奇跡講座 テキスト編 p.328 – p.330
あなたが最も暗いところに隠した隅石が、罪悪への信念をあなたに自覚されないままに保持している。その暗い秘密の場には、自分は神の子に死刑を宣告して彼を裏切ったという認識が隠れているからである。
The darkest of your hidden cornerstones holds your belief in guilt from your awareness. For in that dark and secret place is the realization that you have betrayed God’s Son by condemning him to death.
自我の奇妙な行動の多くは、自我による罪悪感の定義に直接起因している。自我にとっては、罪悪感なき者は有罪である。攻撃しない者たちは自我の「敵」である。なぜなら、救済ついての自我の解釈の価値を認めないことによって、彼らはそれを手放すのに格好の立場に居るからである。
真理の穏やかな光の中で私たちは、あなたが自分は神の子を十字架にかけたと信じていることを、認識しよう。あなたはこの「恐るべき」秘密を認めていない。なぜなら、もし神の子を見つけ出せるなら、今でも彼を十字架にかけたいと願っているからである。だが、その願望が神の子をあなたから隠してきた。それがあまりにも恐ろしいものだからである。それゆえに、あなたは彼を見つけ出すのを恐れている。
十字架刑は自我の象徴であると私は言った。神の子の真の無罪性に直面したとき、自我は彼を確かに殺そうとしたのであり、そのとき自我が掲げた理由は、無罪性は神にとって冒涜的だというものだった。自我にとっては、自我こそが神であり、無罪性は、殺害を完全に正当化する最後の罪悪として解釈されなければならない。このコースとの関連においてあなたが経験するかもしれない恐れはみな、究極的にはこの解釈に由来しているということを、あなたはまだ理解していない。
あなたはおそらく、自我および自我が差し出しているものの虚しさを認識してはきた。しかし、それらを望まないにしても、まだそれに代わるものを喜びをもって眺めてはいないかもしれない。極端な場合には、あなたは救いを恐れており、それがあなたを殺すだろうと信じている。この恐れの奥深さを見くびってはならない。なぜなら、あなたは、真理を前にすれば、自分で自分に襲いかかり、自分を破壊してしまうかもしれないとまで信じているからである。
You have perhaps recognized the futility of the ego and its offerings, but though you do not want them, you may not yet look upon the alternative with gladness. In the extreme, you are afraid of redemption and you believe it will kill you. Make no mistake about the depth of this fear. For you that, in the presence of truth, you might turn on yourself and destroy yourself.
幼子よ、それは事実ではない。あなたの「うしろめたい秘密」は無であり、それを光の前に運んでいきさえすれば、光がそれを消し去る。そうなれば、もはや、あなたとあなたの父の記憶との間には、いかなる暗雲も残らない。不滅であるがゆえに死すことのなかった無罪の神の子を、あなたは思い出すからである。そしてあなたは彼と共に自分が救われたこと、そして彼から一度も分離してはいないことがわかるだろう。これが理解されたとき、あなたは思い出す。それは恐れなき愛を認識することだからである。あなたが家に帰るとき、天国には大いなる喜びがあるだろう。そしてその喜びはあなたの喜びとなるだろう。救われし人の子は、無罪の神の子であり、彼を認識することこそが、あなたの救いだからである。
