エクス・アン・プロヴァンス セザンヌのアトリエ |  なんとなく ヨーロッパ

 なんとなく ヨーロッパ

 フランスに住んでいるので、パリとフランスの話が多くなると思いますが、
 まぁ気分で。

 
 
〔 2019年 夏 南仏の旅 2 〕   8月22日 (木)
 
朝食が10時までだというので、9時に起きました。
朝食の内容は、コンチネンタルという簡単なものだろう、と思っていたのですが、
パンとドリンクの他に、チーズとかハムとか卵もあったから、まあまあかな。
ビュッフェとはいかないけれど。
 
11時40分にホテル出発。
まずはセザンヌのアトリエを目指しました。
エクス・アン・プロヴァンスには、昔行ったことがあるけれど、
そのときセザンヌのアトリエには行かなかったのでした。
 
リヨンから南に向かうと、日差しが強くなったような感じ。
太陽のオートルートって呼ばれているし。
 
 
 
 
途中一度休憩して、セザンヌのアトリエに着いたのが15時。
エクス・アン・プロヴァンスのちょっと郊外みたいなところにあります。
 
中国人の団体が来ていました。
チケットを買おうと思ったら(6ユーロ50)、なんと予約が必要でした。
30分ごとに25人ずつ入れているらしい。
次に空きがあるのは16時だって。なんてこった。
しようがないから、それを予約して1時間待ちました。
中国人の団体はもちろん予約していただろうから、少し待って入ったみたい。
セザンヌのビデオをやっていたので、それを見たりして時間をつぶしました。
 
予約して他の人たちと一緒に入ったので、ガイドが説明してくれるのかと思ったら、そんなことなかった。
オーディオガイドを借りている人もいたし、印刷した説明を借りている人もいた。
僕は日本語の印刷物を借りました。
 
 
 

アトリエだから、それなりの広さはあるけれど、一部屋しか見学できない。
『えっ。』って感じ。
 
 
 

だから、「セザンヌの家」じゃなくて、「セザンヌのアトリエ」なんだ。
ゴッホが住んでいたところに比べると、かなり広いけど、モネの家の方が大きいな。
まあ、モネはかなり売れていたし、大所帯だったからな。
セザンヌが絵を描くときに使った陶器とかテーブルとか椅子とかありました。
イーゼルとかパレットとか、リュックとか服とか、帽子とか。
髑髏が3つあった。(なんともいえない。)
 
 
 
 
皆、殆ど無言でそこにいて、30分経ったら終わりで、
次の人たちが入ってくるというシステムでした。(ちょっとガッカリ。)
 
 
 
 
最近、日本語の説明を読んでわかったコト。
セザンヌがセント・ヴィクトワール山を一望できる場所に近いこの土地を買ったのが1902年。(62才)
そこにアトリエのある家を建てました。
(日本式に言うと)1階には居間が2つ、台所などの生活空間、2階にアトリエ。
 
 
 
 
窓の右側にある細長い開口部は、
大きな絵を出し入れするために壁をぶち抜いて作ったそうです。
「水浴図」も、ここから出して屋外で描いていたと説明書にはあったけど、
『マジですか。』って感じ。
 
 
 
 
 
 
セザンヌのパレット
 
結局、セザンヌはエクス市内の自宅で家族と生活して、毎日このアトリエに通っていたみたい。
地図でみたら距離は1㎞くらいかな。
ちょうどセント・ヴィクトワール山の絵を何枚も描いた高台と自宅の中間地点に、
アトリエを建てたといった感じでしょうか。
1階は、カンバスなどを置く物置のようになっていたそうです。
だからアトリエしか公開していないのか。
 
 
 
 
セザンヌが好きな人は、『この像か。』と思っただろうけど、
このキューピッド像のオリジナルを作ったのは、フランドルの彫刻家フランソワ・デュケノワ。
その父親ジェローム・ デュケノワが、ブリュッセルの小便小僧を作ったのでした。
『なるほど。』と納得してしまいますね。
 
1906年10月。
野外で絵を描いていたセザンヌは、突然の雷雨に遭い、それが原因で胸膜炎を患い、
エクス市内の自宅で亡くなりました。
 
1904年にセザンヌのもとに1か月ほど滞在したエミール・ベルナールによると、
セザンヌは朝6時から10時半まで郊外のアトリエで制作し、
市内の自宅に戻って昼食をとり、その後風景写生に出かけ、
17時に帰ってくるという日課を繰り返していたそうです。
 
セザンヌの絵は、「水浴図」や静物画よりも、やっぱり風景画が好きです。
完成していないものも多いけど、良いものを実際にみると、色がぜんぜん違います。