( 2007年 夏 )
貸しバイク屋もあったので、訊いてみたら、
値段は町といっしょでした。
50ccのスクーターで1日15ユーロ。
「16時の船だから、それまでに帰って来るから。」と言っても、
最低料金は15ユーロだと譲らない。
4輪バイクは無いみたいでした。
結局、カフェで昼食をとったりして、港で過ごしました。
似たような人たちがたくさんいましたね。
退屈だけど仕方がない。
そのうちカフェもいっぱいになってしまいました。
公共の待合室があって、冷房がきいていたけど、
がらんとしていて、6、7人いただけです。
そこにいるなら、海の見えるカフェでビールでも飲んでいた方がいい、
ということなのでしょう。
貸しバイク屋に、頼りなさそうなパソコンが1台あって、
インターネットができるみたいでしたが、既に誰か使っていました。
『どうせ日本語は使えないだろうな。』という感じのものです。
公衆電話があったので、
売店みたいなところでテレフォンカードを買って、
帰りの飛行機のリコンファームをしたり、
予約してあったホテルに船の変更を伝えました。
リコンファームが必要なんて、当時でも珍しいことでした。
ホテルの人が港に迎えに来てくれるはずだったので、
「船が変更になった。」と言ったら、
「今日は来ないのか。」と言うので、
「いや、来るんだけど、ナクソス経由になって、とても遅くなる。」
と伝えたのでした。
それでも迎えにきてくれるそうです。親切な人たちだ。
そんなこんなで時間が過ぎて、
15時20分くらいから人が並び始めて、
スゴイ行列になってしまいました。
さっきまでガランとしていた待合室のあたりが先頭みたいです。
まあ、本来乗る人と2隻キャンセルになった分で、
混むだろうとは思っていたけれど。
切符が手に入っただけでもイイか。
やっぱり船は遅れました。
乗った船は常に遅れていましたね。
他の人に聞いても、やっぱり全部遅れたとか言ってました。
「時刻表の意味ないよね。」って。
船が港に入ってきても、まず降りる人が先です。
かなりの数です。
トラックなども降りてきました。
僕の前に並んでいた家族は、母親と娘がケガをしていました。
バイクで転んだって感じです。
母親は腕に包帯をして、顎に絆創膏を貼っていました。
娘は足に包帯をしていました。
2人とも他にも傷があって、薬を塗っていました。
なんか痛々しい感じだったけど、南の島にいるのが嬉しいのか、
わりと平気な顔をしていました。
父親とか息子も元気だったし。
やっぱり4輪バイクにして正解だったかな。
そういえば今回ブルガリアから帰ってくる飛行機でも、
遅れてきた人たちがいて、見たらアラブ人の家族で、
3人くらいケガをしていました。
一人は足を骨折しているみたいで、車椅子で運ばれてきました。
数日前に交通事故に遭ったとか。
バカンスって、リスクが伴うものなんですね。
無事に帰ってきてヨカッタ。