メアリー・ステュアート(1542年12月8日-1587年2月8日)
1542年12月8日、リンリスゴー城で、スコットランド王ジェームズ5世と
王妃(フランス貴族出身)の第3子として生まれる。
1542年12月14日、ジェームズ5世が急死。
生後6日で王位を継承し、スコットランドの女王となる。
(長男と次男は早世していた。)
1558年4月 フランスでアンリ2世の王太子フランソワと結婚。
1558年11月 イングランドでエリザベス1世が女王に即位。
アンリ2世は、庶子であるエリザベスの王位継承には疑義があり、
メアリーこそ正当なイングランド王位継承者であると主張する。
1559年7月 アンリ2世が亡くなり、王太子がフランソワ2世として即位。
メアリーはフランス王妃となる。
1560年12月 フランソワ2世が病死。
1561年8月 子が無かったメアリーはスコットランドに帰る。
1565年7月 メアリーはダーンリー卿ヘンリーと再婚する。
1566年3月9日 ダーンリー派の貴族たちが、
メアリーの秘書で愛人といわれていたリッチオを拉致し、
メアリーの目前で殺害する。(ホリルードハウス宮殿)
(ダーンリー卿の嫉妬が原因とされている。)
1566年6月19日 メアリーは、エジンバラ城で息子ジェームズを出産。
ジェームズは後に王となる。
1567年2月10日 エジンバラのカーク・オ・フィールド教会で、
ダーンリー卿が殺害されているのが発見される。
1567年5月15日 メアリーはボスウェル伯と3度目の結婚。
当時、ダーンリー卿殺害の首謀者はボスウェル伯、
メアリーも共謀したと思われており、
カトリック、プロテスタント双方がこの結婚に反対した。
反ボスウェル派の貴族たちが反乱、
1567年6月15日 メアリーは反乱軍に投降。
1567年7月24日 メアリーは廃位された。
息子のジェームズが1歳1ヵ月でスコットランド王に即位する。
メアリーの女王としての在位期間は、1542年12月14日から1567年7月24日。
1568年5月 メアリーはロッホリーヴン城から脱走し、
6千人の兵を集めて軍を起こすが、マリ伯の軍に敗れ、
イングランドのエリザベス1世のもとに逃れた。
その後、イングランド各地を転々としたが、
度々自分がイングランド王位継承者であると主張し、
エリザベス1世廃位の陰謀に関係した。
1586年 エリザベス1世暗殺計画に関与し、死刑を宣告される。
1587年2月8日 フォザリンゲイ城でメアリーの死刑が執行された。
1603年3月14日 エリザベス1世死去
1603年7月25日 メアリーの息子ジェームズが、ジェームズ1世として、
イングランド王・アイルランド王となる。
ジェームズは、スコットランド王、イングランド王、アイルランド王を兼ね、
スチュアート朝が始まる。
一番下の画像は、ホリルードハウス宮殿の内部ですが、
撮影禁止だったので、ポストカードです。





