
リジューのテレーズ ( Sainte Therese de Lisieux )
幼きイエスのテレーズ ( Sainte Therese de l Enfant-Jesus )
マリー・フランソワーズ・テレーズ・マルタン
( Marie-Francoise Therese Martin )
1873年1月2日 フランスのアランソン(Alencon)に生まれる。
5人姉妹の末子。
1877年 (4才) 母親が死亡。一家はリジュー(Lisieux)に移り住む。
1888年 (15才) リジューのカルメル修道院に入る。
1897年9月30日 (24才) 18ヵ月の闘病生活の後、結核で亡くなる。
「 Histoire d une ame 」(魂の物語 自叙伝) 出版
1923年 列福
1925年 列聖
1929年 聖テレーズの聖堂 着工
1954年 聖テレーズの聖堂 完成
1997年 ヨハネ・パウロ2世によって、「教会博士」の称号。

テレーズの死後出版された「 Histoire d une ame 」は版を重ね、
多くの国で翻訳されました。
列福されるよりも早く、世界中でテレーズへのdevotion(祈祷)が行われ、
それは多くの改心、改宗、病いからの快復を伴ないました。
1914年、リジューのカルメル会には1日平均500通の手紙が届き、
1923年から1925年にかけては、日に800通もの手紙が届きました。
1920年頃、角膜炎を患った一人の少女が祖母に連れられ、
リジューに来て、テレーズのお墓で祈りました。
8日後に、少女は視力を回復しました。
この少女は、後のエディット・ピアフでした。
彼女は生涯、聖テレーズに対する信仰を持ち続けました。
エディット・ピアフは、聖テレーズのとても遠い親戚にあたるそうです。

テレーズは亡くなった後、普通に葬られ、その遺体は普通に腐敗しました。
(ルルドのベルナデットや
「不思議のメダイ」のカタリナの遺体は腐敗しませんでした。)
テレーズが活躍したのは、その死後ですね。
devotion(祈祷)に対する奇跡が彼女の名声を高め、
列聖、そして聖堂の建設となったのでしょう。
ルルドは、その場に行かないと奇跡が起こらないような気がしますが、
聖テレーズの場合は、フランスに来なくても奇跡が起こるような気がしますね。
一番上の写真は、1896年7月に撮影されたものです。