辛い気持ちに蓋をして

真理さんとの思い出も美化して

この一年を生きてきた

 

熱海の土石流災害の三日後

7月6日に伊豆に向かった

医師との面談に同席するために

 

親族ではない私が

異母姉妹ということにして。

 

息子が来ていた

 

真理さんと3人で医師の話を聞いた

画像を見せてもらって

私はもう無理だと悟った

それでなくとも余命6カ月と言われていたのに

真理さんにはわからないようだった

ほかのところに転移してないかpet検査を

受けたいと、医師に言っていた

医師は優しく、僕も今それを言おうと思ってたと

答えて、その検査のできる病院を予約してくれた

 

きっと無駄なのがわかっていても

死にゆく者への優しさからだと

胸が詰まって

私は黙っていた。

 

色んなことがありすぎて、思い出すのも辛い。

 

その日は病院で別れて

私は一人でホテルに向かい

眠れぬ夜を、波音を聞きながら過ごした。

 

翌朝、チェックアウトは9時半なので

私はこのまま帰ろうか?と連絡した。

せっかく来てくれたからお昼食べようと言われたので

ロビーで待たせてもらって

4時間後に迎えに来てくれた。

いつものようにガストに行った。

外で待ってるからいつも行く日帰り温泉に

浸かってきなよ、と真理さんは言うけど

温泉ならホテルで入ったし

疲れるだろうからご飯食べたら帰りなと言って

伊豆高原のガストに入った。

 

5月に来た時と比べると

真理さんは急速に衰え老けていた。

あまり食べなかった

細いのに私より食べる人だったのに

もう肉など受け付けないようだった。

 

そう、今日7月7日が真理さんと最後に会った日。

生きている真理さんとはそれが最後だった。

泣けてくる。

9月のお葬式まで

どうしようも出来なくて

コロナ禍でなければ

私が本当の姉ならば

面会もできたのに

 

冷たい頬の真理さんに触れられたのは

9月14日のお葬式の日だった。

 

もうすぐ一周忌だね、真理さん。

辛い思いで生きてるよ、私。

また逢える日まで

一人で生きていくよ。

 

見守っていてね。

逢える日をずっと待ってるよ。