彼が別の誰かであるように反応することになり、これは確実に、あなたが彼をありのままに認識するのを妨げる。そして、あなたは彼からのメッセージを自分自身の過去から受け取ることになる。なぜなら、それを現在において実在のものとすることにより、あなたはそれを手放すことを自らに禁じているからである。このようにして、あなたは、一人ひとりの兄弟が、今、差し出している解放のメッセージを自分自身に否む。
過去からの影法師こそが、あなたが逃れるべきものである。彼らは実在せず、あなたが自分で彼らを連れ歩かない限り、彼らにあなたを左右する力はない。彼らはあなたの心の中にいくつもの痛点を保ち、もはや存在しない過去に報復するために現在において攻撃するようにとあなたに命じる。そしてこの決断は、未来の苦痛を選ぶ決断である。過去の苦痛は幻想だと学ばない限り、あなたは幻想からなる未来を選んでおり、現在において見出せるはずの解放のための多くの機会を失っている。
The shadowy figures from the past are precisely what you must escape. They are not real, and have no hold over you unless you bring them with you. They carry the spots of pain in your mind, directing you to attack in the present in retaliation for a past that is no more. And this decision is one of future pain. Unless you learn that past pain is an illusion, you are choosing a future of illusions and losing the many opportunities you could find for release in the present.
自我はあなたの悪夢を保存しようとし、あなたが目覚めて悪夢は過ぎ去ったと理解するのを防ごうとする。神聖な出会いを単に過去の自分との出会いとして知覚しているだけなら、あなたはそれを神聖な出会いと認識するだろうか。というのも、そのときあなたは誰にも出会わず、救済の共有という、出会いを神聖にするものが視野に入らないからである。聖霊が教えることは、あなたは常に自分自身と出会うのであり、あなたが神聖であるがゆえにその出会いは神聖だということである。自我が教えることは、あなたは常に自分の過去と出会うのであり、あなたの夢は神聖でなかったがゆえに未来も神聖なはずはなく、現在に意味はないということである。
明らかに、聖霊による時間の知覚は自我のそれと正反対となっている。その理由も同様に明らかである。両者の知覚する時間の目的が、まったく正反対だからである。聖霊は、時間の目的は時間の必要性を不要にすることだと解釈している。時間の機能については、教育という聖霊の機能にのみ役立つ一時的なものと見なしている。そして教えるという機能自体が、当然ながら一時的なものである。したがって、聖霊が重視するのは、時間の側面の中でも、無限へと延長させられる唯一の側面のみとなる。その側面、すなわち今とは、この世界が提供するものの中で最も永遠に近いものだからである。過去も未来もない「今」という実相の中で、永遠が賞美され始める。「今」のみがここにあり、「今」のみが、救済を見出せる場となる神聖な出会いの機会を提供するからである。
聖霊はあなたを時間から解放しようとするのに対し、自我の継続性はあなたを時間の中にとどめようとする。あなたの救済という聖霊のゴールを共有したいと思うのなら、あなたは、救済の手段についての聖霊の解釈を受け入れることを学ばねばならない。
あなたもまた、自分自身の機能についての解釈に即して時間の機能を解釈する。時間の世界においては、癒しが自分の機能であると受け入れるなら、あなたは癒しが起こり得る時間の側面のみを重視するだろう。癒しは過去においては達成できない。それは未来を解き放つために、現在において達成されなければならない。この解釈が未来を現在に結びつけ、過去ではなく現在を延長させる。しかし、自分の機能が破壊だと解釈するなら、あなたは現在を見失い、破壊的な未来を確保するために過去にしがみつく。そして時間は、あなたが解釈する通りのものとなるだろう。時間はそれ自体では無だからである。
You, too, will interpret the function of time as you interpret yours. If you accept your function in the world of time as one of healing, you will emphasize only the aspect of time in which healing can occur. Healing cannot be accomplished in the past. It must be accomplished in the present to release the future. This interpretation ties the future to the present, and extends the present rather than the past. But if you interpret your function as destruction, you will lose sight of the present and hold on to the past to ensure a destructive future. And time will be as you interpret it, for of itself it is nothing.
