ルルド 2017  (8) |  なんとなく ヨーロッパ

 なんとなく ヨーロッパ

 フランスに住んでいるので、パリとフランスの話が多くなると思いますが、
 まぁ気分で。

 
 
〔 2017年8月の旅 21 〕  8月3日 (木)

聖堂から川を渡って少し行くと、ベルナデットの生家があります。(上の写真)
 
 
 
ベルナデットが生れた部屋。
 
 
 
 
 
 
 
 

父親は粉引きを仕事としていました。
その機械。
 
 
 
 
ベルナデットの家は貧しく、
父親は小麦粉を盗んだという罪で逮捕され、(1857年に釈放)
1858年、マリア様の御出現があったときには、
Cachotと言われる狭いところで一家6人(両親と子供4人)が暮らしていました。
約18平方メートル。(下の写真)
 
 
 

1858年2月11日から7月16日まで18回の御出現。
奇跡が度々起こり、最初はベルナデットを罵っていた人々も信じるようになり、
彼女にお金や贈り物を渡そうとしましたが、ベルナデットは受け取りませんでした。
だから彼女の家は貧しいままでした。
きっとマリア様が受け取らないように言ったんでしょうね。
当時14才だったベルナデットにそういう判断ができたとは思えないし、
極貧のなかにあった家族がそういう忠告をしたとも思えない。
1846年ラ・サレットで聖母の御出現を見た少女(14才)と少年(11才)も、
お金や贈り物を受け取らなかったはずです。
 
1863年7月、ルルドの神父 Peyramaleは、
ベルナデットの家族のために家を借りてあげました。(下の写真)
ベルナデットの生家の近くです。
Peyramale神父は、最初ベルナデットに、(冬の)洞窟に花を咲かせてみなさい、
などと言っていた人です。
 
 
 
 
 
 
 
ベルナデットの部屋。
 
1866年、ベルナデットはNever(ヌベール)の修道院に入りました。
1867年、Tarbesの司教によって、この家はベルナデットの家族に与えられました。
 
 
 

ベルナデットの手紙
修道院で勉強したんでしょうね。
御出現があった当時は、貧しく病気がちなのに長子として働かなければならず、
彼女は学校にも殆ど行けなかったのでした。
最初、マリア様は標準フランス語で話しかけたけれど、
ベルナデットが理解できなかったので、この地方の方言で話されたのでした。